hirax.net::Keywords::「表裏一体」のブログ



2008-01-30[n年前へ]

「ひかへん」v.s.「ひけへん」アンケート 

 「立ち切れ線香」の「三味線弾かしません」のニュアンスをどんな感じに聞くかを知りたくなって、アンケートをしてみた。聞いてみたのは大阪人1人と京都人2人、答えは少しづつ違うけれど、やっぱり、似たような結果でもあった。下に貼り付けたのが、その3人のアンケート結果だ。「ひけへん」は「不可能な事実(と表裏一体の残念さ)」で「ひかへん」は「意思と事実が混じり合ったようす」だ。

「わしの好きな唄、何で終いまで弾いてくれんのやろ?」
「もうなんぼ言うたかて、小糸、三味線弾かしません」

 こんなアンケート結果を目にすると、「立ち切れ線香」には「三味線弾かしません」こそがピタリとはまるように見えてくる。朱色と藍色が複雑に混じり合う夕暮れの空のように、事実と意思が複雑に混じりあった言葉で、緞帳が下ろされる方がふさわしいような気がしてくる。

たくさんの混じり合っているものを、味わいのもよい。

ひかへん」v.s.「ひけへん」ひかへん」v.s.「ひけへん」ひかへん」v.s.「ひけへん」






2008-06-14[n年前へ]

続・秋葉原という街で 

 秋葉原の事件が起こって、もうすぐ一週間が経つ。その一週間の間に、出張帰りに現場で少し佇んだ。昔はよく通った町、秋葉原で倒れた人たちのことを少し考えた。

 あるいは、彼と同じように、同じようなコースを東名高速を車で走り、秋葉原に行った。そういえば、秋葉原で、ビル荒らしと間違われ職務質問に合い、結構長い時間、鞄の中身からポケットの中身までボディチェックもされたこともある。静岡 裾野インター近くの会社に通勤する人の行列や、バスを待ちの行列の前を通る朝が多い。だから、もしかしたら、彼とすれ違ったこともあるかもしれない。

 東浩紀という学者が、この件について書いた文章を読んだり、語る言葉を聞いた。「秋葉原という場所」を選んだ理由についてこの人が書く解説は、不必要に長く・小難しい言葉を使い、そして肝心なことから目を逸らしているように感じた。

 感じた「肝心なこと」を一言でいえば、「彼」にとっての「秋葉原」は「自分に似た人がいる街」だったのだろう、ということに尽きる。自分をわかってくれる人がいるかもしれない街、そして、自分と同じような「弱い」人たちが歩いている街、だと感じていたのではないだろうと、そんな奇妙な確信がある。

 渋谷のセンター街には疎外感を感じ、センター街を歩く人たちを倒す自信もなく、ましてや、新宿 歌舞伎町に突っ込んだ日には、逆にドス(小型の刀)で一発で倒されそうにも感じ、だから、そういった場所を意識上で選択肢としても考えることがなかったのではないか、と思っている。結局のところ、「秋葉原」は『自分に似た「弱い」人がいる街』だろうと「彼」は感じていたのだろう、と思っている。

このカッコ付きの「弱い」ということ「自分(それは逆に他人への認識と表裏一体である)」ということを掘り返していないように感じる評論には、「肝心なことから目を逸らしている」という印象を受ける。不必要に長く・小難しい言葉を重ねれば読み物にはなるかもしれないが、行動には繋がらない、と私は思う。

秋葉原






2009-07-11[n年前へ]

Matlabの「長所」と「短所」 

 データ処理言語であるMatlabの「面白い」ところは、目的としていること・やりたいことが簡単にできる、ということだと思う。そして、そういったことを簡単にできるからこそ、使う人も多いのだろう、と思っている。

 たとえば、Matlabにはバックスラッシュ演算子"\"といったものが用意されている。A*X=Yという行列式があったなら、X=A\Yという風に書けば、Xを解くことができる。スラッシュ演算子"/"を使うと、たとえば、Y/Aとすれば「Yを右からAで割るようなこと」をしてくれる。それが、バックスラッシュ演算子"/"を使ったA\Yならば、「Yを左からAで割るようなこと」をしてくれる。・・・いや違う。そういう方程式を目の前にした人が、「きっとしたいだろうこと」をしてくれる。Matlabは実にサービス精神旺盛なソフトで、「実際にする作業」を細かく書かずとも、やりたいことをしてくれたり、する。

 長所と短所は、一枚のコインの裏表。つまりは、表裏一体、同じものだ。「やりたいことを(自分が書かずとも)やってくれる」言語が好きな人もいれば、「実際にする作業を細かく書き連ねる」言語の方が好きな人もいる。

 たとえば、バックスラッシュ演算子は上に書いたような状況下では、「左から逆行列を掛ける」のと”似た”ことをしてくれる。しかし、実際にはそういうものではない(説明例)。Matlabは「やりたいこと」を簡単にしてくれるが、その一方で「何をしているか」が見えにくい・わかりにくいように思う。

 それは、もちろん、「何をしているか」をわかりやすく目に見えるようにしたら、「(本来の目的の)やりたいこと」が見えなくなってしまいがちだ、ということでもある。やはり、長所と短所は一枚のコイン、表裏一体なのである。

2010-06-01[n年前へ]

欠点を数え上げても幸福にはなれません 

 婦人公論4月22日号に収録されている、内田樹の「欠点を数え上げても幸福にはなれません」から。

 「言われて治る」ようなものは「欠点」とは呼びません。でも、そういう本質的な欠点は、その人の本質的な長所と表裏一体になっています。
 そして、決して治るはずのない性格特性を「減点」対象として日々意識することで、幸福になる人は誰もいません。…そんなふうにして、自分で自分を不幸にしている人がたくさんいます。



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