hirax.net::Keywords::「過去と未来」のブログ



2006-10-04[n年前へ]

"INFNITE LOOP" 

Title 右の写真は、サンノゼのAppleのキャンパスで撮ったもの。そして、下の言葉は「 n年前へ」…からです。

 私は、「過去」と「未来」はニアリー・イコールだなぁ、と思うことがあります。自分の視線の「前に「拡がる未来の世界も、今の自分の「前に」横たわっていた過去の世界だって、やはりどちらも「自分の前」にある世界なのですから…。それに、自分が「新しい」と思う未来の世界はもちろんのこと、記憶の中の過去だって「理想化」された(実は誰も経験したことがない)「未体験ゾーン」だったりしますし。

 そんな風に、未来が過去と同じなら…、私たちは過去と未来の間の「無限ループ」のメビウスの輪の上をグルグル回っているようなものなのかもしれません。けれど、それでも、その瞬間瞬間に「前へ」進んでいる…と思っている時は「結構、いいよね」とも思います。

やったこと全てが上手くいくなら、十分に挑戦してないってことさ。If everything you try works,you are not trying hard enough. GORDON MOORE
もし、あなたがそこで一番賢い人だとしたら、あなたは間違った場所にいる。If you are the smartest person in the room,you are in the wrong room. Alan Kay

2007-10-04[n年前へ]

「過去」と「未来」 

 「過去」と「未来」自分が新しいと思う未来の世界と「理想化」された記憶の中の過去はニアリー・イコールだ、と思うことがあります。
 もし、あなたがそこで一番賢い人だとしたら、あなたは間違った場所にいる。
 これからの自分の前に拡がる未来の世界も、今までの自分の前に横たわっている過去の世界も、どちらも「自分の前」にある世界です。
 そんな風に、未来が過去と同じなら、私たちは過去と未来の「無限ループ」のメビウスの輪の表面にいるのかもしれません。
 やったこと全てが上手くいくなら、十分に挑戦してないってことさ。
 何度でも 何度でも 何度でも 立ち上がり呼ぶよ

2007-12-27[n年前へ]

年表形式のinside out::timeline 

 inside out コンテンツを年表形式で眺めることができるページを公開しました。マウスで年表を左へ右へ動かせば、タイムマシンのように過去と未来の間を行き来することができます。こういった「年表」は個人日記用途がもっとも相応しい、のかもしれません。

 SimpleのTimelineで、スクロールイベントに追加したリスナーがサーバからJSONを読み込んで、スクロールに合わせて記事を逐次追加していくという具合になっています。

timeline






2008-03-28[n年前へ]

「物語が語られる順序」と「因果関係」 

 「ゲームの右と左 マリオはなぜ右を向いているのか」という「上手と下手」に関する記事を読んだ。こういった、上手・下手もしくは左・右といった辺りのことは、スライド・デザインにおける「上手と下手」、もしくは、「上手と下手」のブログで調べたこと・感じたこと・書いていることから、特に自分の中で変わっていることはない。

 けれど、左右や上手・下手という軸でなく時間軸というものを考えると、たとえば、物語が語られる時間軸というものについて考えると、いくつも新しく感じたこと・納得したことがあった。そのひとつが、北村薫「ミステリは万華鏡」(集英社文庫)の中で語られていた「順序」というものである。

 最も簡単な物語の語り方は、はじまりから始め、物語が終わるまで、あるいは聞き手が寝るまで話すというものである。
   「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ

 「物語が語られる時間軸」というのは、物語が時間軸のどの地点から始まり(読者に対し語られだして)、どの時点に収斂していくか 、ということである。もしも、いたって原始的な物語であれば、背景から話を始め、原因・過程を話し、そして結果を話すことになる。

 あるいは、その逆に、たとえば推理ドラマであれば、まず冒頭で、「事件が起こる前・過去」と「ぼやけた形で描かれる事件が起こった瞬間」が描かれる。そして、そのあとの物語は、その瞬間・時点へと逆に遡っていくのが普通である。つまり、結果から原因・背景へ向かっていくのが通常のミステリの「方向性」である。
 語りの順序における斬新な実験の例として思いつくものは、ほとんどが犯罪や悪行や道徳的・宗教的な罪に関するようなものである。
   「小説の技巧」(白水社)ディヴィッド・ロッジ
 だからこそ、たとえば刑事コロンボの場合は、その物語が語られる時間方向性が、原因→結果という時間の流れそのまま、というところに「意外性」があったわけだ。

 北村薫は「語りの順序が、現在→過去というように流れる物語」に関して、このようなことを書いている。内容を抜粋するために、少し書き方を書き直すならば、それはこのようになる。

 ピラミッドを逆さまにしたように、最後に「出発点・背景」が描かれれば、その一点は、物語の冒頭から語られた「それ以降に起こったこと」のすべて重みがのしかかる。そして、出発点はその重みに歪み、過去と未来のコントラストは、ますます鮮やかになるのだ。

 「普通人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言ったのは心理学者の河合隼雄で、「人は、因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子だ。

 彼らの言葉を、「物語が語られる順序」と「因果関係」が描かれたパズルのピースを並べようとするなら、どんな風に人は並べたがるものだろうか。あるいは、そんなピースに描かれた模様は、人によってどのように違って見え、どのように違って組み合わされるものだろうか。



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