2006-07-13[n年前へ]
■「パッチもん版画」作成ソフトのノイズ低減処理
「ナンシー"小"関 風 パッチもん版画」作成ソフトにノイズ低減処理を書き加えておきました。「JPEGのブロックノイズやら、粒状性が悪い画像に処理をかけて、ノイズだらけの画像」をナンシー関 風なんて紹介されていると、世界の何処かへ逃げ出してしまいたくなるので…。逃避行の先は、やっぱり「恐山」でしょうか?
2006-07-15[n年前へ]
■「夢」
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散歩の途中で富士山に登った人はいない。まずは、登ろうと思うことです。 ジョージ秋山
睡眠中に生活経験のごとく生起して目覚めると同時にはかなく消える、一種の幻覚 「夢」 新明解国語辞典
希望は道具と同じってこと。道具に善いも悪いもないでしょう?
2006-09-25[n年前へ]
■「私たち自身」@みんなの意見
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(私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は、「私たち自身」という言葉と入れ替えることができるに違いない。
「テレビニュース」が世の中に与える影響は?
-> 悪い
「テレビニュース」は信用できる
-> No
「テレビニュース」はあなたの人生にとって
なくてはならないものですか?
-> Yes
2007-07-15[n年前へ]
2007-07-26[n年前へ]
■「二十年」
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1985年発行、つまり、ほぼ二十年前に発行された「科学技術を考える」(グラフィケーション編集部 編)には、坂村健、渡辺茂、村上陽一郎、竹内啓ら19人による対談11編が収録されている。 1985年というと、つくば科学万博が開かれていた頃だ。しかし、その内容は決して古くない。それは、次の文章を読むことで、まざまざと実感させられることだろう。「万博会場の自動翻訳機を使って、エスキモーとケニア人が対話している。いまや、世界中が科学の力で結ばれている。ロボットにピアノを弾かせたり、似顔絵を描かせることが流行している。しかし、そんなことができたからといって、世界中に渦巻いている異民族間、異文化間の問題が何か一つでも解決したわけでもない」 坂村 健は対談相手の端山貢明にこう語る。「技術の進歩が早い、早いとよく言われますが…新技術が研究されてから一般化するまでに二十年かかる」
この言葉は今から二十年前に交わされた会話である。「二十年前の過去」の未来を振り返ってみることもとても良いのかもしれない。「二十年前の過去」の未来はまさに今現在であるのだから。
「 都合の悪いことはいつもくりこむ。ほんとにそれでいいのかな 」
「都合の悪いことはいつも繰り込んで、そして、いつでも幸せを探す」だって、みんな人間なんだもの。
好きになった女性の素敵な笑顔をみるたび、それがDNAの膨大な組み合わせの中に存在する、「たった1つ」の結果であるということに、「あぁ、本当に良く組み合わさってくれたなあ」と、思います。
今も、私が大学で勉強する必要性はわからない。けれど、少なくとも、彼女に立派な「大人」になったと認められたいために、彼女に追い付くために、今日も私は学校へ行く。
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