2005-06-15[n年前へ]
■「3つの質問」
そういえば、少し前に「どんな作業をしたい?」「誰のために、どんなことをしたい?」「誰からお金をもらいたい?」という三つの質問を複数の人にしてみました。私が誰かに質問をしたわけなののだけれど、実際のところは「自分自身がその質問にどう答えるか」を知りたかっただけのような気がします。つまりは、その質問は自分自身に問いかけてみたかった質問だった気がします。私自身の回答はさておき、あなたならこの「3つの質問」にどう答えるでしょうね?【訊いてばかりはおれカネゴン】
2005-06-17[n年前へ]
■「3つの質問」その2
■「どんな作業をしたい?」
他の人にはできない、って言える(自慢とも言う)ような作業
■「誰のために、どんなことをしたい?」
基本的には、自分の喉にビールを飲ませてあげたい、といつも思っている。本当にたまに、誰か(誰でもいいかも)が辛いとき、そんな誰かに「ほんのちょっとだけ」気持ちが軽くなるようなことを見せたり教えてあげたりしたいと、ほんの一瞬思うこともある。逆に言うと、そんなことを誰かがしてくれたら良いかもと願うことがある、ということだと思う。
■「誰からお金をもらいたい?」
よくわからない…。ただ、沢山持っているところからは大量に欲しい、かも。小さなこどもが掌に握ってる50円玉のお金(を私が眺めたときの)の(私が感じる)重さだと、ちょっと重すぎるので安くしたくなるかも。
2005-07-09[n年前へ]
■「お金で解決できること」の割合
先週、「他の世界に飛び込めば、自分がいる(た)場所のイマイチなところもはっきりと見えるようになるだろうけれど、きっとイイところもきっとよく見えるようになりますよね?」なんていう話を職場の人とする。そして、つらつら話すうちに「今いる場所の良さと言えば」という話題から、こんな話になる。
「色んな問題の1/3はお金を使うと解決できますからね」「ホントは半分以上はお金で解決できると思うけれど、そういうと人間的にアレに思われそうだからマイルドに言っても」「お金があれば、世の中にあることの1/3のことはできるよな、きっと」なんて話し合う。
2005-07-13[n年前へ]
■「技術者・研究者のための効果的なプレゼンテーション技法と活用法」
8月24日に開催される「技術者・研究者のための効果的なプレゼンテーション技法と活用法」という講習会の講師をします。休憩も含めて、4時間ほどの内容ですので、ビッシリと色々詰めてみようかと思っています。興味があって、会社のお金で参加できる方であれば、ひとつ申し込んでみてはいかがでしょうか?色々と面白く「ためになる?」ものをできたら良いな、と思っています。
2005-07-19[n年前へ]
■「自分のやり方」
ぽいんつさんのブログさんのブログの村上春樹「海辺のカフカ」を読んで、ふと先週渋谷帰りに飲んだ時に話していたことを思い出した。だから、これから書く文章は私自身などへ向けたメモです。
「自分のやりたい仕事であるか」ということや 「会社の中での地位やお金」、「自分のプライド」 について、自分がどういうスタンスであるかという 自己認識が非常に大事なのではないかと思っています。自分が不安になった時、自分の自信がなくなった時、「自分のやり方」の「(自分が考える)良さ」を文章で書きたくなります。「(自分が考える)良さ」に同意してくれる他人を、つまりは、「自分のやり方」に賛同してくれる他人を増やしたり、探したくなってしまうことがあります。自分を支える根拠を他人に求めたくなってしまうような感じかもしれません。そんな瞬間は繰り返し繰り返し訪れ続けているような気がします。自分自身を振り返ってみると、私自信はそんな風に感じたりすることがあります。 自分がどういうスタンスであるかという 「(他人ではなく)自己」認識が非常に大事、と本当にそう思います。
たとえば、収入が高ければやりたくない仕事でもやる、とか 会社のメイン・ストリームでなくても自分のやりたい仕事で そこそこ収入が高ければ良い、とか、多少収入が低くても 会社の中心となっている仕事をやりたい、とか。
自信に満ちあふれているときには、「自分が生み出した結果」を書きたいと思いこそすれ、「自分のやり方」について書きたい、なんてこれっぽっちも思いません。自分の中に、自分の立ち位置に対する「心の強さ」が十分にあれば、「(他)人は(他)人、自分は自分」とだけ鼻歌交じりに他人を眺めていたりします。
もしかしたら、私と違って「さらに自信に満ちあふれている人」だと、「自分が不安になった時、自分の自信がなくなった時」でなくとも、四六時中「自分のやり方」の「(自分が考える)良さ」を書きたくなるのかもしれません。私は、その人の自信を支えるやり方よりも「その人が生み出したもの」を知りたいような気もしますが、「(他)人は(他)人、自分は自分」なのですから、人それぞれスタイルも色々なんでしょう。
「自分が良いと思うやり方」を他の人たちに向かって書いている文章を読むと、この人は「自信が必要十二分以上に満ちあふれている人」なのだろうか、あるいは「自信を無くしている人」なのだろうか、と考えたりします。「自信が必要十二分以上に満ちあふれている人」でも「自信を無くしている人」でも、どちらであるにしても、自分自身に「(他)人は(他)人、自分は自分」という「心の強さ」があれば、きっと人生は楽しいものなんだろう、と想像してみたりするわけです。 そして、どうしたら「自分がどういうスタンスであるかという自己認識」をしっかり強く持てるだろうか、と考えたりするのです。