2009-09-27[n年前へ]
■、私たちの日常にひそむささいだけれど不可思議な謎
北村薫のデビュー作、「空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書) 」の冒頭に宮部みゆきが書いた紹介文から。
ヒロインの「私」と探偵役の噺家 春桜亭円紫師匠とのやりとりを通して、私たちの日常にひそむささいだけれど不可思議な謎の中に、貴重な人生の輝きや生きてゆくことの哀しみが隠されていることを教えてくれる。そして、「解説」で引用される北村薫が単行本で書いた言葉が、次の一文。
”小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います”
2009-09-29[n年前へ]
■上手い人は上手い人が好き
柳家花緑「落語家はなぜ噺を忘れないのか (角川SSC新書) 」から。
落語家って、上手い人は上手い人が好きなのだと、私は思うのです。祖父が弟子でありながら独立して、落語協会まで離れて立川流を立ち上げた談志師匠を認めていたのは、やはり上手かったからなのでしょう。祖父(五代目柳家小さん)から聞いた言葉に「芸人の発言力は高座だ」というのがあります。つまり、噺の上手くないやつは何か言っちゃいかん、ということですよ。
2010-01-18[n年前へ]
■少し損な話も高座にかけて、腕を磨いたらどうなんだと
ミステリー部分以外を楽しんだような感のある、落語ミステリーの愛川晶「道具屋殺人事件──神田紅梅亭寄席物帳 [ミステリー・リーグ] 」から。
「せっかく芽が出てきたんだから、たまには少し損な話も高座にかけて、腕を磨いたらどうなんだと、そこんところさ」
「得な」とは口演が楽なわりによくケる噺。「損な」はその逆で、骨が折れるが、お客にはあまりウケない噺のことを指す。誰でも得な噺が好きに決まっているが、そればかり遣っていると、噺家としての技量が向上しない。そのあたりが難しいところだ。
2010-10-05[n年前へ]
■毎日続けていないと下手になる
「落語のひみつ 」(桂平治)を読んでいると、桂文治の言葉が書いてありました。
「六十歳過ぎたら噺家はうまくはならない。下手にならないように毎日しゃべってるんだ」その後には、さらに、春風亭柳昇の
「ピアノやヴァイオリンを弾く人は、一日稽古をしないと一日下手になる。噺家も同じだね」という言葉が続いていました。
どんなことでも、毎日続けていないと下手になるのだろう、と思います。それは、年をとると顕著だけれど、きっと年をとっていなくても同じことで、自分では前と同じようにできるつもりでいても、毎日の繰り返しを欠かしたら、指も頭も体も動かなくなっているに違いないと感じられます。
時折、自分が「続けていない」のに「続けてきた」かのように勘違いしてしまうことがあります。そうならないためには、・・・一体、どうしたら良いのでしょう?
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