2009-02-22[n年前へ]
■「向田邦子」と「有吉佐和子」
小林竜雄の「向田邦子 恋のすべて 」から
向田(邦子)と有吉(佐和子)は一度だけ接点があった。有吉の長編「針女」の脚色である。
向田は(「針女」の演出を行った)和田(勉)との打ち合わせの最中、一度も有吉の名を口にしなかったというのだ。……和田もこの異常なまでのかたくなさは何だろう、と私に言っていた。
2009-03-01[n年前へ]
■「……十年たったら、笑い話だ」
森達也の「視点をずらす思考術 」より
とても好きなドラマがある。向田邦子の「阿修羅のごとく」。…いろんな問題がひっきりなしに起きる。そしてそのたびに、騒動に巻き込まれた四人姉妹の年老いた父親が、唇を噛み締めながら、自分に言い聞かせるようにこうつぶやく。
「……十年たったら、笑い話だ」
p.174 十年後を想像すれば世界は広がる
僕だけじゃないしあなただけでもない。人は誰もが悩む。仕方がない。そういうふうに生まれついている。このときに人は視界が狭くなる。これも仕方がない。そういうふうにできている。でも十年後を想像すれば、きっと少しだけ視界は広がるはずだ。
p.175 十年後を想像すれば世界は広がる
2009-03-03[n年前へ]
■爆笑問題の太田光と向田邦子
爆笑問題の太田光が向田邦子について、NHKの「わたしのこだわり人物伝」で語った内容が詰まっている。「私のこだわり人物伝 (2005年6/7月) (NHK知るを楽しむ (火)) 」
2009-03-17[n年前へ]
■夏目雅子と阿修羅像
とても綺麗な顔をしているこの人が、”怒”の表情を見せたなら、それは恐ろしいほどに”怒”を写実的に表現した顔をするのではないかと、夏目雅子の写真を見るたび思う。柔らかな笑顔を見せる夏目雅子の顔を見るたび、そんなことをを考える。
よく見る夏目雅子の写真は奈良県・興福寺の阿修羅像の正面の顔とよく似ている。喜怒哀楽のどの表情とも言い難いような、けれど、澄んで美しい顔をしている。
奈良 興福寺の阿修羅像が左右に見せている顔は、一体どんな顔をしているのだろうか。そして、その表情は、夏目雅子のそれと似ているのだろうか。・・・と、そんなことを考えてみても、夏目雅子の色々な表情を知っているわけでないから、ただ、そんな空想にふけってみるしかない。
(向田邦子には)喜怒哀楽でいうと「怒」と「哀」はあると思う。しかし、本当の意味での「喜」と「楽」はなかった思います。
和田勉が「向田邦子をめぐる17の物語 」中で語ったこと
向田邦子という人についていろいろ書いてきて、いったい私はあの人のそんなに幾つもの顔を知っているのだろうかと、ふと考えてしまう。…多分、誰にも見せていた顔を、私も長い間ずっと見てきただけである。…そんなことから言えば、私などより特殊な人間関係、たとえばあの人に愛された人、憎みあった人、心配された人、可愛がられた人ーいくらもいるに違いない。あの人もそういう人の前では、激しく怒ったり、涙が出るくらい笑ったりしたはずである。
久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年 」
ずっと昔、とても好きだった人がいるの。私、その人の前では、誰にも見せたことがない表情をしていたと思う。今、そんな顔をしてみようとしても、どうしてもできないの。だって、好きだったのだもの。
久世光彦 「私があなたに惚れたのは」中の向田邦子の言
3月31日が待ち遠しくて、たまらない。上野、東京国立博物館で開かれる「国宝 阿修羅展」の阿修羅像、夏目雅子に似た正面の顔、そして、ふだん私たちには見ることができない左右の顔、それは一体どんな表情なのだろうか。それを見る人に、どんな感情を起こさせるのだろうか。
2009-03-19[n年前へ]
■阿修羅のごとく
「阿修羅のごとく 」オープニングより。
「阿修羅」とは、言い争いの象徴とされるインドの神のこと。表面的には仁義礼智信をかかげながら、実は猜疑心が強く、互いに事実を曲げ、他人の悪口を言い合う…。
「阿修羅のごとく 」
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