2003-01-03[n年前へ]
■キャッチボール その1
「わきめも」の「キャッチボール」を読みながら、ふとこんなことを考えた。
私にとっての私自身のWEBサイトは何だろうか。それは、多くの場合ひとりごとを漏らしてみる場のような気がする。公の空間の中で一人つぶやくひとりごとに似ているような気がする。
だから、私にとってそれはやっぱり「絵馬」とよく似ているように思う。それは、人のいる街中で、なのにその歩いているはずの人の姿がよく見えない街中で、たくさんの透明人間が生活をしているはずの人通りの中で、ひとりごとをつぶやいている感じによく似ているように思う。
そして、時折そのひとりごとに答えてくれる人がいる。ひとりごとに何処かにいる透明人間が答えてくれる一瞬だけ、透明人間は透明でなくなる。少なくとも、その瞬間には確かに目に見える人間が私のひとりごとに色んなアドバイスや返事をしてくれるように思う。その一瞬だけは透明人間ではなくて、そしてそれが繰り返されていると、それはいつの間にかれっきとした人間でしかなくなるように思う。そして、時にはそんな風に透明でなくなった人と実際に会ったりすることもある。
ボールをインターネットの霧の向こうに投げていると、不思議なことにたまにそのボールが返ってくる。人間同士のコミュニケーションとしてはとても洗練されていないぶん、とても不思議な気分になることがあるのも確かだと思う。飲み屋で例えるなら、偶然居合わせた何処かの誰かが突然私がつぶやいたひとりごとに割って入ってくる感じだ。一過性のそんなコミニュケーションと似ているような気がする。
ただ、とりあえずインターネットのキャッチボールで流れる時間の流れはとても速いようで、だけど、実はとてもゆっくりのような気もする。そしてまた、こんなメディアだからこそ、よく知っている人の意外な顔が見えたりもするのも、面白いところかも。
2003-02-23[n年前へ]
■「言葉」をあやつる魔法使い
今日の「わきめも」はとてもお勧め。わきさんの文章の中には、しばしば「日常生活」の中にある「不思議な異世界への入り口」が姿を現すのである。このリンクから「わきめも」に飛ばない人がいたら、それはとてももったいないので、まずはこんな一節を読んでみて欲しい。
電車に乗っていると、女子高生達がなにやら盛り上がっている。友人やら、誰それのカレシやら、先生やらをこけおろし、最後に 「ありえなーい」の大合唱で締めくくっている。 「...ちゃんの化粧ってさあ、...」 「ありえないよね」 「ありえなーい(合唱)」 ...なんとも恐ろしい会話である。すべてが却下されるのである。私は突然、彼女達に指を指され、「ありえなーい」という合唱を浴びる光景を想像した。 しかしもちろん、そんなことは起こらなかったが、ターゲットは意外なものに向けられた。電車が東小金井駅に近づくと、誰かが言った。 「東小金井ってありえないよね。」 「ありえなーい!(合唱)」何の理由もなく東小金井は彼女達に却下された。 電車はゆっくりとスピードを落とし、有り得ない東小金井駅に到着した。何人かの乗客が否定された街に降りていった。わきさんが、いきなり理由も無く却下され存在自体を否定されなくて本当に良かったとしか言いようがないのである。そして、恐ろしい会話なのだけれど、何故かその女子高生達はとてもイキイキと色鮮やかに響いてしまうのである。さらには、否定された街に降りていく人々がまるで実体を失った影に見えてしまうから不思議なのである。
まるで、その女子高生達が不思議な魔力を持つ魔女達で、街や人やあらゆるものから実体を抜き取り、それらのものや人をこの世から消しゴムで消していくような不思議なミステリなのである。
2003-08-30[n年前へ]
■Connecting the Dots
あちこち寄り道しながら歩いていても、しばらくして振り返るとそれなりの道になっていると信じて。from わきめも。うーん、人生は気長な一筆書きだなぁ…。次の世界は…どんな感じなんでしょうねぇ?
というわけで、リンク先はただただ次の点へと線を繋げていくと、いつの間にか一つの絵になっていく"Connecting the Dots"。