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2001-07-07[n年前へ]

星に願いを 

 七夕と言えば笹、笹と言えば竹、そして竹と言えばかぐや姫。そんなかぐや姫はまるで宇宙人みたい、と誰もが思う。かぐや姫は天のどこに帰ったかと言えば、それはヴェガに決まってる。
 そうでなければ、アルタイル、だ。
 天にいるはずのかぐや姫に願いごとは届くのでしょうか?

2001-07-31[n年前へ]

水平線の彼方 

Over The Horizon

 先日、富士の五合目から地平線を眺めていたのだけれど、そこで「水平線の向こうには何があるのだろう?」なんてことをふと頭に浮かべてしまった。「そこまでしか見通せない」という線が水平線なのだから、もちろん水平線の向こうに何があるのか見えるわけがない。だけど、だからこそ「その水平線の向こう」に何があるのかが、少しばかり気になってしまった。
 


 そういえば、少し前に英和辞書を読んでいた時に、" on [over] the horizon"で「兆しが見えて,将来起こりそうで」を意味する、なんて書いてあった。「水平線の向こう、水平線の彼方」にある「何か」は「将来起こりそうな、何かの兆し」というわけだ。
 あぁ、そうかぁ、と私は思わず納得してしまった。確かに、水平線の向こうに例えばもし何かの波があれば、それはきっといつか私たちの目に見えるようになって、そして私たちの足元にまで辿り付くことだろう。水平線の向こうにある波は止まることなく進み続けているのだから、例え水平線の向こうにあっても将来必ず私たちの場所まで辿り着くのである。

 もちろん、水平線の向こうにある波を私たちが見通すことはできるわけはないのだけれど、だけどその気配を私たちはきっと感じるのだろうと私は思う。「水平線の彼方」にあるものは、「将来起こりそうな何かの兆し」であって、水平線の向こうにいるその気配には強い存在感があるはずだろう。
 

 そんな「水平線の彼方にある波」を考えるとき、私はこんな話を思い出す。
 

 地球はよく「水の惑星」と呼ばれる。確かに、そう呼ばれるくらいに地球には水が溢れている。何しろ、地球の表面積の七割が海なのだ。しかし、そうは言っても、地球の表面が全部水に覆われている、というわけではない。私たちが生活している陸地だって、「残りの三割だけ」とはいえちゃんと存在している。

 それなら、表面全部が水で覆われている「水の惑星」がもしもあったとしよう。そんな水の惑星のどこかで高い津波が生じたら、一体どうなるだろう?例えば、その水の惑星の南極である日突然津波が生じたとしよう。その時その津波はどんな風に伝わっていくだろう?

 その津波の動いていく様子を図示してみたのが、下のアニメーションだ。

南極(下)で発生した波は一旦小さくなるが、
北極(上)で再び大きくなる
 
 南極(図の下部)で発生した津波は進むに従って、段々と小さくなっていく。最初は南極の一点に集中していたエネルギーが段々と広がって拡散していくのだから、波が進んでいくにつれその高さはどんどん低くなる。そして、赤道を通過する頃には津波の高さはとても小さくなってしまう。

 ところが、その波が赤道を過ぎたとたんに津波は逆に強まりはじめる。赤道を通過した後は、津波の前方はだんだんと狭まっているので、こんどは津波のエネルギーが集まり始めるわけだ。それまでは、低くなる一方だった津波の高さは、今度は逆に徐々に高くなっていく。そして、ついに津波が北極に辿り着く時には、かつて南極で津波が発生したときの高さを再現してしまう。生まれた地点のちょうど反対側で、津波が生まれたときと全く同じ高波が発生するのである。

 私たちの裏側で津波が発生したとしても、その津波は徐々に小さくなりながら進み続け、そして私たちの足元でその津波は再び大きな高波となるのである。そして、その津波はその後も同じように進み続けて、また南極で大きな高波となる。南極から発した高波がもう一度南極に集まってまた高波となるとも言うことができるかもしれないし、あるいはそれは、北極で集まった高波が南極で集まってもう一度同じ高波となる、とも言えるだろう。

