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2010-05-26[n年前へ]

誰と出会って、何が起きるかなんてわからない。 

 劇団ひとり 「陰日向に咲く 」から。

誰と出会って、何が起きるかなんてわからない。
また、いつかどこかで会えたらいいね。

「陰日向に咲く」 

 ずっと観たいと思っていたけれど、ずっと観ないでいた、「陰日向に咲く」を観た。

 物語というのは、こういうものなのかと思う。そして、映像というものはこういうものなのか、と知る。

文字を綴(つづ)った文章で、描かれる対象が小刻みに入れ替わってしまえば、その意味を追うことができないものになってしまいそうだ。しかし、それが映像ならば、私たちはそこに写る映像の印象とともにそれを見分けつつ、そして、それと同時に、それをひとつに溶け合った大きな物語として感じることができるようになる。

 物語の縦糸を紡ぐのは、人と人とが出会うことの奇跡。偶然オレオレ詐欺の電話に出た老婆と心を通わせ、自らの過去と向き合うことになるシンヤ。寿子は、シンヤと共に母のかつての恋を追う過程で、自らの殻を破っていく。鳴子は雷太との、リュウタロウはモーゼとの出会いをきっかけに、新しい生活に足を踏み入れる。そして、みゃーこを一途に応援し続けるゆうすけにも、思いがけない「再会」が…。

 小さな出会いが重なり合い、やがて忘れかけていた家族の絆や初恋の切なさが浮き彫りになっていく。そして、彼らが明日への一歩を小さく踏み出す瞬間に見せる清々しい表情。そこに待ちうけるのが必ずしも「日向」でないことはわかっていても、人生に無駄な出会いなど決してないと、深くうなずかされるはず。

2010-05-28[n年前へ]

「ひとり」という名の寂しい鳥の物語 

 本棚を眺めていると、寺山修二「赤糸で縫いとじられた物語 」という題名の本があった。あまりに懐かしくて、思わず手にとってしまった。確か、高校の図書館で、誰かにこの本を薦められ、手に取り読みふけったような気がする。

同じ鳥でも飛ばないとりはなあんだ?
それはひとり という鳥だ。

壜の中の鳥

2010-06-03[n年前へ]

「選ばなかった人の物語」 

 「選ばなかった道

 選ばなかった人の物語は、成功者や失敗者の物語に比べれば華やかさに欠けるかもしれないけれど、実際に分かれ道に立って選んだ時の葛藤に思いを馳せれば、同じくらい劇的な人生であるはずなのだ。成功者のわかりやすい物語よりも、一見「平凡」な人生に隠された、そういったドラマをもっと知りたいと思う。

 成功者の視点から語られる物語は、たいていの場合、とても単純明快でわかりやすい。けれど、選ばなかった人の物語は螺旋階段のようにわかりにくい。「選ばなかった人」は「決断を容易にする人」を憧れと同時に冷めた目で眺め、決断を容易にする人は、「選べない人」を…じれったく情けなく思うのだろう。

 Appleが華やかだった時代、Apple][のコンパチ基板が秋葉原にあふれていた時代、月に数度、秋葉原に行った。その後、NeXTが消える寸前になり(少なくとも、当時はそう感じていた)、Appleの株券が「燃えるゴミ」同然になっていた時も、秋葉原に行っていた。今この瞬間は、Appleは調子がいいようだ。

 海辺の景色を眺めれば、毎日繰り返されてる「潮の満ち引き」が見える。テクノロジーとビジネスの世界も、たぶん、きっと同じなんだろう。

 ただ、そんな風に、一歩ひいて眺めていたら何かを選ぶことはできないはずだ、ということもわかる。

2010-06-05[n年前へ]

リスクを背負いつつその可能性に賭けることができる人たち 

 川合史朗さんが、「選ばなかった人」の物語(「選ばなかった道」)に続き、その逆の場合、ある「選んだ人」のことについて書かれていました(「選べる人が選べばいい」)。

 でも正直に言って、自分が食えるかどうかという不安など、「従業員に来月の給料を払えるかどうか」という不安に比べたら、吹けば飛ぶような悩みにすぎない。その点で、私は人を雇って事業をしている人は尊敬している。
 「このチャンスに乗ることを選んだら大変な思いをして、きっと選んだことを後悔する。けれども、選ばなかったらもっと後悔するだろう。」

 そう心底思える人だけが、選べば良いのだと思う。

 ふと、以前考えたこと、経済学者の栗田啓子先生に話を聞きに行った時に手帳に記した内容を思い出しました。その内容をもとに、書籍用のコラムに変えたものの下書きを引用すると、このようになります。

「賭けることができる人」が経済を動かしてる

 「経済学88物語 」(根井雅弘 編)で栗田先生がカンティロンの著作「商業試論」を紹介されています。読んでみて、とても興味を惹かれたのが「市場の動きとなる企業者(アントレプレナー)の本質は、不確実な利益のチャンスを選択するということだ」という内容の部分でした。
 ”成功するかどうかわからないチャンスに賭けて、そこに向かって走り出すことができる人たちが、企業者であり・経済の市場メカニズムを動かし続けている軸なんだ”という280年も前に書かれた言葉は、今の時代をも、やはり的確に表現しているように思います。
 いろいろな技術分野で、確実ではない可能性があるときに、リスクを背負いつつその可能性に賭けることができる人たちが社会を回し続けているのかもしれない、となぜか納得したのです。
 「アントレプレナー」の訳語としては、「企業者」という言葉を使う人が多いようです。本来、意味が同じで、発音も同じである「企業者」と「起業者」ですが、経済学素人の私には少し違う言葉に見えてしまいます。
 「自ら会社を興し、新たに事業を手がける人」(Wikipedia)というアントレプレナーの意味を考えると、「起業者」という言葉の方がふさわしいようにも思えます。 私のような経済学素人には、歴史の中の「企業者」という言葉は「起業者」と置き換えながら考えた方が、わかりやすいのかもしれません。
 ここで登場するリチャード・カンティロンは、18世紀に生き、放火事件で亡くなり、召使に殺されたとも言われている人です。

 コラム以外の部分では、アントレプレナーの訳語としては、(翻訳語句が作られた)歴史的な背景もあり、企業者という語句を使いましたが、私は「起業」者という言葉の方が今でも「わかりやすい」と感じています。

 だから、企業者という言葉を起業者と置き換えて、もう一度、その前半の言葉を書き写してみることにします。
 ”成功するかどうかわからないチャンスに賭けて、そこに向かって走り出すことができる人たちが、起業者という存在であり、その起業者が、経済の市場メカニズムを動かし始める軸なんだ。”



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