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2004-10-31[n年前へ]

B級タレントが身近にいたら 

ジェネジャン : NDO::Weblog 昨夜、つけっぱなしにしていたテレビ画面の中に、ふと気づくと近藤@はてなさんの顔が写ってる。「新階級社会」というテーマのもとに、「社長VSフリーター」でディスカッションが行われていた。

 その番組ことを書いた文章を読むと

近藤さんも撮影から帰ってきた翌日、ふかわりょうをしきりに褒めていた
四元奈生美 official websiteと書いてある。

 この文章を読んで思い出したのが週刊SPAに掲載されていた中国プロ卓球リーグに挑戦中の四元奈生美のインタビュー。彼女がプロになったきっかけが紳助・竜介の(卓球もすごく上手いという)松本竜介だという。
(松本竜介さんは)世間的なイメージはどうかわからないけど、あの人すごい人ですよ。いろいろ面白い発想力を持っているし、話もためになる話ばっかり。「(結局、最後は)自分がどうするかなんだぞ」っていうのを常に言われたんです。自分がどうするか決めた一球っていうのは、誰にも文句を言われる筋合いはないって、そういう話ばっかりするんですよ。「エッジな人々」 四元奈生美 取材/古沢 保
はてなダイアリー - jkondoの日記 個人的には(あの番組の中での)「金持ち経営者 vs フリーター」という両者が大きく違うものには見えなかった。両極端の二者というよりは、似たもの同士の中の「(現在時点での)勝ち組」「(現在時点での)負け組」に思えたりする瞬間もしばしばあったように思う。もちろん、その力強さは違うにしても。
 「雇う人」でも「雇われていない人」でもない、「雇われていることを選択している人たち」の意見を知りたいかな。あと、B級タレントと言われている人の話を聞いてみたいかも。テレビを通してではなく、直接に。

2005-06-14[n年前へ]

「リアリズムとファンタジー」 

 週刊SPAに連載されている、鴻上尚史のドン・キホーテのピアスを読みました。

 いい作品は、人生に対するリアリズムとファンタジーが同居しています。リアリズムだけでは苦しすぎるし、ファンタジーだけでは納得できないのです。 リアリズムは「人生をちゃんと負けた人間が感じるリアリズム」です。ファンタジーは「人生、やがて勝つという根拠ない確信に満ちたファンタジー」です。 この二つを同時に持つというのは、それは難しいものです。
 この後は、「けれど、これからはリアリズムとファンタジーを選び、自分なりに同居させる必要がある。それがいい人生にするコツかも」と書かれています。inside outそういえば、前に「強弱」の定義について書いたことがあります。今日は、(日替わりメニューのように)こんな「強弱」定義をしてみることにしましょうか。それは、「リアリズム」と「ファンタジー」の両方を持っている人が強い人、という定義です。「リアリズム」と「ファンタジー」のどちらか片方だけしか持ち合わせていない人は少なくとも、強い人ではないという定義です。そんな人は「強い人」かもしれないし、「弱い人」かもしれないし、あるいは弱い人なのかもしれませんが、強い人ではない(と今日はしてみる)のです。

 すると、「いい人生にする」ためには、結局のところ強くなるのが一番の近道だ、ということになります。そんなこと本当にできるのかな?と疑問に思うこともあります。「この二つを同時に持つというのは、それは難しいものです」と書かれているくらいですから、それは簡単なことではないのでしょう。私も、(kaco (カコ)さんへの返事として)「強弱」の定義で
実のところ、私は「カッコがつかない強い人」というものをその言葉の意味も含めてよく想像することができません。意味すら想像できないのですから、そんな人が実在するのかどうかなんて、全然わかりません。もしも、そんな強い人というものが実在するのなら、それは「人じゃない」んじゃないか、とすら思ってみたりします。 つまり、もしも「カッコをつけなければ」人は全て弱いと思っているわけです。そして、それとは逆に「強い人」というのは、もしかしたら「自分にカッコをつけてしまっている」のかもしれない、とも思うわけです。
なんて書いてみたりしたわけで、「リアリズム」と「ファンタジー」を兼ね備えた強い人がいるなんて想像することができません。だけど、それでも、一人の中にだけでなければ、何人かを集めてみれば、そんなものを同時に持つことができるかもしれない、と思うこともあります。やっぱり、わからなくなってしまうことも多いですけれど。

2005-11-08[n年前へ]

「物語を作り、現実を解釈し、意味を発明する」 

 今日は火曜日なので、鴻上尚史のドン・キホーテのピアスを読むために、週刊SPAを買う。

 「癒す力」とは、「あなたの存在は、無意味でない」と教えてくれる力のことです。「物語」を作るということは、現実を解釈することですから、つまりは意味を発明するということです。 現実に「起承転結」を持ち込む「物語」は、あなたの生活に意味を与えます。「物語」は、無条件で、あなたの人生に意味を与えるから、本来的に「癒す力」がある、と言えるのです。 鴻上尚史 ドン・キホーテのピアス 543

2006-03-07[n年前へ]

「相手の問題は自分にも当てはまる」「自分の価値観」 

 週に2,3回くらいは出張がある。そんな時には、雑誌などを文庫本を買って、気に入ったページを破ってポケットに入れる。今日、破りとったページは、まずは週刊SPAの勝谷誠彦 「ニュースバカ一代」から、永田議員の話から始まる「高校生意識調査の巻」

…鏡に自分の顔を映してみた方がいい。そこには、彼(永田議員)とそっくりなあなたがいるんじゃないですか。…ところが、いかなる逆境でも、例えば共産党はふて腐れない。宗教政党もそうだ。むしろ、彼らは逆境をバネとする。それは、…確固たる価値観があるからだ。   勝谷誠彦 「高校生意識調査の巻」

2006-08-08[n年前へ]

「信じることと問いかけることの違い」 

 いつものように週間SPA!を買い、鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」を読む。一人暮らしの女性が少ないことに鴻上尚史が驚いたところから始まり、カルト宗教などまで。

 信仰が人を育てるのは、信仰が「信じること」ではなく「問いかけること」だからです。神の言葉を伝える人はいても、神そのものが語らないから、人は「問いかけ」るしかなく、そこで思索的になり反省し思慮深くなるのです。 簡単に結論のでないやっかいな問題を、神の一言で片付けることは、思考し、反省し、成熟するきっかけを手放すことです。 「問いかける」対象が、簡単に答えを言うようになれば、人間は思考を放棄しバカになるのです。     「今の若者は孤独と不安への耐性がない」



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