2004-11-18[n年前へ]
■ドラえもん犯科帳
池波正太郎が好きで、なおかつドラえもんも好きである、という人の、さらにその一部の人を対象としたドラえもん犯科帳「あの『ドラえもん』を、あの池波正太郎が書いたらどうなるか、をシミュレートしたもの」
池波正太郎の筆はもちろん「しずかちゃんの入浴シーン」を描いている。描いているどころか、少なくともこの池波正太郎は延々としずかちゃんの入浴にまつわる物語を書く。「せりふを含めて、ストーリーにはほとんど手を加えていない」という池波正太郎のドラえもんは「ドラえもん@フランス書院」と言われても、納得するかも。 from sawamurapid0309
一瞬、(のび太は)足をとめ、女ざかりの凝脂がみなぎりわたっているしずかの肩から喉もとのあたりへ、じろりと視線を射つけた。 平常は青みがかるほどに白い肌へ、あざやかな血の色が浮かび、肩のあたりに二つ三つ散っている黒子を見ていると、のび太は思わず欲情をそそられてくるのだ。(どうにもたまらねえ躰をしていやがる‥‥)
2005-01-02[n年前へ]
■「自分を単純作業の機械にする」文化
void GraphicWizardsLair( void ); //の「PublishingSoftware 講談社はLightWayTextとInDesignで組版」から
「自分を単純作業の機械にする」という文化に激しく抵抗感があった。デザイン系の人は、手や指で反復作業をすることにあまり苦痛が無い人が多いのかも。デザイン系だけでなく、師弟伝承「ものつくり文化」はこの単純作業スパイラルに陥いりやすい。それが、特別に訓練が必要な作業であればともかくも、とりたてて特別なところのない(あるいは比較的容易な)単純作業の繰り返しに対してこの「単純作業スパイラル」が向けられることも多い。恐ろしいのは、教える側も教えられる側も、この「自分を単純作業の機械にする」という文化に心酔(あるいは他の文化を知らないのだろうか)していることが多いことだ。人間はロボットじゃないのになぁ…。
下記のリンクは、「ドラえもん〜ロボットらしく、ロボットらしくなく」「ロボットは安心を創造するか」「人を楽にする作業」です。
2005-06-18[n年前へ]
■「3つの質問」その3
何人かの「3つの質問」への答えを拝見させて頂きました。ドラえもんタイプ・ブラックジャックタイプ・笑うセールスマンタイプ…、色んなタイプがいらっしゃいますね。
2006-05-17[n年前へ]
■「ドラえもんになりたい人が(潜在的)技術系の人だ」
今日の「n年前へ」は『たくさんの「ドラえもん」と「のび太」たち』「今日見た景色」などです。
もし勝手に今日だけの「オレ定義」をしてしまうなら、(少なくとも一瞬でも)ドラえもんになりたいと思ったことがある人を(潜在的)技術系の人だということにしよう。
2008-03-16[n年前へ]
■「小学一年生」の「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」
30代の終わりも近ついているに関わらず、「小学一年生」を買ってしまった。小学一年生ということは、つまり、6才くらいのこどもが読む雑誌を買ってしまったということである。
それはもちろん、今月号の「小学一年生」付録「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」が欲しくなってしまったからだ。掌に取り付けるだけで、どこでもいつでもメロディを奏でることができる ドラえもんPresentsの「ゆびピアノ」がとても面白く。楽しそうだったからだ。
指(ゆび)先にスイッチを取り付けて、指先で何かを押したり叩いたりすれば、思った通りの音程を奏でることができる。これは、まさに「ユビキタス・ピアノ」だ。「指先(ゆびさき)」と「ユビキタス」は音が似ているだけだけれど、実は結構同じものだと、(少なくとも)その瞬間に思ったのだった。
ドラえもんが作った「ゆびピアノ」指先のスイッチを的確に押すためには、少しの慣れも必要だ。しかし、1,2回練習すれば、そのコツもすぐに掴むことができる。ためしに「チューリップの歌」の冒頭を弾いてみた動画を、下に貼り付けてみた。掌に「巨人の星」の大リーグボール養成ギブスのように張り付いている物体が、「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」である。
この「ドラえもん どこでも ゆびピアノ ドレミくん」は「ずっと、むかしに小学一年生だった大人」の心を、とても惹きつける付録だと思う。きっと、昔子供だった大人たちは、500円玉と50円玉を一枚づつ掌に握り、近くの本屋さんへ駆け出したくなる。そして、何ともチープなメロディを奏でてみたくなるに違いない。
小学一年生のこどもでなく、二十歳も過ぎたあなたにこそ、この「ゆびピアノ」は似合うと思う。