2009-02-17[n年前へ]
■久世光彦から見た向田邦子
小林竜雄の「久世光彦vs.向田邦子 」という本を見かけたので、買って読んだ。朝日新聞の記事「姉を慕い続けた少年ジャック」の準備作業をきっかけに書かれた本だ。
特にその中でも、向田邦子が久世光彦のエッセイを、彼に対しただ一回だけ褒めた時のことを彼が書いた文章、クロワッサン (1980/07/25)の「向田邦子さんのこと」を魅入られるように読だ。向田邦子は久世光彦のエッセイを(久世光彦に)「ペダンチック」で嫌いだと言ったが、このエッセイ「向田邦子さんのこと」だけは久世に対して絶賛を惜しげもなく贈ったという。久世は「自分のことを褒めた文章ならいいのか!」と苦笑いしながらも、そんな向田邦子の身勝手さも好きだったという。
あの女らしさが好きなんです。
シナリオにしてもエッセイにしても隅から隅まで女なんです。……きっと、女の浅ましさとか嫌らしさ、逆上とか嫉妬、そんなものをちゃんと人並み以上に持ち歩いている人なのです。だから、一番女らしいと思うのです。
久世光彦 「向田邦子さんのこと」
あの人のドラマを撮っているとき、いつも女は嫌だなと思いながら撮っています。…でも、いつの間にか女って可愛いな、女ってやっぱりいいなと思っているのに気がついて、腹が立ったり苦笑いしたりしています。そんなずる賢い、いかにも女らしさも好きなんです。
久世光彦 「向田邦子さんのこと」
久世光彦の目を通すと、本当に向田邦子を好きになる。この不思議な感覚は男女関係なく感じるものだろうか、それとも、もしかしたら感じ方に違いがあったりするのだろうか。
2009-02-18[n年前へ]
■ウソで隠した迷い
高島俊夫の「メルヘン誕生―向田邦子をさがして 」より
この「手袋をさがす」のなかで向田邦子は自分のことを「十人並みの要望と才能」と言い、また「貧しい才能のひけ目」と言っている。これははっきりウソである。向田邦子は、自分に関して、そんなことはこれっぱかしも思ったことはなかろう。
彼女は、「自分には才能がある」と思っていた。平凡な家庭主婦になるのは宝のもちぐされである。どこかに自分の才能を発揮する場があるはずだ。ーこの考えが一貫して彼女の中にあった。
「潰れた鶴」
向田邦子の「あ・うん 」より
おとなは、大事なことは、ひとこともしゃべらないのだ。
「やじろべえ」
2009-02-19[n年前へ]
■ぐしゃぐしゃに積んだ将棋のコマ
向田邦子の「あ・うん 」より
「ほら、将棋のコマ、ぐしゃぐしゃに積んどいて、そっと引っぱるやつ」
「おかしな形はおかしな形なりに均衡があって、それがみんなにとってしあわせな形と言うことも、あるんじゃないかなあ」
「ひとつ脱けたら」
「みんな潰れるんじゃないですか」
「やじろべえ」
2009-02-20[n年前へ]
■騎兵の気持ち
向田邦子「眠る盃 」より。
人間はあまり高いところに住まないほうがいいな、と思った。なるべく地面に近いところに立ち、人と人はおたがいに同じ高さでつき合った方がいい。全く根拠のないことだが、歩兵の方が人間的で、騎兵はすこしばかり薄情なのではないか。
「騎兵の気持ち」
2009-02-21[n年前へ]
■変わらないものもあるわよ
小林竜雄の「向田邦子 恋のすべて 」を読み直していると、こんな一節に出会う。
向田がTVドラマ「幸福」で最も好きな人物は素子だったという。(中略)素子とは、元素の”素”のことだ。万物の原型である。
TVドラマを「幸福」を小説に書き下ろした「隣りの女」収録の「幸福」では、素子が主人公の物語に変わっている。
変わるものもあるけど、
変わらないものもあるわよ。
「幸福」
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