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2003-12-15[n年前へ]

広重レンダリング・エンジン 

 「広重が見た日本橋」CGで当時の風景再現という記事のように-絵に描かれている江戸城は実際に見えず、富士山も左ではなく右側の視界の端に位置していたことが分かった-なんて言ってしまうとあまりにも当たり前の話に聞こえてしまうに違いない。「○×が判った」なんて言ってしまうと、少しばかりつまらない。やはり、ここはその過程をもっと伝えるべきだろう。例えば、古地図の幾何補正に関する研究の中の江戸時代から現代に至る溜池地域のモーフィングなんていうのも、その面白さは「結果」で表現されるものではないに違いない。

 ところで、広重が描いたパースペクティヴ、単純なカメラではありえないパースペクティヴのような空間変換を実現するレンダリング・エンジンなんてどうだろか?特殊な幾何学変換により、実際にはありえない構図、だけど面白い構図を描き出す広重レンダリング・エンジンなんて少し欲しくなったりはしないだろうか。

2003-12-31[n年前へ]

「一日」「新年」が始まる瞬間 

「ヨチヨチ歩き」は1秒遅く、「つま先立ち」で0.05秒早く

 最近、一日がとても短いような気がする。正確に言うと、一日が短いというよりは、夜の時間に比べて昼の時間が短いように感じる。ふと気づくと日が暮れていて、いつの間にか夜になっているような気がする。遙か昔の小学生の頃は昼の時間がとても長かったような気がするけれど、最近では昼の時間がとても短いように感じる。そして、昼の時間が短いだけではなくて、そもそも「時間」自体がとても短いような気がする。一年なんかあっという間に過ぎて、すぐに次の年がやってくるような気にさえなる。

 江戸時代などであれば、普通の人々は日の出を「一日」の始まりとみなしていた。日の出とともに「一日」が始まり、そして「初日の出」とともに「新年」が始まると捉えられていた。だから、その感じ方に沿って言うならば、最近は刻々と日が昇るスピードが速くなっているような気がする。

 そんな、日の出と共に始まる「一日」や「新年」であるけれど、「一日」や「新年」というものは誰にでも同じように始まるものだろうか? …もちろん、そんなことはあるわけがない。東京にいる人とニューヨークにいる人では日の出の時間は大きく異なる。それでは言い方を変えて、例えばほとんど同じ場所にいる人、例えば同じ場所で並んで日の出を眺めるような場合であれば、「日の出」=「一日の始まり」はほとんど同じように訪れるものだろうか?

 もちろん、並んで日の出を眺めてみても、身長が違ったりすれば視点の高さが違うわけで、(単純な丸い地球を例に考えるだけでも)日の出の時間は当然その人の身長ごとに違うことになるに違いない。それでは、その「新しい一日が始まる時刻のズレ」「新しい一年は始まる時刻のズレ」というものは、一体どのくらい人それぞれ違っているものなのだろうか?

 例えば、ヨチヨチ歩きをし始めるような一歳児であれば、平均的な身長は70cm程度だろう。そして、大人の女性であれば平均身長は160cm程度で、大人の男性であれば平均身長は170cm程度である。すると、それぞれの視点の高さは、60cm,150cm,160cm程になるだろうか。 こんな身長の人達が、元旦に東京(標高30m北緯35.41度)で初日の出を眺める時に、(もしも視界を遮る山が仮に無いとしたならば)それぞれの視点の高さからの日の出の時間のズレを算出してみると、次のようになる。
 

 まず、身長170cmの(例えば)お父さんが160cmの高さの視点から日の出を眺める。その0.1秒後、日の出を眺めたお父さんが思わず感嘆の声をだし始める瞬間に、身長160cmの(例えば)お母さんの目からも昇ってきた朝日が見えるようになる。そして、お母さんが日の出を眺めてから少し時間が経って0.9秒ほど経った頃に、両親と手をつないで立っている一歳児の子供の顔にも太陽の光が差しこむようになる。

 0.1秒とか0.9秒という時間はとても短いほんの一瞬にも思えるし、意外に長い時間のズレにも思える。同じ場所にいる人には同じように差し始めるように思える日の出であっても人それぞれに結構違う時間であったりするのは面白いと思う。同じように(江戸時代のとらえ方で)始まるように思える一日や一年であっても、身長ごとに一秒近い時間のズレが存在するのである。ヨチヨチ歩きの子供は大人よりも約1秒遅く一日や一年が始まるし、身長170cmの人には身長160cmの人よりも0.1秒早く昼間がスタートするのである。

 ところで、ヨチヨチ歩きの一歳児にとっては、元日の日の出は大人より1秒遅く差し込み、その一方で日の暮れは1秒早く訪れる。ということは、日の出から日暮れまでの時間=日が差している時間を考えれば、大人よりも2秒短いということになる。小学生の頃の方が昼の時間は長かったような気がする- と思ったわけだけれども、子供から比べれば実は大人の方が2秒ほども昼の時間は長かったのである。

 そしてまた、もしも身長160cmの人がつま先立ちをして精一杯の背伸びをすれば視点が5cmくらい上に上がって、その結果として日の出は0.05秒ほど早く訪れる。そうすれば、一日は0.05(秒)* 2≒0.1(秒)というわけで、日が差している昼の時間が0.1秒長くなることになる。逆に、日の出と日暮れ時にちょっと座って休んでみれば昼の時間が1秒ほども短くなる。こんな風に、私たちは秒単位で昼間の時間を長くしたり短くしたりすることができるのである。

 だから、毎日が忙しくて時間が経つのがとても速く感じるときには、例えば高めのハイヒールを履いて、日暮れを0.1秒遅くしてみたり、…あるいは、なんだか疲れて一日がとても長く感じるときには、ベンチに腰掛けて日暮れを少しだけ早めてみるのも楽しいかもしれない。そんなテクニックを使わないにしても、こんな時間を操作するテクニックを知っていれば、日の出や日暮れが楽しく感じられるかもしれないし。

2004-08-21[n年前へ]

江戸城北の丸付近の発掘現場 

江戸城北の丸付近の発掘現場






2004-09-20[n年前へ]

3Dレンダリングによる歌川広重「名所江戸百景」 

 「歌川広重の名所江戸百景を3Dで再現しようという、プロジェクト」名所江戸百景.

広重とゴッホのモーフィング 

広重とゴッホのモーフィング 歌川広重の「名所江戸百景 大はし阿たけの夕立」とゴッホの「Bridge in the Rain (after Hiroshige)」でモーフィング動画を作ってみる。サイズが大きいけれど、AVI版(9MB)フラッシュ版(12MB)をとりあえず置いてみる。

 歌川広重の「名所江戸百景 大はし阿たけの夕立」から、ちょうど三十年の時を経てゴッホがパリで「Bridge in the Rain (after Hiroshige)」を描く。「その二枚の絵を行き来きしつつ眺めること」ができるように動画を作ってみた。

 三十年の時間の違いも、江戸とパリの遠い距離も、モーフィングのアニメーションGIFではほんの一秒になる。



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