2001-01-19[n年前へ]
2002-08-28[n年前へ]
■先週の偉人
鴻上尚二を読むために毎週買っているSPA!。先週、ページをめくっているとなんと懐かしい人が載っていた。1ページのインタビューをされていた。それにしても、アフガンで捕まっていたとは。(中略)信じてさえいれば、色々がんばれる、ということなのかな。
2003-02-20[n年前へ]
■CONNECT THE DOTS
はてなダイアリの「おとなり日記」を眺めながら、一瞬だけど強く何かを感じた。日記を書いてる何処か遠くの隣の誰かの生活を考えた。実際のところ、何を感じたかはすぐに忘れてしまったのだけれど、とにかく一瞬だけど強く何かを考えた。
「できたらいいな」と思うことはたくさんあるけれど、「できること」はとても限られていると思う。ごく限られた「できること」を積み重ねていくしかないのだろう、と思う。だけど、そんな小さな「できること」を実際に目に見える形で現実のものにすることと、単に口で語ることはもう大違いだ。だから、「日記によってお互いの存在、同じ時間に生きている事を実感する事ができる、そういうことで得られる元気や、幸せの方がよほど現実的ではないか」という言葉はとても良いな、と思う。
バラバラに描かれた数字を線で結んでいくと、いつか大きな絵が完成するCONNECT THE DOTというゲームみたいに、「できる」小さなことを「辞めずに」続けていれば、何かの絵がきっと浮かび上がってくるんだろうな。
そういえば、SPAの連載中の鴻上尚史が書く「ドン・キホーテのピアス」の先週辺りからの話はちょっと興味を惹かれる話かもね。
2004-06-09[n年前へ]
■「コメントを書くスペース」を作るということ
「ドン・キホーテのピアス」、 鴻上尚史の連載を読みためだけに毎週「SPA!」を買っている。今週は「簡単にコメントできないことも、世の中にはある」というタイトル。 だから、コメントはしないで、抜粋だけを。
すべてのものは、コメントし得ると、国民が思いこんでしまったのは、いつの頃からなのでしょう? (中略)つまりは、コメントです。起こった出来事に対して、素人が素直な感想を語っているだけです。 (中略)コメントが溢れるのは、…コメントを書く枠(スペース・空間)があるから、としか言いようがないのです。
2004-09-22[n年前へ]
■「不幸との距離」と「何かを書く理由」
鴻上尚史のドン・キホーテのピアス。
問題は、その不幸な出来事を、ちゃんと距離を持って突き放せるかどうか、だけです。…不幸との距離は、書いていくことで生まれることが多いです。それは、日記と似ています。眠れない夜、日記を書くことで、かろうじて今日起こった出来事を整理できるのです。で、あんまり不幸だと、日記にさえ書けないのは、作品と同じです。この後に続く、「どうして演劇をするんだろうと、僕はいつも考えています」で書き始められる一節も一読してみると良いかも。 from 週刊SPA