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2009-03-02[n年前へ]

食べること・生きること 

 週刊SPA! 鴻上尚二 ドン・キホーテのピアス「『おくりびと』を観て、文化の力を感じた」より

 映画(おくりびと)には、じつにたくさんの食事シーンが出てきます。
 それは、「死」の対極にある行為、つまりは生きていくための行為です。
 そして、じつは生きていくことは、他の生物の「死」を食べる行為なのだという、やはり私たちは「死」から逃れられないのだ、ということを教えてくれる大切なシーンなのです。
 ふぐの白子を焼いて食べるシーンも、フライドチキンを黙々と食べるシーンも、生きるとは何かを教えてくれます。じつに象徴的なシーンです。

2009-05-13[n年前へ]

「どうだろうねえ」 

 今週のSPA! 鴻上尚史の ドン・キホーテのピアス 715 「忌野清志郎 さんが亡くなってしまった・・・」より。

 初めてお会いしたのは、もう25年ほど前です雑誌の対談の企画でした。・・・実体験を元に作詞するのなら、有名になってしまって、どうやって次の名作を生むのでしょうか、そんな質問をぶつけました。
 清志郎さんは、「どうだろうねえ」とのらりくらりと僕の質問をかわし続けました。後から読めば、暑すぎるインタビュアーと決して本音を語らないアーティストの見事なぐらいすれ違ったインタビューになっていました。
 清志郎さんは、そもそも本音を語るつもりがない、という感じでした。本人は口下手と言っていましたが、それより、「んなこと、熱く突っ込まれても、君にそもそも言う義理はないし」というような感じでした。



 自分自身のスタイルを「のらりくらり」とすることで貫いている人はいいな、と思う。一見、器用のようで、実は不器用で「器」に填まらず、けれど「用」を為す、それはいいなと思わせる。

2009-06-26[n年前へ]

「コメント」と「想像力」 

 鴻上尚史の「“祖国なき独立戦争”を楽しむために―ドン・キホーテのピアス〈10〉 (ドン・キホーテのピアス (10)) 」から。

 すべてのものは、コメントし得ると、国民が思い込んでしまったのは、いつの頃からなのでしょうか?
 世の中には簡単にコメントできないことがある。そう気づくのは想像力の問題です。

2010-04-01[n年前へ]

若い人の前で恥をかくのを辞さぬ大人は偉い! 

 週刊SPA! 鴻上尚史 「ドン・キホーテのピアス」 No.759 「若い人の前で恥をかくのを辞さぬ大人は偉い!」から。

 本当は、頭と体が硬直しそうになる年齢ほど参加した方がいいと思うんですよね。でも、大人は、参加しません。どうしてでしょう。若い奴の前で恥をかいてはダメだと思うのでしょうか。
 「演技」をさらい直すワークショップに、「演技はしたことがないんで、ものすごく恥ずかしいんですけど、がんばります」とボソボソ語りつつ、若い人の中に混じってジャージ姿になって参加していた人が、「ルーキーズ」「時効警察」「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」などを撮った塚本連平監督だったことを受けて。
 僕が演劇以外のジャンルにいそいそと出かけるのは、もちろん、根が落ち着きがない、ということもありますが、演劇だけをやっていると、どんどん権威になっていって、先生と持ち上げられて、恥をかきにくくなるからです。



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