2009-12-07[n年前へ]
■NEWS今昔物語「男と女」と「車」編 (初出2004年07月00日)
5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと
数年前の古いニュースも、意外に現在のニュースと同じように新鮮に感じたりすることもあるだろう、ということで、この過去の記事連載を、(昨日から)今現在の新しいNEWSと同じ枠のTech-logsに移動しました。
(記事を書いた時の)ひとこと
先日、高速道路での車の運転に疲れてSAに入って休んでいると、おっぱいプリンなんていうのが目に付いた。「大量に余ってしまったプリンの在庫・・・・。何とかして売れないか?そんな試行錯誤から登場した」という。(売れなかったはずの)この製品は、何と「市場に出ると同時に大ヒットを遂げた」という。「男と女」のどちらがこのプリンを買い支えているのかはわからないが、在庫整理の方法を何だかとても面白く感じた。
今回は、その高速道路での新鮮な驚きをキッカケにして、「男と女」と「車」にまつわる(5年前の)ニュースを選んでみました。
理想のカップはCカップ?
大人のオモチャの販売会社Adam & Eve sex toysによる、「 男性では42%、女性では45%が理想のバストは「Cカップ」だと思っている」という調査報告が7/2に発表された。
面白いのが、「大きいバストを好む人の比率は男性の方が女性よりも高く(男性18%, 女性9%)」、その割には「小胸さん = Aカップを好む人の割合も(この差はほとんど誤差だろうが)男性の方が女性よりも高い(男性3%, 女性2%)」というところだろうか。つまり、男性の好みは「巨乳」から「微乳」まで実に幅広い、ということである。
男と女では世界の眺め方が「文字通り」違う
『男と女では世界の眺め方が「文字通り」違う証拠』と 題した発表が7/8のNewswiseに掲載された。この中で、女性は色認識に関係する遺伝子を2種類持つことができるが、「異なる遺伝子を二種持つことにより、赤やオレンジの辺りの色を詳しく知覚することができ、果実を集めたりする(ことが多かった)女性たちにとっては便利だったのかもしれない」という推測と共に、「男女は-文字通り-異なった風に世界を見ているかもしれない」という。
男と女が見ている世界の違いは…知りたいような知りたくないような…。
「美人プログラミングスタイル」と「行き当たりばったり指向プログラミング」
沖ソフトウェア株式会社のWEBページ内で、プログラムのソースを調べて「いちゃもん」をつけるという汎用メトリクスツール「いちゃもん」の作り方という記事が7/16から連載され始めた。このサイトには他にも、美人プログラミングスタイルや行き当たりばったり指向プログラミングなんていう、面白いのにとても勉強になる一粒で二度美味しい記事がある。プログラミング作業に疲れた時には、こんな楽しげなプログラミング手法で枯れそうな心を癒してみるのも良いかもしれない。
ちなみに、他の楽しげなプログラミング手法としては初等ロリータ指向(×嗜好)プログラミング(中級編)もお勧めだ。
スチュワーデスと女子アナの平均顔
ネイチャーインタフェイスの最新号に東京大学の原島博教授による スチュワーデスと女子アナウンサーの平均顔 」の写真が掲載されている。その二枚の写真を眺めると、確かにいかにも「スチュワーデス」と「女子アナウンサー」に見えるから面白い。
アウディの車がエッシャーの世界を走る
最近、アウディのCMが評判になった。その動画をぼんやり眺めていると、一見自然に見えるかもしれない。しかし、よくよく眺めてみるとこの世界はヘンだ!そう、エッシャー(M.C. Escher)が描く不思議な空間をAudiの車が縦横無尽(縦も横も上下左右もよくわからないのだが)に走り回っているのだ。
その撮影のトリックの一端は 6/8にCGNetworksに掲載されたレポートで知ることができる。それは、まさにイリュージョンだ。
2010-04-01[n年前へ]
■若い人の前で恥をかくのを辞さぬ大人は偉い!
