2005-10-08[n年前へ]
■メキシコシティ
成田へ行く前に、10mm 程度のレンズを買っておくか、EOS 5Dを買っておけば良かった。中年のイージー・ライダー風珍走団が驚くくらいたくさんいて、沼津みたい。これは何かの走行会? ちょっと光化学スモッグ気味で目が疲れながら、ウォームビズについて色々調べる。ちなみに、大学時代に受けた教育は「…地球温暖化?来るべき氷河期に備えるためには悪くないかも?アルベド効果だってよくわからないんだし」という感じだったような。
2005-10-16[n年前へ]
■「長い文章を書くということ」
広い景色を写真に写したい、と思うことがあります。そんな時、超広角のレンズを持っていれば、話はとても簡単です。景色にレンズを向けて、シャッターボタンを押せば良いだけです。ところが、そんな超広角のレンズを持っていなかったら、どうしたら良いでしょう?そんな時はしょうがないから、少しづつ違う方向にカメラを向けて、何回もシャッターを押して、何枚も何枚も写真を撮ります。そして、最後にそんな写真を合成して、広い景色が写った写真を作ります。
ところが、「最後にたくさんの写真を合成」しようとすると、「それぞれの画像が(互いに)少しづつ歪んでいて、少しづつ写っているものが違っていて」なかなか上手く重ならないことに気づきます。それぞれの画像が少しづつ矛盾していて、一つの整った景色にしようとすると、なんだか食い違ってる部分がそこらかしこに現れてくるのです。例えば、右の写真を眺めてみれば、そんな矛盾だらけの写真であることがわかると思います。そして、広い・長い文章を書くということは、(少し)こんな広い景色が写った写真を作り出すことに似ている、気がします。
一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。一枚の写真や短い言葉では、写真や言葉として上手く世界を(違うものに)写し取ることができたはずなのに、それらをたくさん組み合わせて一つのものにしようとした途端、たくさんの歪み・矛盾を眺めなければならなくなります。
それらの歪みや矛盾というのは、もしかしたら、対象物の複雑さにもとづくものかもしれません。つまり、対象物の歪みや矛盾というものなのかも知れませんし、あるいは、そんな複雑な景色を眺めた時に、景色を眺める自分自身の中に生まれる歪みや矛盾なのかもしれません。
それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、とふと思います。だから、長い・広い文章を書くということは、そんなたくさんの歪み・矛盾と向かい合わざるをえない辛い作業だろう、と想像したりします。 ただし、もしも書かないでいれば「その書く辛さ」に向かう羽目に陥ることもないのかもしれませんが、「書こうとして始めて気づくこと」や「書き終えることでようやく発見すること」を見ることもできないのかもしれない、とも思います。
2005-11-19[n年前へ]
■後から「ピンぼけを直す」のも「キレイなボケを作る」こともできるカメラ
Tech総研ブログに『後から、「ピンぼけを直す」のも「キレイなボケを作る」こともできるカメラ』を書きました。なかなか単純で古くからありそうなアイデアを、わかりやすいデモとともにわかりやすく開発したところがとても面白いところです。というわけで、ちょっと滞りがちだった更新を巻き返すべく、毎日更新予定の平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女です。(うぅ、恥ずかしいタイトルだ…)
この技術を簡単に例えるなら、「レンチキュラー・レンズを使った立体写真」とよく似ている。…今回の"Light Field Photography"の場合には、その「- 左右方向 -」を「- 奥行き方向 -」に変えて、実用化を考えてみたもののようだ。
2006-01-22[n年前へ]
■「今日見た瞬間」
「Lightbox JSで動画もWEB 2.0っぽく表示しよう」なんていう改造をしたのは、これからは動画へのリンクが増えそう・増やそうと思ったからです。「今日見た景色」の写真に、少しづつ「今日見た瞬間」の動画を混ぜていこうか、と考えたからです。だから、写真と動画を同じように扱えるようにしたかった、というわけです。
毎日、目の前の広い360度の景色の中にある「ごく狭いどこか」に目が惹きつけられます。そして、私はカメラのレンズをそこに向けシャッターボタンを押し、その一瞬の景色がデジタル・カメラの中に記録されるのです。「その一瞬の景色」といっても、私の記憶の中にある景色は「一瞬だけれど動いている景色」です。けれど、デジカメに記録された画像は静止した一瞬になってしまっているのです。「動いている一瞬の景色」にはなっていないのです…。
先週、何年も前に発売された「古いDVビデオカメラ」をYahoo!オークションで買いました。なぜ、そんな古いビデオカメラを買ったかというと、そのカメラは毎秒240フィールド(インターレース)の撮影ができる、という機能を持っていたからです。わかりやすく言えば、(上手く使えば)一秒間に240コマの高速度撮影ができる機能を持っていたからです。自分の目の前にある「何か」に惹きつけられて、それを眺めた時の「記憶の中の景色」を忠実に記録できるかもしれない、と思ってそのビデオカメラを買ってみたのです。「動いている一瞬の景色」を眺めることができるかもしれない、と思って買ってみたのです。
というわけで、右上に貼り付けてみた「今日見た瞬間」私が眺めた「動いている一瞬の景色」は、東京北千住で眺めた「雪どけの水滴」です。BGMは1950年にヒットしたSammy Kayeの"Harbor Lights"です。(ちなみに、iPod用のビデオ動画だとこんな感じです)
2006-02-10[n年前へ]
■アスリート向け「使い捨てカラーコンタクト」
「短波長の光をカットすることで、対象物が鮮明に見えるようにする」というナイキ社のアスリート向け「使い捨てカラーコンタクト」に関する記事(日本語記事)。「このアンバー色のレンズを装用すると、不穏な感じの赤みがかった恐ろしげな瞳になる。その赤い眼により(自分を)威圧的に見せ、勝負で優位に立てるメリットも…」という。しかし、その「不穏な感じの赤みがかった恐ろしげな瞳」は日本人の感覚からすると、普通の瞳に見える…気も。
そして、カラーコンタクトと言えば「カラーコンタクト品質にご用心 おしゃれ用、視力低下例」なんていう記事も。