hirax.net::Keywords::「分析」のブログ



2004-08-28[n年前へ]

越前屋俵太と「モーレツ科学教室」 

 越前屋俵太はとても好きだった。越前屋俵太が街を歩く人々や犬や猫にさえインタビューを続ける姿はとても楽しく面白かった。探偵ナイトスクープで「公園の犬」達にインタビューを続ける話などはとても面白く、そのくせ何故かほろりとしてしまうくらいだった。

世界のどこであっても、人…、できれば猫でも犬でも出会った生き物を笑わせたいです。願わくばそういう映像が全世界に配信されたいね。いま悲惨なニュースは同時発信されるけど、そういうのはないでしょ。
スーツを着て海に入り、海洋汚染の問題だとか「わたくしを含む生物がここから生まれてきたのです」と言いながら潮に流されて(画面の端に消えて)いくという状況が笑える。言っている内容はすごく真っ当なことでしょ? これをスタジオで海洋学者が言ってもおもしろくない。
 というわけで、トンチ博士(平智之)とポンチくん(越前屋俵太)が科学に体当たりし、「地球上のありとあらゆる所に科学はある」と喝破する「モーレツ科学教室」のDVDをタワーレコードから購入。

 ちなみに、先のインタビュー中の
ネットのようにたえず刺激を与えてくれるメディアが溢れていますよね。もちろん人間の英知が創り出したものだけど、情報を分析し、蓄積する力は増しても、知力は減っている気がします。もっと全然違うレベルでものを考える人が出てきて欲しいですね。お笑いでも同じ系統の人が出てくるけど、それで売れる売れないは宝くじと同じ確率でしょう。
 という言葉も面白い。

2004-09-17[n年前へ]

キーワードのリンク量変動幅≒「バースト度/頻度の推移」 

「バースト度/頻度の推移」とは話題(キーワード)の注目度を自動的に分析する指標として、「blogの各entryが持つ日付の情報を利用して、任意の話題(キーワード)に関する注目度(burst度)を分析、グラフ表示することが出来ます。この注目度は、Web上でその話題が「いつ」「どのくらい」注目されたかを示す値になっています。*」というものです。
 なんていうキーワードのリンク量変動幅≒「バースト度/頻度の推移」 例えば地震の例。from ふじきにっき

2004-10-09[n年前へ]

地理情報分析支援システム MANDARA  

地理情報分析支援システム MANDARA 表計算ソフト等で作成した地域統計データを地図化する、統計地図描画に特化したGISソフト地理情報分析支援システム MANDARA. from GISの扉

2004-10-18[n年前へ]

「プリンタの指紋」を追跡する画像分析技術 

 「パーデュ大学の研究者が、プリンタで印刷された文書を分析して、それがどのプリンタで出力されたものかを割り出す技術を開発」という記事。一目見ればどのプリンタで出力したかわかる人も多いような気もするけれど…。発表自体はNIP20で報告される。
Printer forensics to aid homeland security, tracing counterfeitersITmedia エンタープライズ:米の研究者ら、「プリンタの指紋」を追跡する画像分析技術を開発IS&T's NIP20 ConferenceProfessor Edward J. Delp's Homepage

2004-11-01[n年前へ]

その一秒に何の意味がある? 

私自身は、どんな媒体であれ、速報はメディアの生命線だと思っている。「新聞は速報性より、深く掘り下げた分析記事を載せてほしい」という意見もある。それは大切な指摘だが、起きた出来事を一人でも多くの人に、一秒でも速く届けるという役割を放棄していいことにはならない。  毎日新聞「理系白書」の記者が作るページ
理系白書ブログ (私は決してそう思わないのだが)必ず「新聞」記者達は「一秒でも速く届けるという役割」といったような言葉を言う。もっとも、そう思わない心を持つ記者は「新聞」記者を続けていくことはできなくて、単にそう思うことができる記者だけが「ふるい」に残っているだけかもしれない。

 その一秒に何の意味がある?と私は思う。「競技場で誰かと100m走でもしているのだろうか?」「単に特オチがコワイだけじゃないだろうか?」と感じる。速報がメディアの生命線であるというならば、ずいぶんと細く短い生命線なのだな、とも思う。メディアというのはそんなものを生命線にした、本当にそんなちっぽけなものなのか、私はとても疑問に思う。せめて、「新聞」メディアという世界の中にでも限っていて欲しい、そんな生命線は。

 野次馬根性が通常より旺盛(それはこの種の仕事には必要なことだと思う)な新聞記者達は、自分の中の(通常からの)判断基準のズレを少しばかり意識し続けるべきだと思う。そして、速報の必要がある記事、速報の必要が無い記事、その記事がどういったものなのかを考える義務が記者にはあると私は思う。その義務を放棄していいことにはならない、と思う。
新聞記者は謝らない。プライドが高くて自分の非を絶対に認めない。自分の記事で人が死んで一人前、と思ってる。 「恨ミシュランの真実」 西原理恵子



■Powered by yagm.net