2007-08-21[n年前へ]
■コメント文の入力ミス
Railsで「Wiki+画像処理」アプリを組んでいると、C++(と少しのRuby)で画像処理部分を書き、RubyとJavaScriptとCSSでデータ管理とWEB表示を書く、という作業になる。こんな作業をしていると、「コメントの入力ミス」でエラーが出ることが多い。つまり、
// あとで書く # とりあえず /* こんな感じ */なんていう書き方を間違えてエラーを出してしまうことが多い。C++やJavascriptで # hogehoge なんて書いてしまったり、Ruby で // hogehoge なんて書いてしまったりする。
それぞれの言語がまだよくわかわっていないし、簡単な内容しか書いていないので、「プログラムっぽい」部分の違いで困るということはなく、単にコメント文で間違えてしまうようだ。あるいは、口で喋るようにスムースにタイプできるのが「コメント部分」だけで、それ以外の箇所は考え考えタイプしているせいなのかもしれない。
発想は豊かでないけれど、他の人を丁寧にサポートできる人」…やはりその人たちはスゴイ人だと思う。
2008-08-03[n年前へ]
■評論は何もできない実装しない人にまかせとけ
それが、ハードウェアでも、ソフトウェアでも、対して違いはない。「可能な条件下で作る」ただそれだけだ。実装する立場になってみれば、評論家・解説者みたいな曖昧で一般的な言葉は絶対に出てこない。たくさんの「条件」が決められてしまえば、嫌でもその条件に応じた最適解が決まってしまうものだ。そんなものだ。
評論なんか何もできない実装しない人にまかせとけ。実装して、その動いた結果が全てだ。上手く動けばオッケーだし、上手く動かなきゃ、上手く動くまでやるだけだ。
Iram Amayoa.
2009-03-17[n年前へ]
■短いフレーズやスローガンへの違和感
森達也の「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 」から。
現実と虚構の皮膜を漂流するドキュメンタリストだからこそ、短いフレーズやスローガンを掲げて拳を突き上げることへの違和感をどうしても払拭できない。
森達也 「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 」
2009-06-26[n年前へ]
■「コメント」と「想像力」
鴻上尚史の「“祖国なき独立戦争”を楽しむために―ドン・キホーテのピアス〈10〉 (ドン・キホーテのピアス (10)) 」から。
すべてのものは、コメントし得ると、国民が思い込んでしまったのは、いつの頃からなのでしょうか?
世の中には簡単にコメントできないことがある。そう気づくのは想像力の問題です。
2009-12-23[n年前へ]
■メディアの形態
永江朗「メディア異人列伝 」から。
日本の新聞には「なぜ」がなく、あるのは事実の羅列だけ。一つの記事が短く、長い記事は共同執筆になってしまう。
「メディアが突出して悪いわけじゃない。メディアは鏡みたいなもの。僕らが望むからテレビや雑誌はこういう形態になっている。」
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