週刊SPA! 鴻上尚史 「ドン・キホーテのピアス」 No.759 「若い人の前で恥をかくのを辞さぬ大人は偉い!」から。
本当は、頭と体が硬直しそうになる年齢ほど参加した方がいいと思うんですよね。でも、大人は、参加しません。どうしてでしょう。若い奴の前で恥をかいてはダメだと思うのでしょうか。「演技」をさらい直すワークショップに、「演技はしたことがないんで、ものすごく恥ずかしいんですけど、がんばります」とボソボソ語りつつ、若い人の中に混じってジャージ姿になって参加していた人が、「ルーキーズ」「時効警察」「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」などを撮った塚本連平監督だったことを受けて。
僕が演劇以外のジャンルにいそいそと出かけるのは、もちろん、根が落ち着きがない、ということもありますが、演劇だけをやっていると、どんどん権威になっていって、先生と持ち上げられて、恥をかきにくくなるからです。
2012-04-14[n年前へ]
■大人が「手に入れるべきもの」「忘れないでいたいもの」
江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、その時代を振り返る大人の言葉を文章にした「十五歳の残像 」を読みつつメモした部分(hirax.net::Keywords::「十五歳の残像」のブログ)を眺め、ふと考えました。
十五歳の頃、それから年を経た頃、時間が経っても同じ事も多ければ、少しの「違い」もあったりします。その「違い」は良いとも悪いとも…どちらとも言えない、「違い」です。良いとも悪いとも言えないものを時に身につけ、時に失ってきたとしたら、それら「両刃の剣」を両面から眺め、それらを忘れないでおこうと願い、十五歳の大人の言葉を眺め直してみました。
「どんどん矛盾していくよね」→矛盾を受け入れる。けれど、その矛盾を生み出す「限り・限界」を当たり前と受け入れない。
「でも、表現するということはそういうことでしょう?イメージをある程度限りある形で強く打ち出していく、というのが表現ななんだから」
甲斐よしひろさん
「無神経でいようと思ったら、いられるようになったことかな」→無神経さを手に入れる。それと同時に、感受性を失わない。
宮本文昭さん
「自分をごまかす、とか、許す、とか、そういうことは長けてきたと思います」→自分をごまかす・許すという「弱さ」というか「強さ」を身につけると同時に、そうしない「若さ」を忘れないようにする。
おすぎさん
聡明なひと、というのはつまり、絶望の認識のあるひと、ということなのだろう。ただし、長塚さんの言葉にはとても肯定的な響きがあって、…私はちょっとほっとした。→「絶望の認識」をもちつつ、「肯定」をあきらめない。
長塚京三さん
言葉のひとつひとつに、必ず論理的必然性というか、原因と結果が備(そな)わっている。双六(すごろく)風に正確に一歩づつ先にすすめていく話し方だ。それも、聞き手がとりのこされないように丁寧に、きちんきちんと手順を踏んで。
公文 公さん
2012-11-08[n年前へ]
■「メガネのままの君が好き ~ 恋愛少女マンガの思想と構造」
「メガネのままの君が好き ~ 恋愛少女マンガの思想と構造(1)」
眼鏡をかけた少女のことを「眼鏡っ娘」という。ときどき「少女マンガでは眼鏡っ娘が眼鏡をはずすと美人になる」などと言われる。たとえば、中島梓はこう言っている。「「眼鏡をとったら君も美人」は少女マンガにとってはいまだに有効な呪文であります」。大ウソである。私は古今のマンガに描かれた眼鏡っ娘を1,041人調べたが、そのうち眼鏡を外して美人になるのは130人。率にすれば12.5%であり…「メガネのままの君が好き ~ 恋愛少女マンガの思想と構造(4) <おとな>と眼鏡」
つまり、眼鏡は容貌に問題があるという記号ではなく、当初は<おとな>の記号だった。そして、60年代には「子ども/おとな」という厳密な二項対立コードが成立しており、<おとな>の記号としての眼鏡は「脱-恋愛」的存在であることを意味していた。
しかし、1970年頃に<子ども>と<おとな>の境界線が消失し、<おとな>の権威が失墜する。そして<おとな>の失墜は、<おとな>のシンボルとしての眼鏡にとっては厳しい逆風となった。<おとな>になるという目的が存在した時代には、眼鏡は<おとな>のシンボルでもあったから権威を保ち得た。
眼鏡をかけた少女は権威ある<おとな>を想起させ、ステータスを保った。しかし、<おとな>という目的を喪失し、<恋愛>が自己目的化したとき、非-恋愛のシンボルとしての眼鏡は「<恋愛>からの脱落」を意味するシンボルへと容易にすり替わってしまった。そして、ついに眼鏡が負の記号となった。
現実的に眼鏡をかけている女性がブスだったから「眼鏡=ブス」というイメージができあがったのではない。<おとな>の消失に伴う価値観の転回により、「眼鏡=ブス」という図式が70年頃に成立したのである。
2014-01-31[n年前へ]
■孟子曰く、大人とはその赤子の心を…
台北の中心街を歩いてみても、旧正月(春節) で、ほとんど人とすれ違うこともありません(一番出会うのはレンタルバイクのU-bikeに乗ってる人たちだ)。そんな通りの一角で、「Legoを使った模型」が描かれたポスターを見かけて、思わず入ってしまったのがミニチュアハウスやミニチュアな景色が集められた「袖珍博物館」です。
袖珍博物館に展示されていたものたちが結構面白くて、色んな部屋を眺めた後に、最後の展示部屋の入り口上部を見上げると、こんな言葉が掲げてありました。
孟子曰、大人者不失其亦子之心者也。
(孟子曰く、大人とはその赤子の心を失わざる者なり)