 自分と正反対の場所で生じた波が自分の足元まで辿り付いて、生まれた場所と正反対の場所で生まれた時と同じ大きな津波になっているということを考えると、どうしても不思議な感覚に襲われる。そして、自分と正反対の場所で自分の足元で生じているのと同じ高波が生じている、ということもまたちょっと不思議だ。まるで、自分と正反対の場所に「もう一人の自分」がいるみたい、だ。「もう一人の自分」が、自分からは見えない水平線の向こうにいるなんてちょっと面白い感覚だ。

 そしてまた、「水平線の彼方にある波」はそれと似たこんな話も思い出させる。
 

 宇宙の曲率が正で閉じた球状空間だった場合、私たちが発した光はどうなるだろう? 私たちからどんどん離れて行く光は空間の四方に広がって行くが、何時の間にかその光は徐々に近づき始める。そして、はるか彼方のある一点でその光が集まり、そしてまたその光は広がり始める…。そしてついには、その光は私たちのいる場所に集まり始める。私たちを取り囲む全ての方向から、かつて自分が発した光がやってくることになる。

 かつての自分があらゆる方向に見え出すのである。


 水平線の彼方には何があるのだろう?水平線の向こうを見通すことは、私たちにはできないけれど、遥か彼方にいる波は「将来必ず私たちの足元に訪れる」。そして、もしかしたらそれは「かつての自分が発した波」かもしれないし、「どこか自分と正反対の場所にいる誰かが発した波」かもしれないし、それは廻り回ってやっぱり、「自分が発した波」なのかもしないし、やっぱりそれとも…なんて考えてしまったのである。
 

2001-08-07[n年前へ]

「ボケ」た背景で包み込め 

デジカメ画像をキレイにボカそう アルゴリズム編

 最近、新しいデジカメを物色中である。私はこれまではFinePix4700zを使っていたのだけど、そのFinePixが半年程度で壊れてしまった。というわけで、C-4040ZOOMがどんなものか期待しているところである。

 壊れたFinePixと言えば、そもそも壊れたFinePixは一台ではなかった。私はすでにFinePixを二台も買っているのだ。そして、もうすでに二台とも壊れてしまっているのである。連続殺人事件ならぬ、連続カメラ自殺事件なのである。

 まず、一台目に買ったFinePix700ははメキシコのティファナでポケットから落としたら、バッテリーから電源が供給されなくなった。もちろん、ACアダプターを使えば立派に動くのだけれど、それでは少しばかり機動性に欠けてしまう。まさか発電機を持ち歩くわけにはいかないし、コンセントの近くでしか撮影することができないとなると、それは非常に困ってしまう。そこで、すかさず二代目としてFinePix4700zを私は買った。ところが、買ってから半年位たったある日、今度は勤務先の駐車場でポケットから落としてしまった。すると、今度はファインダー視野がズームに連動しなくなって、なおかつレンズがまるでジョイスティックのようにあらゆる方向に曲がるようになってしまった。

 こんな風にデジカメはとっても壊れやすくて、半年毎にデジカメ出費を強いられる私に周囲は「落としたオマエが悪い」と非常に冷たいのである。残念なのだ。「そういうのは壊れたんじゃなくて、壊したんだ」と被害者である私をまるで加害者のように告発する人さえいるのである。連続カメラ自殺事件は実は他殺で、しかも犯人は私だと告発する輩さえいるのだ。ひどい話である。
 

 ところで、C-4040に期待しているのは、コンパクトで、レンズアダプターが使えて、レンズがF1.8と明るいことなのである。コンパクトなのは持ち歩くために必要だし、私はなんと言っても超広角デジカメが欲しいのだが、そんなデジカメはないので、ワイドコンバーターを付けたいのでレンズアダプターが必要なのである。明るいレンズの方は、うす暗い中でも撮影する時に重宝しそうなので、少し期待しているのである。
 

 ところで、この位明るいレンズであれば、もう少しぼかすことができるものだろうか?デジカメで写真を撮ってもどうしてもボケない。35mmフィルムを使っているカメラなどと比べるともう全然ボケない。もうほんとにボケない。

 例えば、35mmカメラで135mm F4.5開放のレンズなら、ピントの合ってない背景はこの位はボケる。これは京都の哲学の道近くにある吉田山で撮った写真だ。
 

35mmカメラで撮影した例 135mm F4.5?

