2008-10-16[n年前へ]
2010-09-25[n年前へ]
■「あぁ、これだけ損ができる」
「明日に-」という言葉だけが書かれたページから始まる、北村薫「朝霧 」の中にこんな言葉があります。
「損をするのが分かっていても、出さなきゃいけない本って多いでしょう。本屋が稼ぐっていうのは、売れない本のため。一億入ったら、”あぁ、これだけ損が出来る”と思うのが、本屋さんなの」
「これだけ損が出来る」ということが「豊かさ」を作るのだろうか、と思うことがあります。もしかしたら、「損が出来ること」こそが「豊かさ」なのかもしれないとさえ感じることも あります。宵越しの金は持たない江戸っ子なぞは、さぞかし「豊か」に違いない、と考えるのです。
どんな"損が出来る”のだろう、とふと考えます。何のための損をしたい」のだろうか、と煎じて詰めて考えてみたりします。
2010-11-14[n年前へ]
■「使ったお金」が「何か」を作る。
「無理せず節約するコツ」という文章を読み、ふと、こんな言葉を思い出しました。
少し言葉をはぐらかせる癖がある、そんな角田光代の著書の一冊に「しあわせのねだん 」があります。この本の中で、角田光代は20代の頃の日記を読み直しながら、その頃のお金の使い方を思い出しつつ、こんなひとりごとを書くのです。
「二十代のとき使ったお金がその人の一部を作るのではないか」
「三十代に使ったお金というのも、きっとこの先なんらかの意味を持つのだろうと思う」
「二十代」「三十代」・・・そして、その人という自分自身、あるいは、自分ではない他人であるこどもの”この先”を考えたとき、未来へ何かを残そうとする私たちが身の丈をわきまえることができるのだろうか、あるいは、もしも身の丈をわきまえたとき、一体その先には何があるのだろうか?とも思うのです。
「これだけ損が出来る」ということが「豊かさ」を作るのだろうか、と思うことがあります。もしかしたら、「損が出来ること」こそが「豊かさ」なのかもしれないとさえ感じることもあります。宵越しの金は持たない江戸っ子なぞは、さぞかし「豊か」に違いない、と考えるのです。
「あぁ、これだけ損ができる」
「損をする」ことができないとき、節食という言葉のダイエットをせざるをえないとき、ふとこんな言葉を思い出して、少し悲しくなったりします。
外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。
「イラクと幕末」
「外へ外へと向かっていくエネルギー」と、宵越しの金は持たない江戸っ子のパワーは、何だか少し似ているような気がします。
2011-06-07[n年前へ]
■「終わりのない、やり場のない怒りさえ」
こんな歌を歌うことができるなら、そのためだけにでも違う性別と違う声帯を持って、生まれて来たくなる"Dreams Come True"「何度でも」
何度でも、何度でも、何度でも。
悲しみに支配させて、ただ潰されるのなら。
何度でも、何度でも、何度でも、立ち上がり呼ぶよ。
悔しくて、苦しくて、
がんばっても、どうしようもない時も。
落ち込んで、やる気ももう底ついて、
がんばれない時も、きみを思い出すよ。
一万回駄目で、かっこ悪くても、
一万一回目は、何か変わるかもしれない。
終わりのない、やり場のない怒りさえ。
もどかしく、抱きながら。
…喘ぎ嘆きながら、自分と戦ってみるよ。
一万回駄目で、ヘトヘトになっても、
一万一回目は 何か 変わるかもしれない。
…明日が、その一万一回目かもしれない。
2011-09-02[n年前へ]
■明日は明日の風が吹く - Tomorrow is another day.
