hirax.net::Keywords::「WEB日記」のブログ



2003-09-04[n年前へ]

「俺」「僕」「わたし」「私」と「あたし」「わし」 

 はてなダイアリーの一人称で眺める「WEB日記の立ち位置」です。WEB日記の起源は土佐日記に遡り…、です。少なくとも侍魂でないことは確かじゃないか、と。
 それはともかく、とりあえずこれは杜洋右さんに影響を受けてますね、ハイ。感謝しつつ、ね。

2003-10-08[n年前へ]

電子コミュニティの歴史的変遷と社会心理学 

 「電子コミュニティの歴史的変遷と社会心理学 −日本型blogは匿名掲示板?それともWeb日記?−」のまとめのページ

2003-10-15[n年前へ]

やっぱり、愛がなくちゃね。 

 結城浩の日記から「Web日記というもの自体が、そうしたあげつらえによって成り立っているようにも思えてくる」という高木浩光@茨城県つくば市 の日記を読む。正確に言えば、高木さんのページは毎日の巡回先に入れているのだけれど、今回は結城さんのポインターからその文章に飛んだのである。

 「あげつらえ」という言葉も色んな意味があるけれど、ツッコミには愛を込めて、ね。という言葉にうまく表されているように、そこにはやっぱり愛がなくちゃね、と思う。そういえば、この高木さんの日記だって、鋭い文章ではあるけれど愛があるツッコミに読める。

 それはさておき、

日常の中から良いものを見つけ出すのは、とても大きな喜びを産み出し、知的なチャレンジでもある、と私は思っている。
というのはとても良い言葉だ。日常の謎ミステリーが大好きな私には思わず膝をうちたくなるような言葉だ。

2003-10-21[n年前へ]

Web日記とWeblog 

 というわけで、「自分のサイトはWeb日記, or Weblog…」なんて自己参照はまず例外なく言動の落とし穴にはまってしまっている、と思うわけです。あるいは、「表出」や「表現」という言葉を使っても、それを自己に向かって言及しようとすると、それは単に色んな矛盾や勘違いを引き起こすだけのものだったりすると思うのです。
 他人のことはちゃんと見えても、自分のことはどうしても見えないものだと思うわけですね。 …というようなことが、ARTIFACTを読んで頭に浮かんできたのでした。

2003-11-13[n年前へ]

WEB日記を証拠として「押収」する。 

 大阪家族殺傷事件のゴスロリ少女の事例から、WEB日記の「内面表現」をめぐってという話。



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