hirax.net::inside out::2005年07月19日

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2005-07-19[n年前へ]

大森・東京 

 打ち合わせが夕方前に終わったので、八重洲ブックセンターへ本を買いに行ってみる。京浜東北線が蒲田を出た直後、神田で人身事故が起きたという。「前もって知っておいた方が良いと思うので、伝えさせて頂きます」「人身事故が起きました」と、何だか妙に軽く言う。結局、列車は次の大森に停車したまま動かなくなる。停車した列車の中で「その」車掌が「私の経験から言わせていただきますと、こういう場合はなかなか動きません」と繰り返し繰り返し自信ありげに言うので(車内では)、JR 大森駅から京急 大森海岸 駅まで歩き、品川経由で東京へ行く。

大森・東京大森・東京大森・東京大森・東京大森・東京






「自分のやり方」 

 ぽいんつさんのブログさんのブログの村上春樹「海辺のカフカ」を読んで、ふと先週渋谷帰りに飲んだ時に話していたことを思い出した。だから、これから書く文章は私自身などへ向けたメモです。

 「自分のやりたい仕事であるか」ということや 「会社の中での地位やお金」、「自分のプライド」 について、自分がどういうスタンスであるかという 自己認識が非常に大事なのではないかと思っています。
 たとえば、収入が高ければやりたくない仕事でもやる、とか 会社のメイン・ストリームでなくても自分のやりたい仕事で そこそこ収入が高ければ良い、とか、多少収入が低くても 会社の中心となっている仕事をやりたい、とか。
 自分が不安になった時、自分の自信がなくなった時、「自分のやり方」の「(自分が考える)良さ」を文章で書きたくなります。「(自分が考える)良さ」に同意してくれる他人を、つまりは、「自分のやり方」に賛同してくれる他人を増やしたり、探したくなってしまうことがあります。自分を支える根拠を他人に求めたくなってしまうような感じかもしれません。そんな瞬間は繰り返し繰り返し訪れ続けているような気がします。自分自身を振り返ってみると、私自信はそんな風に感じたりすることがあります。 自分がどういうスタンスであるかという 「(他人ではなく)自己」認識が非常に大事、と本当にそう思います。

 自信に満ちあふれているときには、「自分が生み出した結果」を書きたいと思いこそすれ、「自分のやり方」について書きたい、なんてこれっぽっちも思いません。自分の中に、自分の立ち位置に対する「心の強さ」が十分にあれば、「(他)人は(他)人、自分は自分」とだけ鼻歌交じりに他人を眺めていたりします。

 もしかしたら、私と違って「さらに自信に満ちあふれている人」だと、「自分が不安になった時、自分の自信がなくなった時」でなくとも、四六時中「自分のやり方」の「(自分が考える)良さ」を書きたくなるのかもしれません。私は、その人の自信を支えるやり方よりも「その人が生み出したもの」を知りたいような気もしますが、「(他)人は(他)人、自分は自分」なのですから、人それぞれスタイルも色々なんでしょう。

 「自分が良いと思うやり方」を他の人たちに向かって書いている文章を読むと、この人は「自信が必要十二分以上に満ちあふれている人」なのだろうか、あるいは「自信を無くしている人」なのだろうか、と考えたりします。「自信が必要十二分以上に満ちあふれている人」でも「自信を無くしている人」でも、どちらであるにしても、自分自身に「(他)人は(他)人、自分は自分」という「心の強さ」があれば、きっと人生は楽しいものなんだろう、と想像してみたりするわけです。 そして、どうしたら「自分がどういうスタンスであるかという自己認識」をしっかり強く持てるだろうか、と考えたりするのです。

「他人のやり方」 

Mayunezu Space Ver.6:きもちのタマゴ 「自分のやり方」に、「その人の自信を支えるやり方を聞くと元気をもらえます。真似をしたいと思います」「元気な時に自分のやり方をメモしておいて、不安になった時にはそのメモを読んで自分(違う時間の自分は「他人」かもしれませんね)のやり方を思い出しています」というメッセージをいただきました。

 あぁ、確かにそうですね。読む側からすると、その人が(もしかしたら)不安から発した言葉であってもそれが助けになったりするのでしょうね。私も、他人が(おそらく不安から)書いた文章を読んで、何かの助けになるなぁ、と思うことも多いように思います。それに、違う時間の自分=「他人」に向かって、そんな助ける言葉を書いておくのも良さそうですね。私も早速真似してみようと思います。