 

 ピントが合っている位置以外は光がボケて、キレイなボケが発生する。どちらの写真も絞りは開放で撮影しているので、後ろの風景はほぼ丸くボケている。ぼかせばキレイというわけではないけれど、背景などがごちゃごちゃしている中で対象物だけを浮き上がらせたい場合には、「ボケ」させるととても良い感じになる。
 

 しかし、デジカメではそうそう簡単にボケた画像を撮影することはできない。35mmフィルムに比べて、CCDサイズが小さいからである。35mmカメラよりAPSカメラはもっとぼけなくて、それよりデジカメはさらにボケないのである。そんな様子を見るために、二台目として買ったFinePix4700zで「ボケ」を意識して撮影してみたものが下の写真である。手前の植物にピントが合って、奥の道の先はボケてはいるのだけれど、それでも先程の写真などとは比べものにならないほどわずかしかボケていない。
 

在りし日のFinePix4700zで「ボケ」を意識して撮影してみた写真
(昼過ぎの箱根山中で)

 ところで、このような画像の「ボケ」を考えるとき、「ボケ」た画像をシャープに復元しようという話は非常にポピュラーな話題である。例えば、本「できるかな?」でもこれまでに

といった感じで遊んできた。また、さらには「恋の形」を復元しようとしたとか、このようなアプローチを遥か昔に考えていた漱石の「文学論」を振り返ってみたりしたきたのである。しかし、これらはいずれも「ボケたデータを復元する」という問題であった。

 一方、この逆のアプローチである「シャープなデータをボケたデータにする」という問題も結構ポピュラーである。例えば、音楽をホールやライブハウス風にボケた音にするDSPはかなりの数のオーディオ装置に付けられている。これも、もともとはシャープな音声データが部屋の中でボケていく様子をシミュレートする回路である。また、画像に関する話題でも、ピント位置をずらした複数の画像から任意の「ボケ」画像を作成するといった話題もたまに見かける。

 そこで、「できるかな?」でもデジカメ画像を35mmカメラ風にキレイにぼかすことに挑戦してみることにした。今回は、まずはアルゴリズムを確認して、次回以降で簡単プログラムを作成してみることにしたい。

 まずは、似たようなソフトウェアがあるかどうか、Googleで適当なキーワードを使って検索をかけてみると、IrisFilter(http://www.reiji.net/iris/)というソフトウェアがあった。これは、「写真のぴんぼけを再現する」というフィルターだった。サンプル写真などを見てみると、これがなかなかきれいだった。例えば、早朝の御殿場の路上を「在りし日のFinePix4700z」で撮影した写真にこのフィルタをかけて、「ボケ」を加えてみたのが下の画像である。
 

Iris Filterでデジカメ画像を「ボケ」させたもの
オリジナル画像
Iris Filterで処理したもの

 ここではこんな六角形の絞り形状をを用いてみた。右の処理画像中の、車のテールランプや車の下部を眺めてみると、鋭いハイライト部が六角形に光っているのがわかだろう。確かに、「ボケ」がカメラの絞り形状になっていて、良い感じである。

 WEBページの記載によれば、このIris Filterは「フィルム特性曲線を利用し、レンズから通った光がフィルムを感光させる様子を再現しています」ということである。なんでも、特許も国内・USP共に出願済みということだが、特願2000-100042もU.S.PTO 09/772532も未だ公開にはなっていないようで、残念ながら特許の内容を読むことはできなない。

 このWEBページの記述の中で面白いのは、「データ上の数値をそのまま拡散させる従来のPhotoshopをはじめとした画像処理ソフトと違い、実際のフィルムに当たる光の量(露光量)を逆算し、その露光量をもってピントがずれている様子を再現します」という歌い文句でPhotoshopの「ガウスぼかし」と比較広告してある部分である。

