hirax.net::Keywords::「水面」のブログ



2008-03-20[n年前へ]

「町の甍の乱反射」と「乱反射する友人」 

 日が傾いた時刻に、波立った水面を眺めると、水の上に輝く道が見える。川面・海面・湖面に太陽が足元から陽の方向へ、一直線につながって見える。そんなことを『「海面に写る太陽」の不思議』で書いた。その後、住宅街を見下ろしても、やはり、そういう「道」が見えた、という話を読んだ。

 丘に上がってみると、眼下の住宅街の屋根の群れが細長く光っていた。海で日没を見る時のように太陽から道が伸びて見えている。

   「甍の波と

 日が傾き始めた頃、高台に上って町を眺めてみた。すると、住宅街の屋根で日の光が乱反射し輝いている。その輝きは、住宅街の向こうにある河口の上、そしてさらに、海の先まで続いている。屋根の傾きに傾向はありつつも、やはりさまざまな方向を向いていて、いろいろな方向を向いた屋根が太陽の光を色んな方向に光を跳ね返している。あぁ、確かに、海も河口も町の景色も、みんな同じように乱反射した光を返している。

 そういえば、『黄金の日日』や『落日燃ゆ』などを書いた城山三郎は「乱反射」というものが好きだった。城山三郎のいくつかの随筆を読むと、自分が思うことをそのまま写し返す鏡のようなものでなく、乱反射するものの方を好ましいものだと何度も書いている。

 考え方も色々なことを言ってくれて、乱反射する友人とでもいいますかね。

   城山三郎
 住宅街の屋根や水や風が作る乱反射面を見ていると、ふとそんな言葉を思い出す。そして、屋根の向きは、やはり南北向きが多いのだろうか、とか些細なけれど生活に密着しているはずのことに想像を巡らせてみたくなる。

 これまで特に意識することもなく眺めていた町の景色、光る屋根の瓦にも、きらめく水の小波にも、光学や統計学といったものが、その姿を見え隠れさせながら、幕の内弁当のように箱にギッシリ詰められている。

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2009-03-27[n年前へ]

哲学の道沿い疏水は北上している!? 

 京都市の街は北が高く、南は低い。だから、御所の東側・祇園の西側を南北に流れる鴨川は北から南へと流れている。京都に住んだことがある人、京都に行ったことがある人なら、常識のようにそんなことは知っていると思う。

 「哲学の道沿い疏水は北へと流れている」と祇園の白川沿いを歩きながら聞き、驚いた。6年間京都で過ごし、哲学の道を数え切れないほど通り、哲学の道沿い疎水の水面を何度も眺めているはずなのに、北へ水が流れている、と意識したことはなかったような気がする。

 琵琶湖から山科を通り京都へ流れる疏水の一部が、南にある南禅寺から哲学の道に沿って北へ北へと登っていく。もちろん、実際の水面は北へ北へと降りていく、けれど京都の街の高低感覚からすれば、「北へ北へと登っていく」と言いたくなる。

 哲学の道沿い疏水は、北へ北へと上り流れてる。哲学の道を歩くときには、ゆっくり水の流れを眺めてみたい、と思う。今の季節なら、水面に浮かぶ桜の花びらがゆっくりと流れ動いていくさまを眺めてみたい、と思う。

桜の花びら






2009-11-08[n年前へ]

川面の上をゆっくり歩く 

 通りからは見えない川があった。川を挟む2本の道沿いは家がすべて面していて、そんな家々の下を綺麗な水がゆっくりと滑らかに流れてる。そして、その水面には青空と白雲と、そして、緑の木々が写り込んでいる。水面に映る青空は、頭上の空より遥かに青く、木々の緑も水面を通して眺めると、より強く見える。

 水面はさざめき、それはまるで印象派の絵画を見ているようだ。鮮やかな絵の具を素早く走らせたような、そんなマチエールを感じる。不思議なくらい、印象派絵画を思い起こさせる。

 川面の上には、小路が作られていて、流れる川の上を歩くことができる。時には、その川を見下ろすようなテラスがあって、ランチを食べている人々もいる。日差しを木陰で遮り、その下で飲むワインは、きっととても美味しいに違いない。

 (この町に)実家があるんだ。水がきれいでね。

万城目学 「プリンセス・トヨトミ
 この町に来たら、川面を歩いてみたり、時には川の水に足を少し浸してみる、のがお勧めです。そういう場所が、たくさんあります。

川面を歩く川面を歩く川面を歩く川面を歩く川面を歩く川面を歩く

川面を歩く川面を歩く川面を歩く川面を歩く川面を歩く川面を歩く






2010-07-31[n年前へ]

「その存在が外から見えないような場所」 

 比較的手軽に行けるのに、人がそれほどいなくて、けれど、水は綺麗で、そして、周りがすべて自然に包まれている感じの海辺があります。それは、たとえば、手軽に行ける距離にあるのに、その存在が外からは見えないような場所です。

 海岸沿いを走る道が、少し、海から離れ走るような場所を通る時、道から離れて小さな岬や入り江が道から離れて見えるとき、そんな、一見「存在が外から見えないような場所」が隠れていることが多いような気がします。たとえば、午後4時ごろに夕立が来ると、もうすぐ、この雨が上がれば虹が見える、とわかるように、海辺を走る道が妙にまっすぐに海辺から離れて走り始めた時には、その近くに気持ち良い海辺の存在を強く感じたりします。

 そういう場所を探して、道から外れることも多いのですが、道が途中で分かれていたりして、迷うことも多いような気がします。ただ、そうして、ようやく見つけることができた場所には、とても愛着が湧きます。

 そんな海辺で浮かんで山と空を見上げてみたり、対岸の小島の砂辺に座り込んで水面を眺めていると、不思議に満たされた感覚に陥ります。海中を泳ぐ魚の近くに行こうと水の中に潜ると、耳からはまったく音が聞こえなくなり、本当に「存在が外から見えないような場所」にいることを実感します。

「存在が外から見えないような場所」「存在が外から見えないような場所」






2010-08-14[n年前へ]

「花火が好きで鉄道も好きな人」向けの動画 

「花火が好きで鉄道も好きな人」向けの景色を眺めたので、下にその動画を貼り付けておきます。列車の窓の灯りと花火と、そしてそれらが水面にも写し出される。…そんな景色です。

 特に2本目の動画、空へ昇っていく花火の光とともに、鉄橋の影が水面の上で姿を美しく変えていくようす、その中を突き抜けていく列車の姿には、思わず心奪われます。

 HD動画でYouTubeにアップロードしてありますから、YouTubeから全画面で眺めてみれば、星空の中を進む「銀河鉄道」を思い起こさせる景色が見えるかもしれません。



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