2003-08-31[n年前へ]
■10円でゴメンね
俺ぽーたる(ミス訂正…)で今日も種ともこの記憶を連想しつつ、つらつらと。
大学一年の頃、発掘のバイトで京都の長岡京市へ一月ほど通っていた。種ともこの実家の前も通ったりしていたのである。
ふと気づくと、長岡京駅近くのレコードショップに「長岡京が産んだロックスター 種ともこ」というチラシが飾ってあった。ワタシは「種ともこがロックスター?…それは少し違うんじゃ…?」と首をかしげたのである。「ロックでもないし、スターでもないんじゃ…?」と思ったわけなのだ。「ロックスター」という音の響きに思わず苦笑したのである。
いや、ワタシにとってはもちろんスターなのだけど。
2005-06-13[n年前へ]
■"The Musical Baton"
「音楽に関する質問に答え、その質問に答える責任を次の5人に廻す(pass the baton)」という"The Musical Baton"というのを渡されたようだ。 指揮棒と(リレー)のバトン(=責任)を掛けているのだろう。次の人へ責任を渡すようでもあるし、次の人を指揮棒で指すようでもあるし、あるいは、「その瞬間は指揮者になったつもりで自分の音楽を語れ」という感じだろうか。つまりは、「はてなダイアリーが選ぶ名盤百選」みたいなものである。ただ、大きな違いが、100曲という「終了条件」が付属しているかしていないか、である。
1人から次の5人という広がり、すなわち、5のべき乗を順に書いていくと「1 人 → 5 人 → 25 人 → 125 人 → 625 人 → 3,125 人 → 15,625 人 → 78,125 人 → 390,625 人 → 1,953,125 人 → 9,765,625 人 → 48,828,125 人 → 244,140,625 人 → 1,220,703,125 人 → 6,103,515,625 人」となる。13世代で世界のインターネット人口を突破し、14世代では地球の人口を突破することになる…。ということは、ほんの10世代程度遡れば、源泉に辿り着けるかと思ったのだが、あいにく途中で挫折してしまい、辿り着けなかった。というわけで、その目的を知らないままに、適当に書いてみる。
Total volume of music on my computer:
- 数MB
The last CD I bought:
-SHOW WA!-バラエティー・レボリューション: 「河内のオッサンの唄」はウルフルズにカバーして欲しい。
Song playing right now:
-BUMP OF CHICKEN 「車輪の唄」
Five songs I listen to a lot, or that mean a lot to me:
- Police "So Lonely"
- Men At Work "Overkill"
- The Beatles "We Can Work It Out"
- ユニコーン 「すばらしい日々」
- 種ともこ 「うれしいひとこと」
Five people to whom I'm passing the baton:
-Felice san, しまけん san, kaco san, 杏葉 san, ぽいんつさん
2006-01-07[n年前へ]
2006-01-24[n年前へ]
■「あなたが一番したいこと」
from mixi の 『他者の金儲けの途中でお金をとる「鵜飼い」業種』の原型.
これから、興味があること楽しいことが、たくさん見つかるのかもしれません。そんな「たくさんのもの」の中から、自分でどれを選んでいくんでしょうね?何が、「一番のお気に入り」になるんでしょうね?
うーん、「一番のお気に入り」って何でしょう? 私は多分、ずっと、その場その場で気に入ることをするのかもしれません。そして、もしも飽きたら、新しいところに行きたがるんだろうなぁ、と思っています。 どうでしょ?
私も「ずっと、その場その場で気に入ることをする」感じかもしれません。 自分が一番気に入ることを続けた結果、一番最後に浮かび上がってくるものは(今の自分自身には)まだよくわかりません。…けれど、もしかしたら、他の人から見れば、かすかに見えていたりするのかもしれません。
「浮かび上がってくるもの」は、「他人から見た自分」のような感じがしますね。それは、もしかしたら、死ぬまで自分では見えないかもしれない。 けれど、でもその「浮かび上がってくるもの」が、どのような気持ちで描かれているかとか、どうやって描いたのかを知っているのは自分だけ。 それは、不便なような、だけど、面白いような。
数字がバラバラに書いてあって、その数字を順番になぞっていくと最後に絵ができるヤツってあるじゃない?バラバラだったりしても、途中で間違っているように思えたりしても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりしたらそれで良いじゃないのかな?って時々思ったりするの 種ともこ@どこかの学園祭
2007-08-31[n年前へ]
■n年前へ
因果関係の「因」は、因縁生起の「因」だ。と、ふと感じたのは、n年前の景色を眺めたからだ。
長岡京駅近くのレコードショップに「長岡京が産んだロックスター 種ともこ」というチラシが飾ってあった。20年前の春、始めて長岡京に行った。第九を歌うために、西友の横の路地を歩いて長岡京市民ホールへ行った。
それまでは、300 bpsのカンサス・シティー・スタンダードならぬ、1200bpsのサッポロ・シティー・スタンダードで、茶色い磁性体テープのカセットテープレコーダに刻まれた"パッチもん平安京エイリアン"の長岡京エイリアンと、「マンガ日本の歴史」の中の数ページで描かれた長岡京しか知らなかった。つまり、何の印象もなかった。
しかし、未来に向かって「続く」ものであるということが、かろうじて種々のマイナスを乗り越えうる契機を秘めているのだ。
その年の冬は、試験シーズンの大学にも行くこともなく、毎日のように長岡京の発掘現場に通って土を削った。その後、長岡京で暮らす人たちや、長岡京に超してきた人たちに会い、今に至っている。