2006-03-18[n年前へ]
2006-03-20[n年前へ]
■「24色肌色クレヨン」と「センのパラドックス」
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「24色肌色クレヨン」黒・茶色・薄オレンジ・赤色…24色がどれもみんなそれぞれ違う、だけど、「どれもみんな同じ肌色」だと知ることができる肌色クレヨン。
定義域の非限定性(=どんな変なヤツもいるような社会?)であれば、「リベラル」的かつパレート的な(=どいつのわがままも聞きながら、みんなが満足するような?)社会決定はできない。
2006-03-21[n年前へ]
■「私の個人主義」「各種メディア」
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「西洋人」の方ばかり向いて、尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから…..
夏目漱石「私の個人主義」
「グーテンベルグ(印刷技術)は全ての人を読者に変えた」「ゼロックス(複写機)は全ての人を出版者に変えた」「PCは全ての人を作り手に変えようとしている」「そして、インターネットは人をコメンテーターにしてしまった」
2006-03-22[n年前へ]
■「自分の定義」
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「何かである自分」がポジティブな提示による自分なら、「何かでない自分」はネガティブな提示による自分なのだろうか。そして、それが「何かになれる自分」や「何かになれない自分」などという提示なら、内容的にもポジティブさやネガティブさがさらに増すに違いない。
【何かになれないおれカネゴン】
そんな自分に少し迷ってしまうなら、いっそ「自分」を「他人でないもの」とネガティブな提示で表してしまうのも良いのだろう。そして、トートロジーの迷路の中で、果たして自分や他人が「語り得るもの」かどうか、右往左往しつつ迷ってみるのも一興かもしれない。
と、考えているうちに、カントもヴィトゲンシュタインもそんな自分を「バカ」と一言で言い表してしまうに違いない、と何故かポジティブに思い至る。
【たった二文字でおれカネゴン】
2006-03-23[n年前へ]
■「夢と現実」「男と女」
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「夢」と「現実」の違いを新明解で調べてみれば、「夢」は「睡眠中に生活経験のごとく生起して目覚めると同時にはかなく消える、一種の幻覚」で「現実」が「現在当面していて、それを無視することができない事柄」と書いてある。
なるほど、目を開けると同時にはかなく消えてしまうのが「夢」で、目を開けても消えずに目の前に居座り続けるのが「現実」というわけか。
【目をつぶりたいおれカネゴン】
そんな説明で、夢と現実の「違い」はなんだかわかったような気がするが【何をわかったカネゴン】、「男と女の違い」、というものならば、その違いはいったいどんなものなのだろう?それを新明解にいきなり聞く前に、自分でも少しは考えてみることにしようか。【自習でなにをおれカネゴン】
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