2013-12-11[n年前へ]
■フェルメール「ミルクを注ぐ女」に描かれていたのは「空の水差しを押さえつける女」だった!?
フェルメール「ミルクを注ぐ女」に描かれていたのは「空の水差しを押さえつける女」だった!?を書きました。
…一番面白かったのが、「ミルクを注ぐ女」を3D化した際に気づかされたという、「絵画に描かれている、現実の世界ではありえないこと」でした。そのひとつが、「ミルクを注ぐ女」が持つ水差しは「ミルクが流れ出ることは不可能な角度だ」ということです。
確かに「ミルクを注ぐ女」を眺めてみると、「ミルクを注ぐ女」が手に持つ水差しからはミルクが流れ出ることは不可能であることに気づかされます。水差しから滴るミルクは、太さがほぼ一定でおおよそ真っ直ぐ鉛直になっていますから、ほとんど動かない(定常)状態の水差しからミルクが落ちているように見えます。その一方で、画を描く視点は、水差しの口より高い位置にあるにも関わらず、水差しの中(入口の奥)には(地球の重力に従って、水差しの口と同じ高さで・ほぼ水平面になっていなければならないはずの)ミルクが全く描かれていないのです。…つまりは、「ミルクを注ぐ女」が手にする水差しの中には、「流れ出す」ことができるミルクは存在していない、というわけです。
…画を描く時の風景を考えてみると、フェルメール「ミルクを注ぐ女」に描かれていたのは、実は「空の水差しを押さえつける女」だったのではないでしょうか。…実は「水差し」の腹部分は陶製容器上に乗せられていて、そんな陶製容器の上に乗っかった「水差し」をモデル女性はただ押さえつけているのではないだろうか?という気がしてきます。
■フェルメールの「ミルクを注ぐ女」の3次元空間復元動画
フェルメールの「ミルクを注ぐ女(”Milkmaid”)」を凸版が3次元空間として復元したものを(参考:フェルメール「ミルクを注ぐ女」に描かれていたのは「空の水差しを押さえつける女」だった!?)、グルグル回しながら動画撮影しました。この動画ファイルに対して戸九兆点抽出や空間認識コードを走らせたら、フェルメールが描いた3次元空間データを手元に作り出すこともできるかも。
2014-10-04[n年前へ]
■画家の「代表色」を当てる目(色)利きゲームをしてみよう!?
4人の画家が描いた名画をGoogle画像検索で集め、画像を構成する「代表的な色」を算出して並べてみました。絵画中の画素を色度距離でクラスタリングすることで「数個」に絞る、ということを収拾した画像群にそれぞれ適用して、得られた「色」を並べた、という具合です。
画家が使う色には、その時代に使われていた絵の具の特徴や時代が好んだ色や、あるいは画家自身の好みなどを反映した特徴・個性があって、色を見れば一目瞭然に描いた画家を感じることができるに違いない…と思い並べてみましたが、一体どの時代のどんな4人が登場しているのかどうかわかるでしょうか?
ちなみに、登場している画家は、フェルメール・レンブラント・ゴッホ・ゴーギャンです。これを眺めてみると、ゴーギャンはやっぱりゴーギャンで、レンブラントもやはりレンブラント…そして、ゴッホの代表色は、変色しがちなクロムイエローがもしも変色していなかったら、どんな鮮やかな色だったろうか…とか色々想像したくなります。
2014-10-05[n年前へ]
■画家が使った「色」を「距離」にした「画家の空間」を描いてみよう!?
昨日は、画家の「代表色」を当てる目(色)利きゲームをしてみたので、今日は画家の代表作をGoogle画像検索で収拾し、それら名画に使われている使用色を「距離」として、つまりは色空間での距離をものさしにして、画家の「地図」を描いてみました。
そんな色空間を眺めてみると、たとえばゴッホが描いた絵画の色空間を眺めてみると、左(上)の領域、つまり、緑(や赤)を主体にしたものよりも、それ以外の青や黄色の世界が「眩しい昼」や「星輝く夜」っぽくて好きだなと、自分の好みを感じたりします。
あるいは、フェルメールの絵画を集めた世界地図を眺めると、…使われている色の違いというのか、あるいは、その明るさ・鮮やかさの違いというのか、北向きの窓から室内に差し込む光を頼りに描かれた絵はぼんやりとしていて、明るさが足りない日本海側の冬景色…に見えてきたりします。
ちなみに、「ゴッホの世界地図」を作ってる途中の計算動画は、下のような感じ。まるで、ゴッホの絵画たちがみんなでダンスを踊ってる感じ。マティスが描いた絵画で眺めてみるのも結構面白いかも。
2014-12-14[n年前へ]
■フェルメールが描いた「デルフトの眺望」と「デルフトの緯度」
フェルメールが「デルフトの眺望」が描いた場所を眺めたくて、朝7時過ぎ、フェルメールが景色を眺めていたはずのZoidkolkの辺り、運河が広くなり・直角に曲がる辺りに行ってみました。デルフトで観る12月の朝6時は、日本で言えば真夜中・深夜で、ただ暗闇の空に街並みが浮かび上がる景色です。
北緯53度に位置するオランダ・デルフトの景色を眺めていると(札幌ですら緯度43度です)、冬近い晩秋の1日は、太陽が地平線から上り空を明るくし始めるのが朝の9時くらい、昼過ぎでも太陽は地平線近くの低い場所にずっと居て、まるで夕焼けか朝焼けのような光で地平を照らしている…ことに気づかされます。
フェルメールが描くデルフトの景色や、同時代の画家たちが描くオランダの景色はとても魅力的で、刻々姿を変えていく(まるで夕焼け間近のような)柔らかく朱色に染まりつつある雲や空を、瞬間的にキャンバスに写し取る画家たちの技術は信じられない技巧に思えます。…けれど、オランダ・デルフトの緯度を考えてみれば、(日本で言えば)朝日や夕日のような角度で地球の大気を照らし・朝焼けや夕焼けのような色合いの光で照らされる空と街は、実は日の出から日暮れまでのほとんどの時間の「恒常的な、どの瞬間にも観ることができる普通の景色」でした。
たとえば、 12月の今頃の朝の9時・11時・昼の13時にデルフトの街から眺めることができる太陽の高さをGoole Earthで眺めてみると、「デルフトの眺望(南北的には逆方向を眺めてます)」は下の画像のような具合になります。驚くほど、太陽が地平線に張り付いているのが、フェルメールが暮らし・その一生をかけて景色を描いた街で見ることができる風景でした。