2006-09-12[n年前へ]
■経済学インタビューの最終回は希望学
経済学インタビューの最終回は、東京大学社会科学研究所 「希望学プロジェクト」で知られる玄田有史 東大助教授にインタビューをさせて頂くことに決まりました。ありきたりかもしれませんが、経済学インタビューの最終回はつまり「希望」がテーマです。これまでの「満足」「価値」「魅力」「選択肢」「感情」「技術革新」といったことを聞いてきたつもりですが、その最後はやはり、「希望」です。
キャリアとは、轍(わだち)のことだ。轍が繋がり、そこに道が出来る。ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。 「3つ」のヒント 玄田ラジオ
思うに希望とは、もともと、あるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと、地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 魯迅 竹内好 訳「故郷」
2006-09-26[n年前へ]
■「希望の希」は「希ガスの希」…?
先日、品川で「希望学」玄田有史教授への質問事項を考えていました。疲れていたせいか「世界は希望に満ち溢れていますよね(笑)」と言える気分でもなく、…しかし同時に「インタビューイが掲げるキャッチフレーズを否定する気分もちょっとねぇ…」と思いながら、言葉に詰まりながら編集者に私はこんな話をしていました。「希望の"希"って希ガスの"希"ですよね」「なんだか、"望みが叶う可能性が少ないことが希望だ"っていう気がしません?」「何だかどこかの実験室のチャンバーの中でしか見つけることができないようなものに思えません?」
希望とは、文字通りに読めば、希(まれ)にしか叶わない望みである
玄田有史 『希望学』
希:まれ・少ない・薄い(例:希少・希ガス・希薄)
希:乞い願う (例:希望・希求)
『新明解国語辞典』
■「夢」と「希望」
from n年前へ.
なぜ、日本人や韓国人は、他人に「将来の夢」を聞いたり、自分の夢を語ったりできるんでしょう?夢って、もっと具体的に考えるものではないんでしょうか?
夢と希望って何だろう?と思い、新明解をひく。すると、「夢」は「実現するかどうか判らないが、やりたいと思っていた事柄」で、「希望」は「よりよい状態を期待し、その実現を願うこと」となっていた。 「実現」と「期待」の違いなんだろか?それとも、「よりよい状態」が重要なんだろうか。
2006-10-01[n年前へ]
■「希望」の検索結果 from inside out
「希望の"希"って希ガスの"希"ですよね?"望みが叶う可能性が少ないことが希望だ"っていう気がしませんか?」「まるで、どこかの実験室のチャンバーの中にしか見つけることができないものに思えません?」 2006年09月26日(火)
希望とは、文字通りに読めば、希(まれ)にしか叶わない望みである 2006年09月26日(火)
希:まれ・少ない・薄い(例:希少・希ガス・希薄) 希:乞い願う (例:希望・希求) 2006年09月26日(火)
夢と希望って何だろう?と思い、新明解をひく。すると、「夢」は「実現するかどうかわからないが、やりたいと思っていた事柄」で、「希望」は「よりよい状態を期待し、その実現を願うこと」となっていた。…「実現」と「期待」の違いだろうか? 2003年09月26日(金)
キャリアとは、轍(わだち)のことだ。轍が繋がり、そこに道が出来る。ただ、どんな道にせよ、共通するのは、途中で必ず迷うということだ。どちらに進んで行けば良いのか、わからない時がきっとあるだろう。大切なのは、わからないということへのタフネスを身につけることに精力を注ぐことだと私は思う。それが、最良のキャリア教育であると、私は信じている。 2006年09月12日(火)
思うに希望とは、もともと、あるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは、地上の道のようなものである。もともと、地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。 2006年09月12日(火)
赤影さんがポルノ男優になり、スポーツ新聞にひたすらエロを書き連ねて生計を立てているのを知ったとき、全てに絶望したような気がする。 2005年06月01日(水)
絶望どころか希望が湧くような気もしてくるのは…私だけでしょうか?なんだか希望が湧いてきません? 2005年06月01日(水)
「希望は厄難?それとも善?」「希望は道具と同じってこと。道具に善いも悪いもないでしょう?」 2003年07月15日(火)
> 上司は若手に「未来の価値」=希望・夢を> 与えることが必要。 そのとおりです。でもそれができている上司は少ない。きっと、けっこう難しいことだと思うんです。それに比べて、上司が若手の「希望・夢」を失わせることは、哀しいほど簡単。そして、至るところで行なわれている。まったく、哀しいほどに。 2006年03月10日(金)
絶望から希望に変わっていくきっかけはとても些細なことの積み重ねで、心が動いていく。些細なこと。…それは言葉で励まされるのではなく、静かな励ましであり、希望である。 2003年10月22日(水)
読者の心をちょっとでも癒せたなら嬉しいという意味のことを「私」が語っていて…(中略)…が、彼女の作品を愛好する者ならば「でも頑張るのはあんた自身だよ」という言外のメッセージを読み取るはずだ。 2005年01月15日(土)
何かを根気強く続けるということは、言い換えれば挫折や失敗に負けないということでもある。それが、つまりは希望ということになるのではないだろうか。 佐藤 香 「希望がある人、希望がない人」
2006-11-04[n年前へ]
■加納朋子「レインレイン・ボウ」
加納朋子の「レインレイン・ボウ」(の文庫版)を読んだ。9人いた高校ソフトボール部のチームメイトの1人が亡くなる。その前後の25歳のチームメイトたちを描いた小説だ。話のアウトラインを稚拙に書いてしまえば、北村薫の「秋の花」とよく似たものになるだろう。あるいは、その感想を書いてみても、Amazonの「秋の花」の書評
それぞれ「彼女」の心を読み解こうと試み、やがて「自分」の位置に思いを馳せる。あるものは倒れ、あるものは絶望し、あるものは迷い続ける。その途上に、彼女の残した「きっと」という言葉。それは運命、その意味へと向き合う人の希望であり、なによりも祈りなのである。などと似たようなものになるかもしれない。けれど、遥か年上の男性という視点から描かれた物語と、そうでない物語という違いが(いつもそうであるように)ある。
9人の物語が、まるで、色環の上を歩いていくように、オレンジ・スカーレット・黄色・緑・紫・藍・青と続く7つの物語で綴られる。何事もあまりに真剣に考えてしまいがちな人は「さらりとしすぎる」と感じ、楽しめないかもしれない。そうでない、「人生楽ありゃ 苦もあるさ涙のあとには 虹も出る」と水戸黄門風に考える人であれば、さらりと楽しめるかも。
「文化によっては、虹は6色とされているところもあるのよ」「何色が抜けているんですか」 …ないことにされている色を気の毒に思い、尋ねた。
プリズムを通過した光が見せる、無数の色のグラデーション。その細かな色のひとつひとつが、見える人には、見える。見えない人には、見えない。
「自分のことは自分が一番知ってるわよ」「自分で思っている自分が、必ずしも本当の姿に近いってことはないですよ」「色んな色が虹みたいに重なり合って、複雑な模様を作ってるからこそ、人間って面白いんじゃないですか」
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