hirax.net::Keywords::「大阪」のブログ



2008-01-30[n年前へ]

「ひかへん」v.s.「ひけへん」アンケート 

 「立ち切れ線香」の「三味線弾かしません」のニュアンスをどんな感じに聞くかを知りたくなって、アンケートをしてみた。聞いてみたのは大阪人1人と京都人2人、答えは少しづつ違うけれど、やっぱり、似たような結果でもあった。下に貼り付けたのが、その3人のアンケート結果だ。「ひけへん」は「不可能な事実(と表裏一体の残念さ)」で「ひかへん」は「意思と事実が混じり合ったようす」だ。

「わしの好きな唄、何で終いまで弾いてくれんのやろ?」
「もうなんぼ言うたかて、小糸、三味線弾かしません」

 こんなアンケート結果を目にすると、「立ち切れ線香」には「三味線弾かしません」こそがピタリとはまるように見えてくる。朱色と藍色が複雑に混じり合う夕暮れの空のように、事実と意思が複雑に混じりあった言葉で、緞帳が下ろされる方がふさわしいような気がしてくる。

たくさんの混じり合っているものを、味わいのもよい。

ひかへん」v.s.「ひけへん」ひかへん」v.s.「ひけへん」ひかへん」v.s.「ひけへん」






2008-02-13[n年前へ]

若狭 小浜の海 に行く 

 米大統領選の民主党候補選で知名度を上げたオバマ上院議員と似てる名前、NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」の舞台、そんなこんなで「小浜」の名前をよく聞く。

 学生時代、よく小浜へ行った。京都市は太平洋からも日本海からも、そのどちらにも同じくらいの距離に位置している。南の海も北の海も同じくらいの距離にあるけれど、太平洋を見に大阪湾を眺めに行くよりも、日本海をの波を見に若狭湾へ行く方がいい。だから、京都から海を見に若狭湾へ行く人は多かった、と思う。

 京都から比叡山の麓、大原を抜け、若狭街道を車で3時間も走れば、小浜に着く。京都の北部の山中を走る若狭街道を、ただ走るだけで小浜に着く。 この小浜と京都を結ぶ若狭街道は、「鯖街道」とも呼ばれる。かつて若狭湾から京都へと鯖を運んだ道を鯖街道と呼び、若狭街道はそんな鯖街道の一つだ。 だから、京都から小浜へ行くまでの間には、時折、昔ながらの町並みが姿を現す。

 若狭小浜は、海沿いに道があって、その道沿いに家が並んでいて、それが繋がり集まり小さな町になっている、そんな海に面した小さな町だ。曲がりくねった道の隣にはいつも海が見え、その海の先にはいつも走る道の先が見える。そんなよくある日本の海沿いの町だ。

 冬から春先にかけての若狭湾の海は、とても澄んでいて綺麗な青碧色をしている。暖かい夏になるともう少し濁った色になる。いつかまた小浜の町に行ってみよう。

若狭湾鯖街道






2008-02-16[n年前へ]

「鯖街道」と「地獄八景亡者戯」 

 NHK朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」で、涙なくしては見ることができない「地獄八景亡者戯」が演じられている。何週間かかけて、何人もの登場人物たちが、それぞれの人生に重ねた「地獄八景亡者戯」を演じる。その幾重にも重なる人生の姿に涙する人は多いと思う。

 冥途を旅する……という話のルーツは随分古いものがありましょうが、これを滑稽なしゃれのめした物語にしたのは、(室町の狂言にもありますが)やはり江戸時代からでしょう。

 「地獄八景亡者戯」は、鯖にあたって死んだ「喜ぃさん」の話で始まる。若狭の海から京都・大阪へと鯖を運んだ街道が鯖街道・若狭街道だということを思い返せば、何だか「地獄八景亡者戯」はとてもその鯖街道と似合ってる。

 もともとこの話は、その時その時の事件や世相流行などをとり入れて、言わばニュース性を持たせてやる演出で伝わってきたものです。五世笑福亭松鶴師のは、私が聞いたのは戦後でしたが、昭和初期の赤い灯青い灯の道頓堀、カフェー全盛時代や、活弁の真似なんかがはいっていました。
 このはなしの一応の原典と見てよいものは江戸時代の小咄本にありますが、各地の民話にもあり、また欧州の民話にもあるそうで、木下順二氏の「陽気な地獄破り」はこのヨーロッパの民話を基にされています。本当の原典は従ってよく判らないというのが答えと言えましょう。

