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2011-05-04[n年前へ]

「人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまう」 

 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』から。

 (アーネスト・メイは)こういう問いを抱きました。…アメリカのなかで最も頭脳明晰で優秀な補佐官たちが制作を立案していたはずだった。その彼らはなぜ泥沼にはまるような決断をしてしまったのか。
 …自らがこれから判断しなければならない問題を考える時…歴史のなかから類推例を必死に求めようとします。過去の人々はどうやっていたのだろうか、あのとき政府はどうやったのだろうか、と。しかし、その過去の歴史について、真実がすべて明らかになっているわけではなく、また人々が思い浮かべる過去の歴史の範囲はきわめて限定されてしまっている。人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまうものなのだ。

 …これを逆にいえば、重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性が高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連づけられて、より多く頭に入っている人、ということになります。

2011-06-19[n年前へ]

あなたの前にある「可能性」 

 すべてのページの 「右上あたり」には「n年前へ」というリンクがあります。これは、「その記事」が書かれた同じ日に書かれた過去や未来の記事へのリンクです。

 私は、n年の過去を眺めれば、n年の未来を眺めることができると思っています。そして、「n年前」という言葉の中にある、「前」という語句をずっとうまく消化できないままでいます。…その言葉が指す「前」が2011年より以前にあるのか、それとも以降にあるのか…それは今だにわかりません。

 だから、「n年前へ」という言葉を、他の表現に置換できないままに、今に至ります。

 子供たちが学んでいく姿が見えます。夢が現実になっていくのが見えます。私たちには見えます。小さな彼らの、大きな夢が。あなたの中にある無限の可能性が見えます。

We see your potential.
「ポテンシャルって何?」とたまに訊かれる。「すぐには見えるものじゃないけれども、何かが潜在的に持っている力、みたいな感じ」と答えることが多いような気がする。…「今は見えないかもしれないもの、だけど、あなたが持っている可能性と未来」が見える、そんなコマーシャル。
 1人のお母さんの背中のたなびくマントや、ギターを弾く青年をいつかとりまく大観衆や、そして、年老いたウェイトレスが近い未来に大学を卒業していく姿を、そんな景色を眺めてみることが気持ち良い。
人の可能性や能力は無限にあるの。だけど、人には有限の時間しかないの。これって、面白いパラドクスだと思わない?

J.P.ホーガン
 悪い解の近傍に陥らないように広範に探索すればずっと良い解が見つかるはず....。

"n年目前の"「集中化と多様化」から

2011-08-24[n年前へ]

「視野を狭くせず、さらに、総合的に捉える視点」 

 加藤陽子さんに話を聞く「池上彰の「学問のススメ」」”なぜ現場任せで、トップマネジメントが機能しなくなるのか?”を読みました。

 なぜ戦争に負けたのか、なぜ原発は事故を起こしたのか、という点について、「庶民」とは反対側、「トップマネジメント」に焦点をあてて考えていきたいと思います。
 加藤陽子先生の歴史を「その時の状況に沿って考え・整理し直す」やり方は、とてもわかりやすく・新鮮で・面白い。池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

 対談中に登場する「戦時中のロジスティクス」という言葉で連想した、日本における日露戦争時の「ロジスティクス」や「経済・外貨問題」に関する言葉を、今日もう一度書き留め直しておきます。

 秋山真之と児玉源太郎に共通する特徴として、戦場の戦闘行為だけに目を奪われないということがあります。秋山は、ロジスティックス、つまり戦争の支援業務が重要だと言っていますが、児玉はもっと広くて、戦争を総合的にとらえる視点を持っていました。たとえば、戦費調達のための外債公募が上手く行くようにと、日露戦争の緒戦(初めの頃の戦い)で目立つ戦果を上げるべく作戦を考えている…。

秋山真之と児玉源太郎

 そう、後ろを支える大動脈・大静脈であるロジスティクスはとても重要で・欠かすことができない、そして、実はもっとも大切な黒子です。

 池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

2012-01-10[n年前へ]

