2009-12-08[n年前へ]
■一生のうち二年や三年、ばくちでメシが食えたって、それはアルバイトみたいなものだ。
色川武大「うらおもて人生録 (新潮文庫) 」から。
プロと言う観点からみると、一生のうち二年や三年、強くて、ばくちでメシが食えたって、それはアルバイトみたいなものだ。ばくちのプロなら、ほぼ一生を通じて、ばくちでメシが食えなければね。
2011-04-22[n年前へ]
■「二流のプロをめざして全力でニッチを狙え」
斉藤哲也「R25的ブックレビュー」の「間違う力 オンリーワンの10か条(高野秀行) 」に対する書評から。
本書の最大のメッセージはおそらく”全力でニッチを狙え”ということだろう。(中略)理想やプライドが高い人は、一流を目指すあまり「なかなか第一歩が踏み出せない」 それなら二流のプロでよいと原をくくり、適当でもいいから「今、はじめる」
長くやっていればなんとかなる可能性が高い。
「間違う力 オンリーワンの10か条(高野秀行) 」
2011-04-24[n年前へ]
■雨が降るまで「雨ごいの踊り」を続けることができる人
「プロ論。—才能開花編 」のパパイヤ鈴木の言葉から。
できる人とできない人の区分けって、僕はないと思う。あるのは、やる人とやらない人だけです。
あるとき、「僕が雨ごいの踊りをやると100パーセント雨が降ります」という若者がいましてね。よくよく聞いてみると、雨が降るまで踊るからって(笑)。深いなぁ、いいなぁと思いましたね。
夢を見続ける力・続ける意志のことを“才能”と言うのなら、雨乞いの踊りを続けることができる人は、正真正銘、才能を枯らさずに明日を待つことができる人だ。
どんなにかすかで小さなことだとしても、「やる」には有限の時間がかかる。たとえそれが、一万分の一秒の一瞬だとしても、その瞬間に「やる=続ける」力が必要になる。やすやすと「やる=続ける」ことができるかどうかは、そのやり続けることへの「抵抗」がどれだけ「力」に対して無視できるかによる、ように思う。
だから、「続ける力(意志)」を持つことができることを“才能”と呼ぶのである。雨が降るまで雨ごいの踊りを続けることができる人、その雨を「成功」という言葉に置き換えたならば「成功するまで続けることができる人」…そんなことができる力のひとつが”才能”というものなのである。
ところで、なぜそんなことができる力の「ひとつ」と書いたかと言えば、そんなことができるようになるための力には色々な要因があるからです。たとえば、その他のひと」には「財力」なんていうものもあります。
だから、「才能あるものは勝つ可能性が増える、という法則」もあれば、「金持ち勝つの法則」もやはり有効であったりするのだろう。
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