 小浜の町から若い(わかい)主人公 若狭(わかさ)が関西の街へ出て、年を重ねつつ色んなものを見る。そんな話と「鯖街道」と「地獄八景亡者戯」は、とても自然に重なっている。

 その内に、これを十八番の持ちネタとして新しい「地獄八景」を作ってくれる人が出てくることでしょう。これは滅ぼしたくない話です。

『特選!! 米朝落語全集』 第十五集






2008-03-15[n年前へ]

魔法の「ライブ・トレイン」と「もう一つの幸運」 

 私たちが乗った魔法の「ライブ・トレイン」の方は、名古屋から東京国際フォーラムにライブ(Live)を見に行って、その方たちは素敵な景色を眺めたわけです。その『素敵な景色・できごと』『ほんの一瞬のそこだけで起こった魔法』には、実は「もう一つの幸運」が重なっていたのです。

 3月14日までは、東京駅始発で22:00ちょうどに発車する列車は「最終の名古屋行き ひかり433号」でした。つまり、あの方たちが乗り、終着駅の名古屋で降りた列車です。だからこそ、「ひかり」が終着駅の名古屋に到着したときに、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!がチャイム・メロディとして流れたわけです。

 しかし、3月15日から東海道新幹線は新しいダイヤで運行することになりました。新ダイヤで、東京駅のホームを20:00に発車するのは、新大阪行き のぞみ155号になりました。東京駅の15番線から発車する のぞみ155号 に乗れば、今日からも「魔法の瞬間」を眺めることはできるでしょう。けれど、「名古屋」はのぞみ155号の終着駅ではありません。だから、のぞみ155号から名古屋で降りる乗客の方々はTOKIOのAMBITIOUS JAPAN!で聞くことはできないのです。

 「ライブ(Live)の続きのような、あるいはライブの最後のようにも感じた」という、TOKIOが「たとえて言えばロング・トレイン。…未来に向かってまっしぐら」と唄うチャイム・メロディは、(名古屋から来た方々にとって)先週だったからこそ、体験することができた「素敵な魔法」だった、ということになります。そこには、新ダイヤに変わる前だったという「もう一つの幸運」が重なっていたのです。

 「魔法」を見るためのさまざまな条件が重なったのが、果たして偶然なのか、それとも必然なのかはわかりません。ただ、そんな「もう一つの幸運」を知るのも、何だかとても素敵だと思います。「素敵な魔法」の素敵らしさを濃縮した蒸留酒を手にしたような、そんな「素敵」が蒸留されたグラスを掌で包んでいる気持ちになりますね。

TokyoStation






2008-04-03[n年前へ]

「NHK連続テレビ小説」 と「11PM(EXテレビ)」 

 NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」が終わった。こんなにNHK連続テレビ小説を楽しみに・待ち遠しく観たのは、「ふたりっ子」以来だ。

 NHK連続テレビ小説と言えば、東京制作と大阪制作が交互に行われているのが特徴の一つである。「ちりとてちん」は大阪制作の女性脚本家だったが、そういえば、「ふたりっ子」もやはり、大阪制作の女性脚本家という組み合わせだった。脚本が大石静だった「ふたりっ子」では、気の強い主人公と将棋の世界が魅力的だったし、脚本が藤本有紀の「ちりとてちん」は、いつでも弱気になりがちな主人公と、主人公を取り巻く人たち、そして落語の世界がとても魅力的だった。

 そういえば、交互に「東京制作と大阪制作が交互に行われる」というと、「11PM(EXテレビ)」を思い出す。11PMは大橋巨泉(東京制作)と藤本義一(大阪制作)が交互に司会をする(もちろん内容の傾向もかなり違う)番組で、その後継番組だったEXテレビは、三宅雄二(東京制作)と上岡龍太郎(大阪制作)が交互に司会をする番組だった。どちらも、比べようもないくらいに大阪制作の方に、私はとても惹かれた。番組に詰まっている荒削りなアイデア・勢い、一見テキトーにも見える、けれど見るからに「その背景」へのこだわりと情熱を感じる(見せる)真摯な雰囲気がとても面白かった。

 ひとつ、思うことがある。「ちりとてちん」にしろ、「ふたりっ子」でも、その結末をどこに置き、結末の先がどこに向かっているように見せるかは、脚本家自身が一番考えていることなのではないだろうか。



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