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2009-12-01[n年前へ]

 ― 結局は、自分の持ち球を投げるしかない、ということです。 

 北村薫「北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書) 」から。

 ― 結局は、自分の持ち球を投げるしかない、ということです。
 ― 結局のところ、表現とは、≪どのような自分であるか≫を見せることです。

 特に何か書きたいこと(ここで言うのは長文の話である)がない、という人も多いかもしれない。しかし、こんな言葉を北村薫の語り口で書かれると、あぁそうか、という心持にさせられる。

 しかし、長く生きていると、書きたいことというのは、否応無しに出て来るものですよ。

2009-12-28[n年前へ]

この後に続く言葉も、あなたは教わっていますね 

直木賞を受賞した北村薫の「鷺と雪 」の前作、言いかえれば、「街の灯 (文春文庫) 」に続く、「ベッキーさん」シリーズ第二作目の「玻璃の天 (文春文庫) 」から。ひきたい言葉はここには書かないけれど、北村薫が描き出す「時」と「人」には、本当に心動かされる。

「この後に続く言葉も、あなたは教わっていますね」
 この言葉は、第三作目でも繰り返される。そして、この言葉を聴く登場人物は、さらに第三作目で、その後に続く言葉を、さらにこの言葉の後に続く言葉を、護符を抱くようにじっと聴く。

2009-12-30[n年前へ]

「時代」という「馬」 

 北村薫が、昭和が始まり時代が大きく動くさなかの、人の日常を描いたベッキーさんシリーズ第1作目「街の灯 (文春文庫) 」から。

……悍馬(あばれ馬)というなら、時代ほどの悍馬はいないさ。ナポレオンでさえ、振り落とされた。

2009-12-31[n年前へ]

天馬空を行く 

 北村薫のデビュー作「空飛ぶ馬 」の最終段から。

人は誰も、それぞれの人生という馬を駆る。

 蛇足、という言葉を体現・具現化してしまうのなら、さらに、もうひとつ文を書き写してみるのなら、短編集である「空飛ぶ馬」の最後を飾る「空飛ぶ馬」の冒頭近くから、この一節をも書いてみることにしよう。せっかくの、年を越す大晦日の夜なのだから。

 天馬空を行く。自由闊達(かったつ)の譬(たと)えだが、そのイメージには暗い物語の最後に救いをもたらす大きさがあるような気がした。

2010-01-01[n年前へ]

「願えば必ず叶(かな)う」という言葉 

 年の初め。北村薫 ベッキーさんシリーズ三部作の最終巻、「鷺(さぎ)と雪 」から。

 年の初めには願い事をなさい-と国漢の先生がおっしゃったわ。でもね、先生は「願えば必ず叶(かな)うものです」と仰ったの、ずいぶんと無責任じゃないかしら。だって願いごとなんて、十に一つ叶(かな)うかどうかでしょう。-簡単じゃないから、わざわざ、お願いするんですもの。
 お嬢様、お嬢様とその先生では、どちらが年上でいらっしゃいます?先生の方が上ではございませんか?
 でしたら、さまざまなことを見てらっしゃいます。<<この世では、あれもこれも思いのままにならぬ>>と知り尽くしていらっしゃるのでは?
 お嬢様がおっしゃったのは、失礼ながら、<<いうまでもないこと>>でございます。先生が、それをご存じないと、お思いになりますか?
 別宮には、そのお言葉が多くの哀しみに支えられたものに思えます。お若いうちは、そのような言葉がうるさく、時には忌まわしくさえ感じられるかも知れません。ですけれど、誰がいったか、その内にどのような思いが隠れているか、そういうことをお考えになるのも、よろしいかと存じます。



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