hirax.net::Keywords::「過去」のブログ



2010-08-07[n年前へ]

現代の光を過去にあて、過去の光で現代を見る 

 GRAPHICATION 2009 No.164 佐野眞一「雑誌の社会的使命」から

 歴史学者のE・H・カーは「歴史とは何か 」と問われて、「それは現代の光を過去にあて、過去の光で現代を見ることだ」と答えている。

2010-10-31[n年前へ]

「おバカなベクトル」と「ともだち」 

 先日、思いもしないところで、小学生の頃のともだちに再会することができた。電気屋に行くと、ようやく「マイコン」というものに出会うことができるようになった、そんな時代の遊びともだちだ。
 イケテナイわたしたちは、いつも、小学校の正門を過ぎてから、どれだけ地面に触らずにどれだけ遠くまで行くことができるか、とか、…何だかクダラナイことに時間を費やしていたような気がする。

 …「ある種のナイーブさ」と言い換えるならば、それは必要なものだと思う(Larry Wallの言うhubrisともはちょっと違うとは思うけど)。 2番目のエントリで挙げられてる「バカさ」「若気の至り」がたぶんそれで、「ものわかりの良さ」の反対側を向いたベクトル。


ナイーブさ
 ちょうどその頃、四半世紀振りの「中学三年生の同窓会」という案内が来たり、週刊女性のページに中学から高校・大学にかけてよく遊んでいたバンド仲間が出ていて、何だか時間の流れというものについて考えさせられたのだった。
 以前書いた「その場その場で面白そうな方向にふらふら進んだ方が良いタイプ」の人の場合は、一本道を極めるよりも、「いい歳をして」とか言われながらも次々と新しいことに手を出す方が、楽しい人生になるかもしれない (たとえ偉大な成果を残せなくとも)。それがはからずも、この種のナイーブさを失わない秘訣であるように思う。


ナイーブさ
 ギターを弾いていた人は、今では石井スポーツの登山用品専門店店長となって活躍しているようだ。夜行列車に乗って、男二人がペアルックで!!スキーに行っていた頃が幻のようだ。
 そして、テレビ局のスタジオで再会した小学校の頃によく遊んでいたともだちは、なにやら技術系の専門家になっているようだ。どちらも、何だかとても誇らしく人に話したくなる話だ。

 不思議なのは、この「誇らしく人に話したくなる」という部分だ。何だか奇妙なことに、その人たちの活躍を心から素直に宣伝したくなるような気持ち、自慢したくなるような気持ちがそこにはある。そんな人たちが周り数百メートルにいたことを自慢したくなる気持ちもたぶんあるのだろうと思うけれど、不思議なことに、「他」慢したくなる気持ちもあるような気がする。それが不思議でたまらない。もしかしたら、年をとりボケたせいで、自分のことと他人(ひと)の違いがわからなくなってしまっているのだろうか。

まっさらさらのアスファルト 描いた座標軸は、
ゆらゆら揺れる 胸のベクトル。

Pumps Race Song@「ベクトルの彼方で待ってて」
 あの頃、どんなベクトルを地面に落書きしていたのだろうか。…たぶん、それは「ゆらゆら揺れる 胸のベクトル」ではない、はずだ。

2010-11-30[n年前へ]

人生は、天秤みたいなものさ。 

 「江頭2:50の名言」から。「1クールのレギュラーよりも、1回の伝説」という言葉とともに、心に届く至言です。

人生は、天秤みたいなものさ。
過去という小皿に、重みがかかると、
未来の小皿は、自然と天に届く。

 ・・・それにしても、(キーワードの相関度だけを基準に)機械が勝手にレコメンデーションする(薦める)「この記事の「関連お勧め記事」には、何だか考えさせられます。

2011-01-30[n年前へ]

続 歯医者さんの「うがい用カップ注水器」のナゾ 

 歯医者さんの治療椅子の脇にある「うがい用のカップ」、コップを置くとうがいをするための水や液体を自動で注ぎ始め、ちょうどよいくらいの高さまでくると(これまた)自動でストップするという水を注ぐ器具が気になり調べ始めました。歯科用の「蛇口」を商品カタログから探してみると、まずは右写真のようなタイプが見つかりました。これはコップがあるかどうかを検知して、所定時間水を注ぐ、という機能を備えたもののようです。こういったものを昔よく見たような気がしますが、先日見た蛇口はこういうタイプではありませんでした。

 さらに調べて行くと、最近の注水装置はコップの中に入っている水の量を、光センサや超音波センサなどで取得して所定量を注ぐものが多い、ということがわかりました。私がしげしげ眺めたのは、そういうタイプだったというわけです。

 ところで、歯医者さんの「うがい用カップ注水器」のナゾを調べている途中で見つけたのが、右に貼付けた「100年以上前の、歯科用注水器具を備えた器具の(特許用)図面」です。19世紀の昔から、こんな器具があったんだと思うと、何だか不思議な気持ちになります。

 ところで、・・・この19世紀の歯医者さんに通う人たちは、どんな風に麻酔をかけられ、一体どんな器具や手順で歯を治療してもらっていたのでしょう?想像すると、ちょっとコワイような気がします。そして、未来の人たちが、今の歯医者さんを眺めたら、どんな風に見えるのでしょうか・・・。

2011-04-26[n年前へ]

無意識に行う「過去と現在と未来の重ね会わせ」 

 加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ 』あとがき から。

 歴史をつかさどる女神クリオは、女神のうちで最も内気で控えめで、めったに人にその顔を見せなかったといいます。…歴史とは、内気で控えめでちょうど良いのではないでしょうか。
 私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについてその時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。
 このようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。
 多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。



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