hirax.net::Keywords::「道」のブログ



2008-01-01[n年前へ]

未知の道が続いている 

久々のできるかな?を書きました。『「海面に写る太陽」の不思議 -初日の出と足元に広がるミステリー-』です。

 私たちが眺めている景色には、「たくさんの不思議」が満ち溢れている。私たちの目の前に転がっている小さなミステリーを解決しようと、その未知のものに一歩足を踏み入れた途端、ただひとつの例外もなく、その奥にはさらに未知の大きな世界が続いている。それは、何だか元旦と新年の関係に似ているように思う。元旦になった今日、新しい未知の一年が始まる。私たちの足元から水平線の先へ、未知の道が続いている。

2008-02-13[n年前へ]

若狭 小浜の海 に行く 

 米大統領選の民主党候補選で知名度を上げたオバマ上院議員と似てる名前、NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台、そんなこんなで「小浜」の名前をよく聞く。

 学生時代、よく小浜へ行った。京都市は太平洋からも日本海からも、そのどちらにも同じくらいの距離に位置している。南の海も北の海も同じくらいの距離にあるけれど、太平洋を見に大阪湾を眺めに行くよりも、日本海をの波を見に若狭湾へ行く方がいい。だから、京都から海を見に若狭湾へ行く人は多かった、と思う。

 京都から比叡山の麓、大原を抜け、若狭街道を車で3時間も走れば、小浜に着く。京都の北部の山中を走る若狭街道を、ただ走るだけで小浜に着く。 この小浜と京都を結ぶ若狭街道は、「鯖街道」とも呼ばれる。かつて若狭湾から京都へと鯖を運んだ道を鯖街道と呼び、若狭街道はそんな鯖街道の一つだ。 だから、京都から小浜へ行くまでの間には、時折、昔ながらの町並みが姿を現す。

 若狭小浜は、海沿いに道があって、その道沿いに家が並んでいて、それが繋がり集まり小さな町になっている、そんな海に面した小さな町だ。曲がりくねった道の隣にはいつも海が見え、その海の先にはいつも走る道の先が見える。そんなよくある日本の海沿いの町だ。

 冬から春先にかけての若狭湾の海は、とても澄んでいて綺麗な青碧色をしている。暖かい夏になるともう少し濁った色になる。いつかまた小浜の町に行ってみよう。

若狭湾鯖街道






2008-03-20[n年前へ]

「町の甍の乱反射」と「乱反射する友人」 

 日が傾いた時刻に、波立った水面を眺めると、水の上に輝く道が見える。川面・海面・湖面に太陽が足元から陽の方向へ、一直線につながって見える。そんなことを『「海面に写る太陽」の不思議』で書いた。その後、住宅街を見下ろしても、やはり、そういう「道」が見えた、という話を読んだ。

 丘に上がってみると、眼下の住宅街の屋根の群れが細長く光っていた。海で日没を見る時のように太陽から道が伸びて見えている。

   「甍の波と

 日が傾き始めた頃、高台に上って町を眺めてみた。すると、住宅街の屋根で日の光が乱反射し輝いている。その輝きは、住宅街の向こうにある河口の上、そしてさらに、海の先まで続いている。屋根の傾きに傾向はありつつも、やはりさまざまな方向を向いていて、いろいろな方向を向いた屋根が太陽の光を色んな方向に光を跳ね返している。あぁ、確かに、海も河口も町の景色も、みんな同じように乱反射した光を返している。

 そういえば、『黄金の日日』や『落日燃ゆ』などを書いた城山三郎は「乱反射」というものが好きだった。城山三郎のいくつかの随筆を読むと、自分が思うことをそのまま写し返す鏡のようなものでなく、乱反射するものの方を好ましいものだと何度も書いている。

 考え方も色々なことを言ってくれて、乱反射する友人とでもいいますかね。

   城山三郎
 住宅街の屋根や水や風が作る乱反射面を見ていると、ふとそんな言葉を思い出す。そして、屋根の向きは、やはり南北向きが多いのだろうか、とか些細なけれど生活に密着しているはずのことに想像を巡らせてみたくなる。

 これまで特に意識することもなく眺めていた町の景色、光る屋根の瓦にも、きらめく水の小波にも、光学や統計学といったものが、その姿を見え隠れさせながら、幕の内弁当のように箱にギッシリ詰められている。

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2008-07-04[n年前へ]

Pain is temporary. Film is forever. 

 バック・トゥ・ザ・フューチャーを撮影する時に、マイケル・J・フォックスとロバート・ゼメキスが苦痛を伴うミステイクのたびに言い合ったという「痛みは一瞬。映画は永遠」は、1987年公開の青春コメディ映画「タイムリミットは午後3時」の中の台詞だという。この映画のストーリーは、全然イケてない主人公が、不良と決闘をする事になってしまう。そんな登校から放課後の決闘までのほんの数時間を音楽に合わせ軽快に描く、というものだ。この映画のレビューを眺めていると、こんな一節に出会った。

And on top of everything else, it teaches those savvy enough to seek it out a very important life lesson:

Pain is temporary. Film is forever.

 (長々と書いた)そんなことより何よりも、この映画は生き抜くためのコツを見つけるために大事なことを、こんな風に教えてくれる。

痛みは一瞬。映画は永遠。

Back to the Future いえば、第一作目の最後のセリフもとてもいい。(映画中で冗談の対象として使われた)ロナルド・レーガンが年初の一般教書演説で引用し語ったこの言葉はとてもいい。

As they said in the film Back to the Future, where we’re going, we don’t need roads.
映画"Back to the Future"のセリフのごとく、「私たちが行こうとする先に、道は必要ない」のです。

2009-12-31[n年前へ]

NEWS今昔物語 「Back to the Future」編 

 「NEWS今昔物語」は、5年ほど前にYukiWikiを介して編集者に渡し、さらに編集者の方の手直しを経て、公開していたものです。

 その元原稿の再公開作業を、昨日で終えることができました。ある程度自動でYukiWikiのバックアップ・データを自動変換処理はしたものの、やはり、少しの手直し作業が発生してしまいました。

 けれど、大晦日を前にしてようやく、このサイトにデータ統合させ、「NEWS今昔物語」という形で、このサイト上で公開させ終えることができました。

Roads? where we're goin'to, we don't need...roads.



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