2004-01-25[n年前へ]
■今日の新明解アンコール「空」「大空」
「空」
自分が立っている所と違って手の届かない、はるかに高い空間。from n年前へ
「大空」
晴れの日に野外で上を仰ぎ見た時、無限に続いて見える、広い空間。from n年前へ
2004-03-23[n年前へ]
■「男」と「女」
「ポジティブな自分」と「ネガティブな自分」から、「ノーマ・ジーンとマリリン」を読んでみた。
ポジティブな自分を否定するネガティブな自分は必ずいるように、そして自分の本当に願う幸せはこれじゃない、と言い続ける自分がいるように、彼女の心の葛藤はとどまることがない。薬と酒に頼るマリリンは”結婚”にゴールを見出そうとするが、それも夢と現実のギャップ、男と女の違いに阻まれて妥協点を取ることも出来ない。「夢」と「現実」の違い、を新明解で調べてみれば、「夢」が「睡眠中に生活経験のごとく生起して目覚めると同時にはかなく消える、一種の幻覚」で「現在当面していて、それを無視することができない事柄」となるらしい。なるほど、目を開けると同時にはかなく消えてしまうのが「夢」で、目を開けても消えずに目の前に居座り続けるのが「現実」というわけか【目をつぶりたいおれカネゴン】。
「夢」と「現実」の違いはなんだかわかるような気がするが【何をわかったカネゴン】、「男」と「女」の違い、というのはいったいどんなものなのだろう?新明解に聞いてみる前に、もう少し自分で考えてみることにしてみよう【自習でなにをおれカネゴン】。
文中で目をとめたのが、こんなフレーズ。
マリリンを一言で表現するのは難しいといったのは、3番目の夫アーサー・ミラーつまりは、カントやヴィトゲンシュタインでなくとも誰しも「語り得ぬもの」で世の中は満ち溢れていると思うのだろう。そして、「三番目」というくらい世の中には”結婚”も満ち溢れているらしい。一体、ギネス記録は何回なのだろうか。
結婚のギネス記録はどうでも良いが、アーサー・ミラーが「マリリンはマリリンだ」と言いたくとも、「マリリンはマリリン」なのかはたまた「マリリンはノーマ」なのか、そんな言葉の迷路に迷い込んでしまったりもするわけで、「語りえぬもの」ばかりの世の中というものもそれはそれで良いかも知れぬ。さすれば、何も語らずに黙っていたとしてもも、「沈黙は金」と誤解されつつあるがままに許されたりするのかもしれない【黙ってられずにおれカネゴン】。
2004-05-22[n年前へ]
■"幸せ"と"仕合わせ"を繋ぐ糸
縦の糸はあなた 横の糸は私逢うべき糸に 出逢えることを人は 仕合わせと呼びます 中島みゆき 「糸」
同じ音の言葉を並べ、音が同じなんだから意味も同じなんだ・似ているんだと繋いでみる。それは例えば草枕の冒頭の「人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」という繋ぎ方だ。それが例え論理的でなかったとしても、それでもそんな「繋ぐ」ということには意味がある。繋げて眺めた人がいる、ということにとても大きな意味がある。
とはいえ、「意味がある」というならば、やはり辞書で一回その意味を調べてみた方が良いだろうか。そこで、新明解国語辞典で"幸せ"と"仕合わせ"の意味をひいてみよう。
仕合わせ 運命の巡り合わせ幸せ その人にとって・幸福であること運命の巡り合わせがその人にとって幸福であるかどうかは判らない。仕合わせが幸せであるかどうかは判らない。しかし、「出逢うこと・巡り会うこと」が「仕合わせ」で「仕合わせ」が「幸せ」になる、と誰かが繋いだことには意味がある。結果がどうあれ、誰かが色んな糸を紡ごうとしていることには必ず意味がある、と思う。
そうだ、過去に浮かんだ「巡り会う」と「幸せ」も同時に眺めてみよう。もしかしたら、自然に繋ぐことができるのだろうか。
2005-07-12[n年前へ]
■渋谷・品川
渋谷 鉢山町の一日。
その後、夜は品川で材料屋さんと飲む。ビールをただひたすらに飲む。「inside outが始まった頃の方が好きでしたよ、身も蓋もない言葉が多くて」という言葉を聞いて、何だかとても意外で面白かったので、今日の「LINK http://www.hirax.net/diaryweb/07/12.html 」を眺めてみた。
一年前の2004年の今日は、「コインには2つの面がある」というメモをしていた。
あまりにも短く最適化してしまうと、人がそれを見たときに理解しにくい。けれど、努力してそれを理解できるようになったときに、何かを学ぶことができる。つまり、コインには2つの面があるということさ。というSteve Wozniakの言葉を書き写したり、あるいは、はてなの匿名ポイント送信の廃止を嘆いている。そして、今年の今日ははてなで一日を過ごしているのだから、不思議なものだ。
二年前の2003年の今日は、今日飲んだ相手から「すなのなかにきえたタンネさん」の
それに、ぼくら、わすれはしないよ。やさしかったタンネさんが、ロボットになってしまったときのあの顔を。という文章を送ってもらい、14ミリグラムの「いろんな気持ち」を書いている。
四年前の2001年の今日は、「大空」を新明解でひいて、
晴れの日に野外で上を仰ぎ見た時、無限に続いて見える、広い空間という言葉をメモしながら、東京でわきさんとビールを飲んでいる。そうか、今日はビールの日だったのか。
そして、五年前の2000年の今日は…、あぁ「バカじゃないの、ベンチがアホばかりじゃね」だ…。これは確かに身も蓋もない言葉だ…。「始まった頃の方が好きでしたよ、身も蓋もない言葉が多くて」という人もいるのだから、人の違いは面白いものだなぁ。
2005-09-22[n年前へ]
■続「自分を正当化してくれるもの」を好む
Tech総研ブログにエンジニアが選ぶ「座右の書」- 続「自分を正当化してくれるもの」を好む -を書きました。
ちなみに、他の方が選んだ本で私が手元に持っている本(つまり私も気に入っている本)は「ハッカーと画家」「イノベーションのジレンマ」「「超」整理法」「物理数学の直観的方法」「鉄腕アトム」あたり、ですね。
「座右の書 = いつも自分のかたわらに置いておく本」とはどんな本なのでしょうか? …そこで、いつものように新明解で「座右の銘」という言葉の意味を調べてみると…
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