hirax.net::Keywords::「技術」のブログ



2011-06-22[n年前へ]

技術や科学は「目的」ではありません。けれど、それは有力な「道具」です。 

 技術や科学は「目的」ではありません。それは単なる道具に過ぎない…と書くと、多くの方々の意志を(一見)否定してしまうようですが、それは、少なくとも「目的」ではありません。それは、目的を実現できるかもしれない『有力な道具」に過ぎません。

 どんな状況だったか忘れてしまいましたが、何かの文化・技術に関する未来予想図をどこかの誰かに聴きに伺いました。

…その時、強く感じたことは、「技術や科学」を(これから形作られるだろう)歴史の中で「未来はこうあるべきだ」と位置づけ・考えることができる人は、これから人が進むべき未来、人の未来を幸せにする「文化」という「力」を備えている、ということでした。…そういうことを今更ながらに感じさせるほと、そういう「力」ならぬ「意識」を備えている人は少ないのです。

 技術や科学は「目的」ではありません。そんなことは、100人が100人知っています。本当の「目的」は人(やそれに付随するもの)が幸せになる未来です。そんな未来を実現するための「何らかの力」が目的を達するための道具です。

 技術や科学は「目的」ではありませんが、未来はこうあるべきだという目的、人が進むべき未来・人の未来」を幸せにすることができる有力な道具です。これから人が進むべき未来、人の未来を幸せにする「向き=ベクトル」を作るのは、「未来はこうあるべきだ」という意志と「何かを実現できる」道具の掛け合わせです。

 技術や科学は「目的」ではありません。けれど、人が進むべき未来・人の未来」を幸せにするという目的を作り出すことができる「有力な道具」は、人が作り上げたそんな技術や科学です。

2011-10-18[n年前へ]

「技術」が作る「人の姿」 

 from 「n年前へ

グーテンベルグ(印刷技術)は全ての人を読者に変えた。
ゼロックス(コピー機)は全ての人を出版者に変えた。
コンピュータは全ての人を書き手に変え、
インターネットは人をコメンテータにしてしまった。
コメント欄溢れる各種ツールを使っていると、
「コメントをつけるだけの人」になってしまいそうだ。

2012-01-28[n年前へ]

「バブル」と「スキル」 

 今日と同じ「1月28日」に書いた「n年前へ」から。ちなみに、「〜年前へ」の”前”は、過去でもありますが、それと同時に未来でもあると思いつつ決めた、そんな「ネーミング」です。

 歴史上、バブルは何回もありました。イギリスで起こった南海泡沫事件、米国における192o年代の株式ブームなど、回顧すると「なぜ?」と思われるような異様な事件が繰り返し発生しているのです。南海泡沫事件にはあの偉大な物理学者ニュートンさえ、南海会社に手をだして、多大の損失を蒙ったということですから…。
 「バブル」の語源となった「南海泡沫(サウスシー・バブル)事件」でアイザック・ニュートンは2万ポンド(現在の1億円相当)を失っています。「私は物体の運動は測定できるが、人間の愚行を測定することはできない」という名文句を後世に残しました。
 周りの風潮に惑わされることなく、みんなは自分のやりたいことをしっかり見つけなさい。…ただし言っておくけどもね、そこにはしっかりとした技術を身につけていなければ生き残れないという掟、厳しい掟があることもどうぞ忘れないでください。…自分の技術は自分で一生懸命磨いていく。…そして、もうひとつ。狭い視野で物事をとらえないということ。

2012-09-25[n年前へ]

変わらない・変わるところもある「それこそが粘弾性のおっぱいならぬ人間」だ 

 メトロノーム同期の話題の話題を、ここ数日見かける。そこで思い出した、2011年の春の終わりに書いた雑文。「オッパイ星人の力学 揺れるバストの集団同期 編 ~ 1億数千万の人々を14個のおっぱいに例えてみた

 おっぱいこそが人間を生み育てた原動力なのだから、おっぱいに育てられた人間の動き・人間関係の力学をおっぱいの力学で説明できないわけがないだろう!…題して「揺れるバストは均質である限りにおいて集団同期する、等質な揺れるバストはみな同じ方を向きたがる、の法則」だ!
 当たり前だ!現象を説明するだけでは、それは科学かもしれないが、日本が誇る技術ではない。右手に現象把握、左手に「どうするべきだ」という改善策、そのふたつを兼ね備える、それが技術のあるべき姿だ!
 多様性があって、変わらないところもあれば・変わるところもある。それこそが、粘弾性の「おっぱい」ならぬ人間というものなのかもしれないな。

2012-10-30[n年前へ]

未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」 

 お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。

 たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。

 自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。

グライダー能力

 今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。

 「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。

 そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。

 自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

広義のプログラミング
「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。

 ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。

 近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック



■Powered by yagm.net