 試しに、先の画像をIris Filterで「ボケ」を加えた画像と、Photoshopの「ガウスぼかし」とで「ボケ」を加えた画像を比較してみると、下の二枚の画像のようになる。確かにIrisFilterの売り文句通り、こうして比較してみるとPhotoshopガウスぼかしが写真の「ボケ」っぽくないのに対して、IrisFilterの「ボケ」が写真のそれっぽいことが良くわかる。
 

Iris Filterの処理画像(左)とPhotoshop ガウスぼかしで処理した画像(右)の比較
Iris Filterで処理したもの
Photoshop ガウスぼかしで処理したもの

 さて、お仕着せのソフトを使ってみるだけではなくて、自分でデジカメ画像をキレイに「ボケ」させてみることにしたい。というわけで、hirax.net風「ボケ」フィルターの動作を考えてみる。

 まずは、毎度のことだがオリジナル画像が「ボケ」る様子を計算する式は

逆フーリエ変換(  フーリエ変換( オリジナル画像 ) x フーリエ変換(ボケ具合 ) )
と表すことができる。詳しくは、「宇宙人はどこにいる?」の回でも読んでもらうことにして、簡単に言えば周波数領域でオリジナル画像とボケ具合を掛け算をしさえすれば良いのである。つまり、今回のデジカメ画像をぼかす場合だったら、
  1. デジカメ画像と「ボケ」具合をそれぞれフーリエ変換し周波数空間に変換
  2. 周波数空間で乗算を行う
  3. 逆フーリエ変換して実空間に戻す
とハイ!「ボケ」画像の出来上がり、というわけである。ボケ具合が小さい場合などは、このやり方よりもずっと計算量の小さいやり方はあるわけだけれど、とりあえずこのやり方はとても単純明解なので今回のように試しでやってみるにはとっても楽な方法なのである。また、ここでいうボケ具合というのは、こんな形状の「ボケ」具合のことである。
 

 じゃぁ、早速やってみようとなるわけだが、その前にもう一つ注意することがある。それは、RGB画像の数値というものは実は元々「明るさを対数変換した値」であるということなのである。人間の目も含めて世の中の大抵の材料は対数的な感度を持っている。例えば、人間の目に「2倍明るい」という場合に、光は「2倍明るい」というわけではない。その場合には指数的にX^2倍明るいのである(ここで、xの値はそれぞれのデバイスによって色々と違う)。その明るさをRGB画像の数値データにする時に、明るさの対数をとってLog[x,X^2]で2という数値として表しているわけだ。

 RGB画像の数値が「明るさを対数変換した値」だというようすの一例を示すと下の図のようになる。
 

RGB画像の数値というものは実は元々「明るさを対数変換した値」である
片対数軸で表した
横軸 = 0〜255の数値データ
縦軸 = エネルギー
線形軸で表した
横軸 = 0〜255の数値データ
縦軸 = エネルギー

 逆に明るさからRGB画像の数値データへの変換グラフは例えばこんな感じである。RGB数値で200と255と言っても実はその明るさは大違いであることがわかると思う。
 

 

 だから、この手の処理を行う際には、まずは指数変換してから処理を行い、そしてその後対数変換してやらなければならないわけだ。もちろん、今回のデジカメ画像をぼかす場合にも、RGB画像の数値をまずは指数変換した後、「ボケ」演算を行って、その演算結果を対数変換でRGB画像の数値に戻してやらなければならないのである。といっても、別に難しい話ではなくて画像を扱う装置だとごく当り前の話だ。

 そう、「ボケ」演算のhirax.net風レシピはたったこれだけ〜というわけで、早速このレシピに従ってhirax.net風デジカメ「ボケ」フィルターをかけてみたのが下の画像である。キレイな「ボケ」画像ができあがっていることが判ると思う。
 

hirax.net風デジカメ「ボケ」フィルター
キレイな「ボケ」画像のできあがり〜

 ところで、デジカメ画像のRGB画像の数値を指数変換したものに「ボケ」演算を行ったわけだけれど、もしRGB画像の数値そのものに対して「ボケ」演算を行ったら、どんな結果になるだろうか?つまり、「データ上の数値をそのまま拡散させる」やり方をしたら、どうなるのだろうか?そこで、試しにRGB画像の数値そのものに対して「ボケ」演算を行ってみるとこんな結果になる。
 