「手に入る(かもしれない)未来」と「もう手に入らない(かもしれない)過去」 

 「n年前へ」から。

 この人さ、いつも着眼点もいいし、作るものも面白いけど、いつもそこで放置しちゃうねw
 (VHDLを眺めて思い出したのが)「ビジュアル言語」を触り始めたとき、苦手だったことの一つが、「どこから実行されるのかわからない」…ということだった。 
 そして、しばらくそういうツールを使ってから、ようやく気づいたことは「どこからも実行されうる」ということを理解していなければダメなんだ、ということだった。逆に言えば、「あらゆる箇所で並列計算が行われている」と普通に思えるようになれば良い…ということだった。
 我が国は、高校生に重要な経済問題を理解する基本的スキルを教えなければならない。…高校卒業までに経済学の充実した教育を受けなければ、ほとんどの成人は、経済の機能や富の創造過程における自らの役割を学ぶ機会がまったく与えられなかったことになる。
 信じられないかもしれないが、経済学を学ぶとトレード・オフや意志決定に関する「思考法」が身につき、優れた意志決定を行う素地が育まれる。
 授業のテキストだから、各所各所に課題がはさまれている。それは、とても具体的で実践的な問いかけばかりだ。たとえば、「今日の放課後のどう過ごすか考え、その過ごし方をしたことで得られるもの、それ以外の過ごし方をしていたら得られていただろうこと」を考えなさい、というようなものだ。
 歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカでは、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
 白馬ジャンプ台のコース上に立つと、あまりの高さに体が思うように動かなくなり、ただただ、雪面と一体化したい(そこから動きたくない)と願います。しかし、そんな中、コースに入った雪をかき・溝を奇麗に整えようとしている人がいます。
 そんな人に「スキーのジャンプをされたことはありますか?」と訊ねれば、空から下界を気楽に眺めるような笑顔で、「私もノルディック複合の全日本代表でしたから」とその人は笑うのです。

2012-01-20[n年前へ]

「自分自身」に向けた「メッセージ」 

 最近の「とりとめもない、つぶやき(twitter)」から。

 努力した量が手に入れる未来を決めるんじゃない。無限の好奇心・興味・未来や可能性を想像して見つけ出す心・自分が楽しくなる何かを見つけ辿り着きたいと欲する心…それが、「無意識のうちに努力する量」を限りなく増やし、未来を作り出していくんだ。
 「苦労や悩み」は「必然」で、それを減らすことも消し去ることもできないけれど、「そんなものを無視できるくらいの魅力」を「見つけ出す・欲する」ことはいくらでもできるはず…それが「未来」というものじゃないか…と。うーん、何だか小さな赤ちゃんを(想像できないくらいの)痛みを伴って産み、そして、育てるお母さんにとっての「可愛いベイビー」みたいだ。
 「運」や「偶然」は、未来を決める大きな要素だと、確かに思う。…その上で「(天性でない部分の)才能」や「(なにがしかの)運」といったものには、「それらを生み出す”何か”」「自分が操作することができる何か」も、人それぞれ違うにせよ、存在しているんじゃないかとも思う。…いや、「思う」と決めている(そう思わないとやってられないから)。
 先日、隣の楽屋に「中林鉄太郎 様」と貼られていて驚いた。驚いた理由は、そのほんの少し前、中林・安西両氏らのローカリゼーションマップに興味を持ち、お二方のお話を聴きに伺ったばかりだったからだ。そして、それから数週間も経たないうちに、思いもがけない場所で隣り合わせる偶然に驚いたのだ。…これは確かに「偶然」だ。けれど「(ローカリゼーションというものに)興味を持つ」「そして、中林・安西両氏に話を聴きに行った」ことがあって、ようやく生じる偶然なのだ。そういう「偶然」は、結構ある。
 右辺と左辺、どちらかが原因でどちらかが未来だと決まっているわけじゃない…と思うことが大事だ。右辺と左辺を自由自在に動かす想像力と機転を、必ず手に入れて欲しい。
 『「高校・大学の頃の自分」に送る「短く具体的なメッセージ」』で書いた言葉を、さらに短く「ひとこと」にしてしまえば、「大変なこともある。それでも、未来に魅力を感じる力を手に入れて、前に進み続けろよ」ってことなんだろう。過去・現在(それはまさに自分自身だ!)・そして将来…すべての・ありとあらゆる自分自身に向けて。



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