2008-04-03[n年前へ]
2008-04-29[n年前へ]
2010-04-04[n年前へ]
■「過去の卒業アルバム」と「未来の2010年」
先日、部屋の掃除をした。その時、高校の「卒業アルバム」が出てきた。サイズがとても大きくてかさばるので、捨てるかどうか悩みながら、「あの頃の景色」が映っている頁を、少し、眺めた。そして、捨てるのも変なような気がして、本棚に戻した。
「生ビール」のポスターを背景に(高校生だから残念なことにビールを飲めるはずはないけれど)、みんなでお好み焼を何かの打ち上げで食べている写真や、学園祭の写真や、四季の校舎を映した景色、つまりは、毎日毎日過ごした風景がそこには写っている。
その中には、たくさんの同窓生たちがそこにはいる。3年A組から順に頁をめくっていくと、若かりしGaucheの作者もそこに居た。そして、とても不思議な気持ちに襲われた。時が流れるというのは、自然だけれど、とても切なく神々しい。
「2010年」と聞くと、遥かに先の未来に思える。私たちはそんな世代だ。…いや、違う。そんな世代だったような気がする。けれど、確かに「2010年」という、そんな時代に立っていることが、今でも不思議でしょうがない。
2010-04-21[n年前へ]
■「星新一 一〇〇一話をつくった人」の350頁から次の頁にある言葉
最相葉月の「星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫) 」を読んで、坪内祐三が書いた書評のラストがこの文章である。
先に私は、誰もが星新一を読んだことがあるはずだ、と書いた。逆にいえば、みな、星新一を卒業してしまう。
それから星新一の苦悩がはじまる。それがこの評伝の一番の読み所とも言えるラストスパートだ。
「文庫本を狙え!」 616 週刊文春 「文春図書館」
下巻の三百五十頁から三百五十一頁にかけてを私は何度も読み返している。こう書かれると、その頁に一体どんな言葉が綴られているか、知りたくてたまらなくなる。
この文庫本は、三年前に出た単行本「星新一 一〇〇一話をつくった人 」を文庫として出版したものだ。文庫版は、先日出たばかりの本だから、「私は何度も読み返している」というのは、ひと桁程度の「何度か」なのかもしれないし、あるいは、単行本を読んでの「何度も」なのかもしれない。
「星新一 一〇〇一話をつくった人」は単行本で読んだ。単行本を読みながら、最相葉月が書く星新一の物語は、愛が感じられていい、と思いつつ読んだ記憶がある。この単行本の一体何ページ目が「文庫本の下巻の三百五十頁から三百五十一頁」にあたるのだろう。坪内祐三が何度も読み返している、と書く文章は、一体、単行本ではどの頁にあるのだろう。