2007-12-30[n年前へ]
■読みづらいSPA!のヒミツは「アナログ工程」か「老眼」か?
SPA!を読んでいる時、ふと「なんだか読みづらいし、読むと目が疲れるなぁ…」と感じた。もしや、これが老眼というものだろうか…?と不安になりながら、念のためSPA!のページを拡大して色々眺めてみたら、これが明らかに読みづらそうな文字印刷になっていた。黒単色文字でさえもスクリーン(階調処理)がかけられていて、なんとも読みにくい汚い文字になっている。
おそらくSPA!の原稿編集印刷工程はデジタル化されていないのだろう。記事・ページによっても違うだろうが、文字も写真もすべて同じように処理されているに違いない。その結果、文字部の印刷もこういう写真処理と同じような処理になっているのだろう。(ちなみに、こちらの画像は朝日新聞の天気予報欄の印刷である。こちらの場合は、読みやすい綺麗な文字であることがわかる。)
とりあえず、読みづらいSPA!記事の原因は必ずしも老眼のせいというわけではなさそうだ。これで「老眼の訪れ」から逃れられたわけではないけれど、少しだけホッとした今日この頃だ。
2007-12-31[n年前へ]
■続 読みづらいSPA!のヒミツは「アナログ工程」か「老眼」か?
先日の『読みづらいSPA!のヒミツは「アナログ工程」か「老眼」か?』にSPA!の記事が読みにくいのは、製版工程でなくて刷版工程のせいではないか、具体的には、SPA!の表紙と中折以外の部分が、オフセット印刷でなくグラビア印刷になっているせいだろう、と教えて頂きました(印刷屋は「広義の製版」を論理工程と物理工程に分け、論理工程を「製版」として、物理工程を「刷版」と区別するそうです)。グラビア印刷はほとんどの場合ヘリオクリショグラフなどの機械彫刻により刷版されるので、350DPI程度でしかドットを生成できず前回のような文字出力になる、ということでした。
「オフセット印刷はCTP(レーザでダイレクト刷版)が一般的なので画線が綺麗だけれど、色再現を重視する女性ファッション雑誌や用紙を薄くしたいカタログ誌などではグラビアが多く使われる」ということなので、あまり色が綺麗とは思えないSPA!の場合には薄い用紙を使うためにグラビア印刷が使われているのでしょうか?
2008-05-21[n年前へ]
■「言語の特徴」と「古池や蛙飛び込む水の音」
言語はそれぞれ個性を持っていて、それを学ぼうとする私たちは、それを新鮮に感じたり、それを面倒だなぁ、と感じたりする。たとえば、名詞ごとに性別があったり、複数形単数形で言葉が姿を変えたりする。あるいは、音の大きさでリズムが刻まれたり、あるいは、音の高低で言葉の意味が変わったりする。そんな特徴は、私たちを悩ませると同時に、不思議な面白さも感じさせる。
今週号の週刊SPA!の坪内祐三×福田和也「これでいいのだ!」を読んでいて興味深く感じたのが、松尾芭蕉の「古池に飛び込んだ蛙は一匹か?100匹か?」という話題だ。自然な日本語では、複数形と単数形をほとんど区別しない。だから、「蛙」という言葉が書かれていても、その蛙が一匹なのか、それとも100匹なのかはわからない。そして、「水の音」と書いてあっても、それが「たくさんの水音」なのか、「ひとつ響き渡る水の音」なのかは、わからない。
古池や蛙飛び込む水の音
松尾芭蕉
この「蛙」をラフカディオ・ハーンは"frogs"と訳し、正岡子規やドナルド・キーンは、"a frog"と訳したという。古池の水面に一匹の蛙が飛び込み水音が静かに聞こえるのと、たくさんの蛙が次々と水中に飛び込んでいき、その音が次々と響き渡るのとでは、全く違う景色である。全く違う世界だ。「終わり」と「始まり」という言葉と同じくらい違う趣(おもむき)の景色だ。
蛙が何匹であるのか、その水音はどんな響きなのか、それは読者の心が決める。その自由度が、曖昧であると同時にとても良い。
2008-08-10[n年前へ]
■サンデー毎日で「金・出世・女」を読む
かつて、サンデー毎日の編集長が『ウチの雑誌には「金・出世・女」が詰まっていればいい』と言ったという。しかし、内容からすれば、それはSPA!あたりも、「マネー」や「モテ」に満ちているような気がする。…で、(女性雑誌はさておき)男性向け雑誌のほとんどは、結局その三つの割合が変わり、さらに「他の世界」が入ってくるだけなのじゃないだろうか、という話になった。
下の画像は、その時描いたホワイトボードのコピーの一枚である。横軸は「金・出世・女」の割合で、縦軸が年齢だ。SPA!・サンデー毎日・男の隠れ家・ラピュタといった雑誌名をこんな二次元マップ上に描いてみたわけである。
縦軸の上の方に行くと、「妄想」や「桃源郷」が増えてくる。増えてくる「金・出世・女」は「妄想」であるし、ラピュタなんかは「桃源郷」の世界になる。ちなみに、LEONなんかは、中央上部に位置するように思う。
とても大雑把な「雑誌マップ」であるけれど、比較的自然な地図であるようにも感じられてくる。この「大雑把」で「単純」というところが、「男性雑誌」の一番の特徴なのだろう。
2008-08-18[n年前へ]
■午後に降り注ぐ、一瞬の激しい雨の気持ち良さ
週刊SPA!を読んでいると、福田&坪内の「これでいいのだ!」に、こんな一文が書かれていた。
突然バーと大雨の粒が来て、その中をスーパーカブが5人くらい載せて「バルバル~」と走る。暑さはしんどいけど、あの毎日のスコールの解放感は気持ちいいよ。
スコールには、”カタルシス”があるんだね。突然大雨が来て、「あ、逃げよう!」と雨の中を走ったりしてると、パッと収まって。それだけで心地がよくなるんだね。
京都には春と秋がない、と京都に住んでいたときには思っていた。寒い冬が過ぎると、桜の花咲く心地よい春はほんの1週間ほどで終わり、アイスクリームが欲しくなる暑い夏が始まる。そして、夏が終わるとともに、すぐに寒い冬になる。紅葉は続いていても、その頃の空気は秋というより初冬のような肌寒さになっている。
ある初夏の昼、授業にも出ず SINITTA の TOY BOY か何かをを流しながら、大学のキャンパスでウルトラマンか何かの仮装をして仮装して踊っていた。「気恥ずかしさ」とか「一体自分は何をしているんだろう?」とか感じたりしつつ、中途半端に踊っていた。
その時、空は晴れたまま大雨が降り出した。その一瞬のスコールに打たれた時の気持ちよさ、気持の吹っ切れ具合は今でも覚えている。そして、その時も今もその「感じ」を言葉で表現することも、上手く伝えることもできずにいる。
日本はやはり亜熱帯だ。だから、亜熱帯が持つ気持ち良いスコールは、やはり日本にもある。一瞬のスコールに打たれ、雨やどりをして、雨がやんだ後に動き出す感覚は本当に気持ちが良い。何の根拠もなく、「これでいいのだ!」と感じさせる何かがあるように思う。
He ain't got money.
People think it's funny.
He gives me everything I need.