2004-06-12[n年前へ]
■見える範囲のFinite justice
「正義とjusticeの間には、大きな溝が横たわっている。
正義の女神ジャスティスは、目隠しをしている。
予断を禁じ、公平な採決を下すためだが、けれどもその目隠しは、同時に、彼女自身の隠れみのにもなる。
彼女は、人を平気で天秤に乗せ、平気で剣を振り下ろすことができる。彼女は自分の剣が、どんな人の命を奪うことになるのか見ないままでいられる。剣を振り下ろす以外の選択肢がないのかどうか、自分が剣を振るう資格を本当に持っているのかどうか、考えないままでいられる。
しかし、わが国の<正義>の女神は、目隠しをしない。日本の最高裁判所にある「正義」の像は目隠しをしていない。
彼女は、誰を天秤に乗せ、誰に対して剣を振るわなければならないのか、その目をしっかり開いて、一部始終を見届けなければならない - そうする自分自身の顔を、世間に対してさらしものにしながら」 from 白倉伸一郎 「ヒーローと正義」
2004-07-10[n年前へ]
■Justice is Blind
映画「座頭市」の英語キャッチフレーズが"Justice is Blind"だという話。正義の女神ジャスティスは目隠しをして、右手に持った剣でバッサバッサと人を切り捨てるのだから、確かにそっくりだ。そう言われてみれば、キャッチフレーズ通り「座頭市」は"Justice is Blind"に違いない。 from ABC振興会
2004-07-11[n年前へ]
■ヒーローは殺人鬼?
日本映画監督協会のヒーローは殺人鬼? 白倉伸一郎氏の「正義とJusticeは違う」という話を受けて
論語の「義を見てせざるは勇無きなり」の「義」、確か中国語で、足りない物を補う、という意味じゃなかったかな。義手とか義足とか それから考えると、正義という意味は、正しい事が足りない状況に於いて、「正しさを注入して不均衡を均衡に戻す」って事じゃないですかね? だとするとやっぱり、正義とJusticeはちょっと意味合いが違うかな
そういえば、島本和彦のマンガで何人もの正義のヒーロー(ヒロイン)達が偶然出会い、「正義って何だ」とえんえん論ずる話があった。「オマエの-正義-は私怨じゃないのか」とか「オマエの正義は単なる俺ルール」だろう、とか。そして、最後にそれぞれの正義を持ちつつ、「いつかまたな」と別れていく話である。そんなことを思い出すのが次の言葉。
仮面ライダー龍騎は、「正義とは何か?」というのを考えた作品だったですね。13人のライダーそれぞれに正義があるんですよ。それぞれの体場で、正義と正義がぶつかり合って、最終的に生き残っていく正義って、いったい何か? 「ここにないのが正義」って所に着地したかったんですけどねそしてまた、こんな言葉のこだわりもとても興味深い。
人偏に共と書く「供」には従者という意味がある。小どもは大人のお供ではない。だから、「子供」ではなく絶対に「小ども」でなければならないfrom A Study around Super Heroes
2004-11-13[n年前へ]
■中村うさぎの秤
放射線治療と抗がん剤治療は受けない。「生きること」への執着と「見た目の美しさ」への執着を秤にかけると、(私の)秤は後者にぐっと傾くのだ。…自分の秤がそう言うのだから仕方ない。 中村うさぎ 「さすらいの女王」
2006-07-10[n年前へ]
■「心」と「剣」
from n年前へ.
「心」 新明解国語辞典対象に触発され、知覚・感情・理性・意志活動・喜怒哀楽・愛憎・嫉妬となって現われ、その働きの有無が、「人間と動物一般」、また「敬愛・畏怖の対象となる人と憎悪・軽蔑すべき人間」を区別するものと考えられる。
Gnutella開発者の死は自殺だった
正義の女神ジャスティス は目隠しをして、右手に持った剣でバッサバッサと人を切り捨てる。そう言われてみれば、キャッチフレーズ通り「座頭市」は"Justice is Blind"に違いない。
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