hirax.net::Keywords::「シャッター」のブログ



2005-10-16[n年前へ]

「長い文章を書くということ」 

写真 広い景色を写真に写したい、と思うことがあります。そんな時、超広角のレンズを持っていれば、話はとても簡単です。景色にレンズを向けて、シャッターボタンを押せば良いだけです。ところが、そんな超広角のレンズを持っていなかったら、どうしたら良いでしょう?そんな時はしょうがないから、少しづつ違う方向にカメラを向けて、何回もシャッターを押して、何枚も何枚も写真を撮ります。そして、最後にそんな写真を合成して、広い景色が写った写真を作ります。

 ところが、「最後にたくさんの写真を合成」しようとすると、「それぞれの画像が(互いに)少しづつ歪んでいて、少しづつ写っているものが違っていて」なかなか上手く重ならないことに気づきます。それぞれの画像が少しづつ矛盾していて、一つの整った景色にしようとすると、なんだか食い違ってる部分がそこらかしこに現れてくるのです。例えば、右の写真を眺めてみれば、そんな矛盾だらけの写真であることがわかると思います。そして、広い・長い文章を書くということは、(少し)こんな広い景色が写った写真を作り出すことに似ている、気がします。

 一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。一枚の写真や短い言葉では、写真や言葉として上手く世界を(違うものに)写し取ることができたはずなのに、それらをたくさん組み合わせて一つのものにしようとした途端、たくさんの歪み・矛盾を眺めなければならなくなります。
 それらの歪みや矛盾というのは、もしかしたら、対象物の複雑さにもとづくものかもしれません。つまり、対象物の歪みや矛盾というものなのかも知れませんし、あるいは、そんな複雑な景色を眺めた時に、景色を眺める自分自身の中に生まれる歪みや矛盾なのかもしれません。

 それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、とふと思います。だから、長い・広い文章を書くということは、そんなたくさんの歪み・矛盾と向かい合わざるをえない辛い作業だろう、と想像したりします。 ただし、もしも書かないでいれば「その書く辛さ」に向かう羽目に陥ることもないのかもしれませんが、「書こうとして始めて気づくこと」や「書き終えることでようやく発見すること」を見ることもできないのかもしれない、とも思います。

2006-01-01[n年前へ]

2005年から2006年へ 

2005年 4年ほど前から、ほとんど毎日、その日眺めた景色を写真を撮ってきました。といっても、デジカメでとりあえず目の前のものをファインダーの中に入れ、ただシャッターを押しているだけです。それぞれの「今日」に眺めた景色を、デジカメでただ撮り続けているだけです。…そんな写真の一部、2005年に撮った写真を並べてみたのが、上のコンタクトプリントです。だから、この写真はどれもみんな2005年の「今日見た景色」です。 一人で眺めた景色もありますし、誰かと飲んだりした後などに撮った景色もあります。だから、秋葉原・品川・北千住…この中の「今日見た景色」に見覚えがある人たちもいたりするかもしれません。

Untitled この「今日見た景色」を2006年になった今眺めてみれば、いつの間にか「2005年という昨日に見た景色」になってしまっていることに気づきます。昨日見たニュース "News"が、いつの間にか「新しいこと」でなくなってしまっていたことと同じです。「今日見た景色」は「今日」という瞬間にしか見ることができないんだなぁ、と当たり前のことを感じます。

 今年、2006年もまた「今日見た景色」に向けて私はシャッターを押し続けると思います。そのファインダーの中に写る「今日見た景色」はどんな景色になっていくのでしょうか。ファインダーからの眺め・眺め方はどのように変わっていくのでしょうか…? というわけで、今年もよろしくお願いいたします。

2006-01-22[n年前へ]

「今日見た瞬間」 

Title 「Lightbox JSで動画もWEB 2.0っぽく表示しよう」なんていう改造をしたのは、これからは動画へのリンクが増えそう・増やそうと思ったからです。「今日見た景色」の写真に、少しづつ「今日見た瞬間」の動画を混ぜていこうか、と考えたからです。だから、写真と動画を同じように扱えるようにしたかった、というわけです。

 毎日、目の前の広い360度の景色の中にある「ごく狭いどこか」に目が惹きつけられます。そして、私はカメラのレンズをそこに向けシャッターボタンを押し、その一瞬の景色がデジタル・カメラの中に記録されるのです。「その一瞬の景色」といっても、私の記憶の中にある景色は「一瞬だけれど動いている景色」です。けれど、デジカメに記録された画像は静止した一瞬になってしまっているのです。「動いている一瞬の景色」にはなっていないのです…。

 先週、何年も前に発売された「古いDVビデオカメラ」をYahoo!オークションで買いました。なぜ、そんな古いビデオカメラを買ったかというと、そのカメラは毎秒240フィールド(インターレース)の撮影ができる、という機能を持っていたからです。わかりやすく言えば、(上手く使えば)一秒間に240コマの高速度撮影ができる機能を持っていたからです。自分の目の前にある「何か」に惹きつけられて、それを眺めた時の「記憶の中の景色」を忠実に記録できるかもしれない、と思ってそのビデオカメラを買ってみたのです。「動いている一瞬の景色」を眺めることができるかもしれない、と思って買ってみたのです。

 というわけで、右上に貼り付けてみた「今日見た瞬間」私が眺めた「動いている一瞬の景色」は、東京北千住で眺めた「雪どけの水滴」です。BGMは1950年にヒットしたSammy Kayeの"Harbor Lights"です。(ちなみに、iPod用のビデオ動画だとこんな感じです)

2006-01-31[n年前へ]

「撮影後に画像処理で手ブレ補正するデジカメ」 

オリンパス μmju(ミュー)〔μ810 概要〕オリンパス μmju(ミュー)〔μ810 機能紹介〕 カメラ内のジャイロセンサーにより「シャッターボタンを押した際のカメラの揺れ・ブレ軌跡」を計測し、画像処理でモーションブラー(カメラに対して物体が動くことにより生じるブレ)を除去(デコンボリューション)するというオリンパスのデジタルカメラμ810(紹介記事)。上記メーカサイトでデモを眺めることができます。撮影後の「ユーザ処理」がどんな手順であるかとか、「補正画像の品質度合いの目安」などを知ることができます。

 ジャイロセンサーで計測した「カメラの動きを示す数値」を撮影画像のタグ内部に記録しているのであれば、また色々と別の楽しみ方も考えることもできそうですね。関連情報は「モザイク消し器の真実」「アダルトビデオの科学」「恋のインパルス応答」などでしょうか。

2006-08-11[n年前へ]

懐中電灯で光り動く世界を描く 

PIKAPIKA: in kitijojiPIKAPIKA 暗い場所で、長い時間シャッターを開けて写真を撮る。シャッターが開いている間に懐中電灯のような光モノを振り回し、絵を描く。そんな絵を何回も何回も描いて、ついにはアニメーションまで作ってしまうなんて…。作り出されたアニメーションが、素晴らしく綺麗で幻想的な「PIKAPIKA: in kitijoji」「PIKAPIKA」CAT



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