今日、30分ほどの話をする機会がありました。話す内容を何も考えていなかったので、早朝起きて話のアウトラインを描き・PowerPointスライドをテキトーに作り、実に情けない突貫工事状態で話をしてしまいました。
話した内容のうち「終盤(クロージング)」部分を、話した流れを自分で忘れてしまわないよう(話しつつ見せたデモなどは割愛しましたが)ここにメモしておこうと思います。
…こういったこと、「キャラクター」「シナリオ」「数打つ」と3つのことが、(先ほどまでの例とはまったく違うジャンルではありますが)新しい技術を見つけ・選び出し・生み出すということを考える上でも、やはり大切なのだろう、と私は考えます。 自分たちの”違い”・個性・特徴・ポジションを生かさなければ、「他の人たちでなく自分たちこそができる」という状況にはなりえないでしょう。 また、「道筋・ストーリー・ゴールへの台本」なくしては、長いこと・大きなものを作り出すことは不可能だと思います。 そんな台本なんてない、という人もいるかもしれませんが、そんな人の頭の中には、それがたとえ無意識下にせよ「台本・予想図」があるはずだ、と私は確信します。 そして、数打つこと、つまり、「たくさん手にする」ことが不可欠です。 数打たなければ、アタらないのです。
未来は、未来になってみないと「どうなるか」なんてわかりません。 不確実なものが未来です。 予想的中の明日で (^_^)v ということもあれば、予想した通りの残念な明日でやっぱり (>_<) ということもあると思います。 あるいは、考えもしなかった落とし穴が待ち受けていて (T_T) となるかもしれないし、はたまた、思いもしなかったプレゼントがあり (^o^) となっているのかもしれません。
未来は、予想の「アタリ」と「ハズレ」をかき混ぜたカクテルです。 しかも、その「アタリ」がほんの少しの時間を経ただけで、いつの間にやら「ハズレ」に姿を変えてしまったりもします。 その逆に、「ハズレ」馬券だったはずの紙切れが、気づくと「万馬券」に変身していたりもするのです。 つまり、「アタリ」と「ハズレ」は時に互いを入れ替え合う存在で、それらが入り交じっているのが未来だと思います。
だから、そんな未来への「宝くじ」はたくさんたくさん集めるべきだ、数打つべきだ、と強く言いたいのです。 たくさん集めさえすれば、その中には「アタリになるもの」が必ず混じっているものです。 そのアタリがいつまでアタリであり続けるかはわからないけれど、少なくともある一瞬にはアタリになるはずのものが、掌(てのひら)の中に確かに入っているはずです。 だから、「キャラクター」や「シナリオ」を見つけ出しながら「数打つ」ことをしていさえすれば「いつかはアタる」と安心して良いに違いない、と信じています。
さて、冒頭で引いた(5,6年前にオープンソースマガジンのために書いた)記事の続きには、こんな文章が書かれていました。
「自分のための勉強ノート」ですから、いつでも私は「自分がやりたい」勉強をしていました、と言いたいところですが、そういうわけではありませんでした。 なぜかと言うと、それは「自分のやりたいこと(勉強したいこと)」はこれだ、と自分でハッキリわかっていなかったからです。 だから、その瞬間その瞬間の、好奇心の赴くままに、目の前の謎・パズルを(その秘密を解き明かすことができそうな科学技術を勉強しつつ)、楽しみながら考える、ということをやっていただけです。 そんなことを長く続けているうちに、自分のやりたいこと、「何だかおもしろく楽しくなる科学技術」という方向性がようやく見えてきたというのが本当のところです。数字がバラバラに並んでいて、1から2へ線を結び、2から3へ線を引き、さらに次の数字へと鉛筆の芯を走らせていると次第に「一枚の絵」が浮かび上がってくる、というパズルがあります。 "Connecting the Dot"と呼ばれるこのパズルと同じようなことが、新しい技術を追いかける人たちにとってもある、つまり、新しい技術を追いかけ続ける日々も、そんな"Connecting the Dot"な毎日なのかもしれません。
私のように、「自分のしたいこと」を自分自身でもよくわからないという方も多いと思います。 そんな人(時)は、とりあえず何でもいいから続けてみるのもコツだったりするのかもしれません。 そうすれば、「将来長い時間をかけて自分がやりたいこと」も浮かび上がってくるだろうし、そういった「将来・現在やりたいこと」が「これまでにやったこと」と繋がってくることも多いと思うのです。
何をしたら良いかを見つけ出すのが難しい、選んだものが何か形になりうるのかどうか悩む、…きっとそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。
てんでバラバラに見えても、さまい続けているように思えても、色々と続けていたら最後に何か浮かび上がってきたりするかもしれない、そういうことがあるものだということを、自分自身の経験から私は信じています。 たくさんの「点・ドット」を通過し線を引いていくうちに、いつの間にやら、”偶然"か"必然"かよくわからないままに、それらが繋がり・何かが浮かび上がってきたりするのです。
今日、お話したかったことは2つありました。
(冒頭で冗談交じりに話した)1番目は本の宣伝でしたが、2番目はこんな感じのおぼろげなことです。
閉塞感がある、先が見えない、風通しが悪い…そんなことに悩む研究開発を続ける人たちに向け30分程度の話をして欲しいと言われた時、「引き受けたは良いけれど、何を話せば良いかわからなかった」というのが正直なところです。
そこで、どんなことをとりとめのない話をしても矛盾しなさそうな「題目」を、とりあえず、メールで送信してしまいました。
それが、今日の題目、
「明日は明日の風が吹く」 "Tomorrow is another day."
です。予想もしなかったことですが、意外にこの言葉が何かの答えだったのかもしれない、と今は思います。
ガラクタのような話の中から何かの役に立つところを見つけ出して下されば、心から幸いです。 ありがとうございました。