2004-05-21[n年前へ]
■自分への視線を発見・記録するメガネ
「赤外線を投光し、角膜からの反射光が瞳の中心に位置するかどうかを解析することにより、自分への視線を発見・記録する」というSmart glasses detect eye contact 。自分の見る外界を撮影しつつ(自分がだれを見つめているかを記録しつつ)、誰が自分を見つめていたかを記録するという面白いメガネだ。
文中には「赤目効果を作り出し」と書いてはあるが、角膜からの反射光なのだから「赤目」ではないだろう。通常の「視線入力」と同じことを(自分の瞳に対してではなく)他人の瞳に対して行おう、というものだろう。
ちなみに、「このメガネはビデオ・ブログやハイテクな日記にとって重要となるだろう」という記述も。 from Cubic::cubic
2004-09-11[n年前へ]
■スミア with Nikon D70
Nikon D70を買うにあたって少しばかり気になっているのがスミア。それさえなければ、価格があまりに違うCANON EOS 20Dとの間で悩んだりはしない。
というわけで、よく私がよくやってしまいそうなシチュエーションで撮ってみる。まずは、太陽をファインダーに入れてみたり、葉っぱで隠してみたり。あとは、夕日や反射光を入れてみたり。
やはり太陽はかなり隠すか、かなり露出をカットしないとダメかな。ちなみに、海を照らす太陽の光を背に受けて走るライダーの写真は逆光の中の人がほぼ完全に消えてしまっており、ライダーも首がほとんど消えかかっていますね。残念。
夕暮れの太陽なら、ギリギリ大丈夫そう。空を見るのが好きな人でなければ、スミアに関しては問題無しかな。
2005-02-06[n年前へ]
■二機の飛行機雲の交差点
河口湖近くで空を見上げると、飛行機雲が十字型に交差している。ただ交差しているだけでなくて、ちょうど交差した点だけ飛行機雲が太くなっている(ように見える)。座標が交差するようなコースで、1機目の通った後は水蒸気量などが違ったのだろうか?それとも、(眺める)奥行き方向にはずれていいるけれど、反射光が重なって明るく見えていたのだろうか?
飛行機雲の右手後ろには、夕日を背にした富士山が見えた。
2005-04-07[n年前へ]
■絵画の方程式
「歴史的な絵画作品」を「現代のCGアルゴリズムのモデリングやシェイディング技術」と比較しながら眺めてみよう、という「絵画の方程式」 ダビンチの「絵画論(1436)」と反射光に関するランバートの法則を論じたり、ルーベンスの「最後の審判」での環境光マッピング技術を考察してみたり…、とこれは絵画に興味を持つきっかけとしても、結構面白いかも。
2008-04-07[n年前へ]
■「銀スクラッチ」と「夜空の星月」
「銀スクラッチ」と印刷の「見当違い」ではないけれど、どんな「銀スクラッチ」であったとしても、その下に描かれているものは、透けて見えてくるように思う。表面を眺め見た時に、何の違いも見えないように見えることがあったとしても、裏から光を当てたり見方を少し変えたりしてみれば、下に描かれているものは自然と見えてきてしまうことが多い。そういうことは多い。
手元にあったチラシの「銀スクラッチ」に白色LEDを背面から当ててみれば、どんな色のスクラッチ部分であっても、ハッキリと自然に透けて見えてくる。一見、色味がかった銀スクラッチの下にあるものは全然見えないように思えたとしても、やはりそれは透けて見えてくる。結局のところ、そういうものなのかもしれない、と思う。
(若狭塗箸で)研いで出てくるもんは、
この塗り重ねたもんだけや。
反射光と透過光は違う。だから、反射光では何の違いも見えないものがあったとしても、それが透過光で「違わず」見えるとは限らない。また、それと逆に、透過光では違いが見えなかったとしても、反射光では全く違うさまに見えることもある。
つまるところ、反射光と透過光は違うのである。他の光を返すものが反射光で、他の光を消さないものが透過光である。それは、似てもいるし違うようでもある。
反射光をたとえて言うならば、それは夜空の月や星に似ている。宇宙空間のどこかには太陽がいて、夜空の月や惑星はその太陽の光を反射しながら動いている。同じ夜空のどこかに、より強く光を反射するものがあれば、ほんの少しの光しか返さない小さな惑星を見ることはできない。そういうことは世界に多い、ような気がする。
人間も箸と同じや。
日常生活の中で、「明るい光」は必ず広がっていく。けれど、「暗さ」が広がることはない。「銀スクラッチ」を見るとそんなことを思い出す。そして、雨雲の向こうにあるはずの、夜空に浮かぶ星や月の姿をふと見たくなる。
一生懸命、生きてさえおったら、
悩んだことも、落ち込んだことも、
きれいな模様になって出てくる。