hirax.net::Keywords::「森達也」のブログ



2006-11-09[n年前へ]

森 達也「その小さな世界で」 

 ページの間で、一行欠けてしまった。その部分はこう。

一人にしておくと哀しそうに鳴く。

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2009-02-24[n年前へ]

矮小化されない複雑な世界 

 森達也の 「視点をずらす思考術」より

 事件や現象はそんな一面的なものじゃない。もっと多面的なはずだ。…そしてその帰結として、事象や現象はかぎりなく単純化される。
 こうして、世界はメディアによって矮小化される。そしてこの矮小化された単純簡略な情報に慣れてしまった人たちは、複雑な論理を嫌うようになる。つまり胃袋が小さくなる。輪とはもう悪循環。わかりやすさを好む視聴者や読者によって、メディアは事件や現象の単純かを当たり前のようにこなし始め、そのスパイラルが加速する。

p.137 「人間が宗教を必要とする理由」

2009-03-01[n年前へ]

「……十年たったら、笑い話だ」 

 森達也の「視点をずらす思考術 」より

 とても好きなドラマがある。向田邦子の「阿修羅のごとく」。…いろんな問題がひっきりなしに起きる。そしてそのたびに、騒動に巻き込まれた四人姉妹の年老いた父親が、唇を噛み締めながら、自分に言い聞かせるようにこうつぶやく。
「……十年たったら、笑い話だ」

p.174 十年後を想像すれば世界は広がる
 僕だけじゃないしあなただけでもない。人は誰もが悩む。仕方がない。そういうふうに生まれついている。このときに人は視界が狭くなる。これも仕方がない。そういうふうにできている。でも十年後を想像すれば、きっと少しだけ視界は広がるはずだ。

p.175 十年後を想像すれば世界は広がる

2009-03-16[n年前へ]

人はどうしようもなく愚かだけど 

 森達也 「A2 」 より。

 人はどうしようもなく愚かだけど、これ以上ないほど素晴らしい。その思いだけは、きっとこれから先も変わらない。

森達也 「A2

2009-12-21[n年前へ]

僕らが見たつもりになっている世界 

 森達也の(小中高生に向けて書いた)「世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー (よりみちパン!セ) 」から。

 つまり物事は、どこから見るかで全然違う。なぜなら世の中の現象はすべて、多面的だからだ。
 わかりやすさは大切だ。学校の授業だって、わかりづらいよりはわかりやすい方が良いに決まっている。でもね、ここで大切なことは、僕たちが生きている今のこの世界は、そもそもとても複雑で、わかりづらいということだ。
 何かを撮るという行為は、何かを隠す行為と同じことなのだ。
 もう一度書くよ。僕たちはメディアから情報を受け取る。そして世界観を作る。でもそのメディアの情報に、大きな影響力を与えているのも僕たちだ。メディアが何でもかんでも四捨五入してしまうのも、その四捨五入がときには歪むのも、実際の物事を誇張するのも、ときには隠してしまうのも、僕たち一人一人の無意識な欲望や、すっきりしたいという衝動や、誰かわかりやすい答えを教えてくれという願望に、メディアが忠実に応えようとした結果なのだ。

 学生時代、写真館でアルバイトをしていた。結婚式の写真を1,2mmトリミング(切り取る)するだけで、ずいぶん違う写真に変わることに驚かされた。たった2人しか写っていない写真でさえそうならば、たくさんの人たちがいる世界を写したはずのものは、ほんの少しのトリミング次第で、どれほどに大きく変わってしまうものなのだろうか?



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