2011-01-30[n年前へ]
■続 歯医者さんの「うがい用カップ注水器」のナゾ
歯医者さんの治療椅子の脇にある「うがい用のカップ」、コップを置くとうがいをするための水や液体を自動で注ぎ始め、ちょうどよいくらいの高さまでくると(これまた)自動でストップするという水を注ぐ器具が気になり調べ始めました。歯科用の「蛇口」を商品カタログから探してみると、まずは右写真のようなタイプが見つかりました。これはコップがあるかどうかを検知して、所定時間水を注ぐ、という機能を備えたもののようです。こういったものを昔よく見たような気がしますが、先日見た蛇口はこういうタイプではありませんでした。
さらに調べて行くと、最近の注水装置はコップの中に入っている水の量を、光センサや超音波センサなどで取得して所定量を注ぐものが多い、ということがわかりました。私がしげしげ眺めたのは、そういうタイプだったというわけです。
ところで、歯医者さんの「うがい用カップ注水器」のナゾを調べている途中で見つけたのが、右に貼付けた「100年以上前の、歯科用注水器具を備えた器具の(特許用)図面」です。19世紀の昔から、こんな器具があったんだと思うと、何だか不思議な気持ちになります。
ところで、・・・この19世紀の歯医者さんに通う人たちは、どんな風に麻酔をかけられ、一体どんな器具や手順で歯を治療してもらっていたのでしょう?想像すると、ちょっとコワイような気がします。そして、未来の人たちが、今の歯医者さんを眺めたら、どんな風に見えるのでしょうか・・・。
2011-03-21[n年前へ]
■未確定な未来に対する不安や可能性
「プロ論。3 」での しりあがり寿 の言葉から。
もちろん将来に対する漠然とした不安はありました。でも、…不安は受け入れなきゃしょうがないと思ったんです。
やりたいことが見つからないと悩んでいる人も多いそうですね。でも、僕は無理に見つけることなんかないと思うんです。大事なのは、やりたいことが浮かんだとき、それができる状態にしておくことです。
2011-04-26[n年前へ]
■無意識に行う「過去と現在と未来の重ね会わせ」
加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ 』あとがき から。
歴史をつかさどる女神クリオは、女神のうちで最も内気で控えめで、めったに人にその顔を見せなかったといいます。…歴史とは、内気で控えめでちょうど良いのではないでしょうか。
私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについてその時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。
このようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。
多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。
2011-05-04[n年前へ]
■「人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまう」
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』から。
(アーネスト・メイは)こういう問いを抱きました。…アメリカのなかで最も頭脳明晰で優秀な補佐官たちが制作を立案していたはずだった。その彼らはなぜ泥沼にはまるような決断をしてしまったのか。
…自らがこれから判断しなければならない問題を考える時…歴史のなかから類推例を必死に求めようとします。過去の人々はどうやっていたのだろうか、あのとき政府はどうやったのだろうか、と。しかし、その過去の歴史について、真実がすべて明らかになっているわけではなく、また人々が思い浮かべる過去の歴史の範囲はきわめて限定されてしまっている。人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまうものなのだ。
…これを逆にいえば、重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性が高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連づけられて、より多く頭に入っている人、ということになります。
2011-06-19[n年前へ]
■あなたの前にある「可能性」
すべてのページの 「右上あたり」には「n年前へ」というリンクがあります。これは、「その記事」が書かれた同じ日に書かれた過去や未来の記事へのリンクです。
私は、n年の過去を眺めれば、n年の未来を眺めることができると思っています。そして、「n年前」という言葉の中にある、「前」という語句をずっとうまく消化できないままでいます。…その言葉が指す「前」が2011年より以前にあるのか、それとも以降にあるのか…それは今だにわかりません。だから、「n年前へ」という言葉を、他の表現に置換できないままに、今に至ります。
子供たちが学んでいく姿が見えます。夢が現実になっていくのが見えます。私たちには見えます。小さな彼らの、大きな夢が。あなたの中にある無限の可能性が見えます。
We see your potential.
「ポテンシャルって何?」とたまに訊かれる。「すぐには見えるものじゃないけれども、何かが潜在的に持っている力、みたいな感じ」と答えることが多いような気がする。…「今は見えないかもしれないもの、だけど、あなたが持っている可能性と未来」が見える、そんなコマーシャル。
1人のお母さんの背中のたなびくマントや、ギターを弾く青年をいつかとりまく大観衆や、そして、年老いたウェイトレスが近い未来に大学を卒業していく姿を、そんな景色を眺めてみることが気持ち良い。
人の可能性や能力は無限にあるの。だけど、人には有限の時間しかないの。これって、面白いパラドクスだと思わない?
J.P.ホーガン
悪い解の近傍に陥らないように広範に探索すればずっと良い解が見つかるはず....。
"n年目前の"「集中化と多様化」から