2003-12-05[n年前へ]
■いまだ下山せず!
二十年近く前に常念岳一ノ沢で遭難したパーティの捜索の記録をまとめた「いまだ下山せず!」という本がある。不謹慎な言い方にはなるが、思わず引きこまれてしまう本である。ドキュメンタリーとしても、あるいは登山小説としてもとても読み応えのある本だ。もしも、図書館や本屋にあるのであれば、読んでみると面白いと思う(不謹慎な言い方だが)。
この話の中で、遭難した三人のうちの二人は日産の社員で残りの一人は本田の社員だった。日産から派遣された捜索隊がホンダが行った捜索活動について、事後に社内で感嘆とともに報告した内容はとても興味深い。
彼ら(本田技研)は会社所有のジェットヘリで自社員の捜索を行った。驚くべき事は、そのような捜索活動が不文律のもとに行われたということである。
そのような文化・態度が彼らの中にあるということである。
2003-12-06[n年前へ]
■「ザ・ロード」全十三章
詩も曲も全部楽しめる(か、どうかはさておき)虎舞竜の「ザ・ロード」全十三章。すごい、最初から最後までぜ〜んぶ「ロード」。第一章から第十三章まで通して聞いたら、…いや、よそう。これは、ほとんど大河小説だ。
2003-12-15[n年前へ]
■他の誰かのパースペクティヴ
あるいは、広重に限らず他の誰かの視点から見た世界を描いてくれるレンダリング・エンジンなんていうのも見てみたい。何処かで眺めた景色やゆったり読んでる小説や、ありとあらゆる風景をスイッチ一つで「他の誰かのパースペクティヴ」でレンダリングし直してくれるメガネがあったら、面白いかも。
他の人が眺める世界を眺めてみたら、きっとそれは不思議に歪んだ景色に見えるに違いない。それどころか、逆さメガネをかけた時のようにとても耐え難く感じるかもしれない。あるいは、少しの時間眺めていれば、そんな景色にも慣れてくるのかもしれない。
2004-01-21[n年前へ]
■「此処ではない何処か」
ずっと前に、休日に実験兼打ち合わせをしなくてはならないことがあった。そこで、私も含めて三人が実験室で落ち合うことになった。ところが、落ち合う時間近くになった頃、その内の一人の人から私に「ちょっと事故を起こしちゃったので遅れる」という電話があった。
その人が数年前に書いて、そして出版した本を去年ゆっくりと読んでいた。何故、ゆっくりだったかというと、読むのがなかなかに辛かったからだ。舞台もどの登場人物もそれが何処で誰のことだかよく判る妙に具体的な私小説だったからだ。しかも、その話の内容はといえば、本の帯をそのまま引用するなら、「許されない関係の恋」なのだったからなおさらだ。チラシの言葉を借りるなら、その本は「苦しさを宿として描いた恋愛小説」というのだから、それはもう読み辛いとしか言いようがなかった。
といっても、舞台や登場人物がいる世界は、私が少し眺めていた風景とは少し時間がずれていて、二年くらい時間が経過しているようだった。だから、私が知っていた世界とも少しずれているような感じだった。だけど、それがなおさら虚実の境もよく判らなくさせて(時折、全て事実でないかという気にも襲われたが)、なんとも妙に生々しく感じられて、さらに読みにくさを増していた。
そして、肝心の小説の出来はと言えば…、小説の本当に最後近くに「とってつけた」ように主人公が交通事故で死んでしまう。これが、後輩から借りた本ではなくて自分で買った本だったら、怒りのあまり壁に投げつけていたに違いない。恋愛話の収拾がつかなくなったから主人公を殺してハイ終わり、とそんな風に見える出来の小説だった。なんというか、虚実の世界共に収拾がつかなくなったようにしか見えない、そんなとんでもない結末の本だった。しかし、そんな交通事故で主人公がいきなり死んでしまうというあっけない結末を読むと、あることをふと思い出して、少しばかり考えこんでしまう。
休日に実験室で待ち合わせたその人は、結局その日は実験室には来ることができなかった。交差点でぶつかった交通事故の相手が病院で死んでしまったからだ。そんなことを思い出すと、間違いなく本の中の主人公は交通事故で死ぬ必要があったのだろうと思う。少なくとも、書き手にとってはそうでなくてはならなかったのだろう、と思う。
「実験室で待ち合わせることにしましょうか」という話をしなかったら、あんなことにはならなかったのだろうか、と考えたこともある。だから、とってつけたような安易な結末だけれども、この書き手はこんな風な結末をどうしても書かなきゃいけないという気持ちになったのだろう、とも鈍い痛みを伴いつつ思う。
時折、予想もしない辛いことも起きたりする。もしも、あの日実験室で何事もなく打ち合わせがあったなら、この小説はどんな結末だったのだろう。考えてもしょうがないことだけれど、そんな違う結末の本があったなら、そっちの本の方は少し読んでみたいような気がする。この本ではなくて、そういう現在であったなら結局書かれることもないだろう、その実在しない本の方を読んでみたい。
2004-04-16[n年前へ]
■新聞の社説をグラフにしよう
テレビを眺めると、新聞の社説を一列に並べている。写真では判りにくいけれど、「政府の対応」と「家族の対応」という二項目に関し、「批判」と「批判せず」の度合いで新聞を並べていた。これはなかなか面白いグラフ化だ。それぞれの新聞の立ち位置が見事なまでに判りやすい。
そういえば、新聞の社説というのが今ひとつ判らない。もし、自分の勤務先の会社が「社説」なんていうのを打ち出し始めたら、とてもイヤな気がするのは私だけか。メーカーなら製品でものごとを語ったり、小説家なら小説でものごとを語ったり、新聞なら記事でものごとを語るべきだと思うのだが。評論家じゃあるまいし。