RGB画像の数値そのものに対して「ボケ」演算を行ってみた結果
キレイじゃない…

 何だかボンヤリとにじんだだけの「キレイじゃない」写真になってしまっている。それは、当り前である。本来2倍明るいものはX^2倍明るいわけで、すごく光の量は2倍どころでなく多いわけだ。それが広がる量を仮にRGB数値そのまま2倍として扱ってしまうと、その光の部分は薄暗くなってしまう。コントラストのはっきりしない、ぼんやりとした写真になってしまうわけだ。ちゃんと、X^2倍のデータとして扱ってやらなければならないわけである。

試しに、指数処理したものと線形処理をしたものとを並べてみるとその画像の違いがよくわかるだろう。
 

指数処理した画像(左)と線形処理をした画像(右)の比較
hirax.netレシピの
キレイなボケ画像(指数処理)
 

キレイじゃないボケ画像(線形処理)

 さて、今回はデジカメ画像の「ボケ」フィルターのhirax.net風レシピを確認してみた。次回(と言ってもいつになるか…)以降に、このレシピに従って実際にソフトを作成していこうと思う。
 

 ところで、「文学論」の中で漱石は「ボケ」は焦点的印象又は観念に付随する情緒を意味する、と言っている。それは、言い換えれば「何かの出来事をきっかけとして感じた怒り・悲しみ・喜びなどの感情がボケである」ということだ。そして、さらに言えば、写真で背景をぼかすということは、つまり「背景にある出来事が生みだした怒り・悲しみ・喜びを広く混ぜて包み込む」ということなのである。

 だから、何かを撮影する時に対象物の背景をぼかすということは、「背景にある出来事が生みだした怒り・悲しみ・喜びを広く混ぜて対象物を包み込んで、そして対象物を浮き上がらせる」ということなのかなぁ、とぼんやりと考えてみたりする。そんな写真は対象物を写しこんでいるのと同時に、それを包みこむ背景も写しこんでいるンだろうなぁ、と考えてみたりする。
 

2001-12-19[n年前へ]

絵でわかる細胞の世界 黒谷 明美  

 細胞の世界は不思議に満ちた小さな宇宙。知っているようで実は知らない細胞のしくみ。「生命の基本単位」としての重要な働きからそれを利用した応用面までを、イラストを多用してわかりやすく解説。
 イラストレーターデビューしたワタシの父君。(リンク

2002-01-13[n年前へ]

ウチの本棚 

 本棚を整理。で、せっかくなので関係者の棚を作った。ちなみに、平林久はワタシの父で、塩野入忠雄はワタシの母方の祖父になります。ここに漏れてるものもあるかもしれませんが、そういうものは絶対入手不可でしょう。で、ヘンなのも一つ混じっていますが、これはbk1に投書してある書評が実に的確です。何しろ向こうで選んだ基準が「入ってるイラストが少ないのを優先」というものでした…。とはいえ、編集者の方には本当に感謝の念こそあれ、それ以外の何かは全然ありません。
 そう言えば「絵でわかる細胞の本」は見た目の割に結構専門的です。眺めた感じ大学の教養以降くらいの学生さん向き、かと。なかなかお勧めです。LSUB http://www.shinkyo-net.co.jp/~shinkyo-pub/book/book2/book-S/11-rindou/11-9.html 千曲川の地質スケッチ 塩野入忠雄SUB 長野県更埴地方の地質観察 塩野入忠雄LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9870675379 木曽川・天竜川の地質スケッチ 塩野入忠雄LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9940254059 昭和の流痕 塩野入忠雄LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9910561611 千曲川中流地方の岩石の産状と観察 塩野入忠雄LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9833792685 菅平高原地方の地質 塩野入忠雄LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9973384598 星と生き物たちの宇宙 平林久・黒谷明美LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9930710086 宇宙人の条件 平林久LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9871565623 E.T.からのメッセージ 平林久LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9830223221 宇宙のわかる本 平林久LSUB http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9975306926 絵でわかる細胞の本 黒谷明美(平林久 絵)LSUB http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3b43857ee3437010034a?aid=&bibid=01957446&volno=0000 できるかな? ひらばやしじゅん



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