2003-08-28[n年前へ]
■生々しい写真
30〜35年以上前の写真は,単色であったり特定の色がとんでしまったりしているので,それが「時間」を感じさせる「お約束」の手法としてもよく使われるわけですが,これからはディジタルで保存されたりプリント技術も日進月歩でしょうから,20年経とうが50年経とうが,生々しく映像が残ってゆくのかなぁと思いました。白黒写真だけが存在していた頃は、もしかしたら白黒写真でさえも十分生々しく思えていたのかも、とふと考えた。そして、それと同じようにもしかしたらずっと先の未来では画期的な三次元写真なんかが出回っていたりして、今の二次元のカラー写真は「あまり生々しくて、古めかしく」見えていくのかも、なんてふと考えた。さて、どうだろう?
2003-09-20[n年前へ]
■オトナとコドモの境界線
オトナとコドモの境界線をひくとしたら何処に一体ひくだろう。十五才?二十才?それとも三十才?あるいは、人によっては自分より下がコドモで自分より上がオトナなんて線をひいてしまうだろうか?そもそもコドモって何だろう。きっと、それは単に「オトナになってない状態」のことだろう。だとしたら、オトナって一体何なのだろうか?
じゃぁ、というわけでまたもや新明解のページを眺めてみることにした。
自覚・自活能力も持ち、社会の裏表も少しずつ判りかけてきた人なるほど、「社会の裏表も少しずつ判りかけてきた人」がオトナなのである。しみじみと深い言葉なのである。何より先に「社会には裏表がある」という言い切ってしまうところがまさに新明解なのだ。新明解はきっと苦労を知っているのである。
そして、ここでいう「裏」とは、きっとネットランナーに掲載されるような「裏ツール」などで使われる薄っぺらい「裏」という言葉とは次元の違うものに違いない、と思うのである。コドモが思う「裏」とオトナの思う「裏」とは世界がきっと違って、きっと「映画のセットの裏」と「現実の街角の裏」くらい違うものじゃないだろか、と思うのである。
それにしても、オトナとコドモの境界線って一体どこにあるんだろう。
2003-10-07[n年前へ]
2003-10-15[n年前へ]
2003-10-28[n年前へ]
■政党間類似度や政党のイメージ二次元配置図
選挙が近づく今日この頃
「民主」と「自由」は近い位置、「公明」と「自民」、「民主」と「自由」がそれぞれまとまり、次いで「社民」、これらから遠くはなれて「共産」。 「公明」がプラス方向に、マイナス方向には「民主」・「自由」がくる。全般的に「自民党 v.s. 他の1政党」という識別の基準がうかがわれるなどとても面白い政党認知に関する調査。
■Powered
by yagm.net