2003-08-03[n年前へ]
■気持ちは景色の中にある?
「写真というのは、気持ちを投影するのだろうか?」という日記を読む。写真に投影されるのは気持ちではなくてやはり景色なんじゃないのかな、と思う。だけど、どういう風に眺めた景色を投影するか、どういう風に景色を切り取るかは撮影者の気持ち次第だから、写真のどこかに撮影者の「気持ち」が投影されているのかもしれないですね。少なくとも、「写真に写っている風景」は「誰もが眺めたときに見るだろう景色」ではなくて「その撮影者が見ている景色」なんだから。撮影者が切り取って残そうと思った景色なんだから。
2003-10-20[n年前へ]
2003-11-14[n年前へ]
2004-01-16[n年前へ]
■日記の本を開いてみたり、閉じてみたり。
本屋に行けば、色んな種類の「白紙のマイダイアリー」がたくさん平積みになっている。自分史を出したいという人も多いらしい。だから、自分の日記が一冊の本になるという「はてなダイアリーブック」のようなものはとても自然に違いない。日記のおまけならそれはあってもいい、に違いない
ところで、自分の日記を本にして、いつかその本を開く時には一体どんな気持ちで開くものだろうか。懐かしい気持ちで眺めるのだろうか、それとももっと違う気持ちで眺めるのだろうか。あるいは、その日記を閉じる時はどんな気持ちだろうか。そのかつての一年を閉じるような気持ちだろうか。そしてまた、日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、どちらが一体多いのだろうか?
と、車を運転しながらふと考えた。だけど、次の瞬間に気づく。考えてみれば「日記の本を開く回数」と「日記の本を閉じる回数」はほとんど同じだ。その本を開く回数と閉じる回数は、せいぜい一回しか違わない。その本を三回開いたならば、その本を二回か三回閉じることになる。七回転べば、六回か七回は立ち上がっているのと同じだ。日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、はたかだか一回の違いしかない。それはほとんど同じニアリー・イコールだ。
2004-01-20[n年前へ]
■「地図にない場所」
「男の隠れ家」という雑誌に少しハマっていたのは何年も前。その頃は、山奥や海が見える山中にある「男の隠れ家」を扱う雑誌がずいぶんと多かった。今では、そんな雑誌の扱う話もずいぶんと小さくなって、「男の小さな玩具」程度の雑誌が増えてしまった。それも、現実の経済事情を考えれば、まぁ仕方のない話だ。
山奥にある「男の隠れ家」ではないけれど、ガイドブックにも載っていない、地図にすら載っていないような隠し湯に憧れたりする気持ちを持つ人は多いと思う。つげ義春が歩くような辺鄙な温泉宿や、あるいは誰もいない山の中でぼぉっとしてみたいなんて思う人は多いハズだ。「地図にもない場所」だなんて、その響きだけで気になってしまう人だっていると思う。
「はてなアンテナ」というサービスを知ったのは一年少し前だったろうか。『「おとなりアンテナ」という機能があって、不思議なくらい自分の好みに合ったサイトを教えてくれるんですよ』と、ある人に教えてもらったのだった。そして、実際に使ってみると、サイトの好みの類似度から「好みに-近い-サイト」を計算するその「おとなりアンテナ」はとても面白く感じた。だから、しばらくして「はてなダイアリ」が始まった時、ベータテスターに応募してみることにした。「はてなダイアリ」を使い始めると、日記内のリンク(キーワードリンク)の類似度から、その日記に「近い」と想定される「おとなり日記」を算出してみたりする機能が付いてみたりして、その「近い」「遠い」を算出する手法と趣向には感嘆したのである。そのサイトの間の「距離」にこだわるやり方をとても面白く好ましく思ったのだった。そして、その頃にはてなの作成者が研究室の後輩であることを知った。
なるほど、測地学研究室という名前で、種々の測定手法で色々な箇所の位置を求め、種々の座標系の中にそれらの箇所を書き記したりするという研究室を選んだり、あるいはその中で時間をいくばくかの時間を費やしたのでであれば、「近い」「遠い」にこだわってみたり、「おとなりMap」を描いてみたりするのはとても自然に違いない。三角測量やGPS衛星を使って、色んな場所の位置や距離を求め、そしてそれぞれに適した座標系のもとで地図をつくる、という研究室にいたならば、「距離」を測って地図を描きたいと思うのが自然に違いない。GPS衛星ならぬネットワークロボットを使って、ネット上を測量し、色んな距離を測ってみたいと思うのだろう。そして、彼(彼ら)のあの伊能忠敬のような行動力であれば、これからも色んな地図を作り出して行くに違いない。
そんな、「色んな場所の地図を描きたい」という欲求は私にももちろんとても強くある。ひっそりと隠れている何かを誰の目に見えるようにしたい、という気持ちが強くある。そして、そんな欲求がある一方で、それと同時に「地図にはない場所」や「誰も知らない場所」に憧れる気持ちもやはりある。誰もいない「地図にない場所」に行ってみたいという気持ちも強い。色んな場所の地図を描いてしまえば、「地図にない場所」は減ってしまうだろうし、そこにはたくさんの人も訪れてしまうかもしれない。実際、私にはてなを教えてくれた人は、しばらく前にその人の「はてなダイアリ」を閉じてしまった。「ひっそりと隠れているつもりの日記」は消えてしまった。
まぁ、よくある言い古されたジレンマの話なのだけれど、ふと「地図にない場所」を好きな人こそ「地図を作ろう」としてしまうんじゃなかろうか、と思ったのである。そして、「地図にない場所」をなくしてしまったりするんじゃなかろうか、とふと思ったりしたのだった。