2002-11-18[n年前へ]
2003-09-14[n年前へ]
■『巡り会い』in新明解
「世界って狭い。でも逢いたい人には巡り逢えない」という言葉。Google検索ならきっと簡単に巡り会うこともできるのだろうけれど、現実に巡り会うのはそれとは違うから、ね。の続き。
それに、Googleの巡り会いなんかは無い方が良いかもしれないし、ね。
「後悔しない?…いやきっとする」を読みつつ、なるほど辞書で引くって大切だなぁと感心し、私も辞書で引いてみた。もちろん、こういうときは期待を込めて新明解で。
巡り会う=長い間分かれていたものが思いがけない所で出会う。巡る「巡る」という言葉のイメージを1にとるか、2にとるかで『巡り会う』のイメージが過去に向くか、未来に向くかが分かれるのかも?どうでしょうね?元カレと新カレのイメージの違い、という感じでしょうか?どうでしょうね?
=1.回って、元の所へ戻ること。
=2.あちこちに立ち寄る
あと、真似して歌で例えるなら中島みゆきの「時代」の「巡る」という感じかな。
2003-09-20[n年前へ]
■オトナとコドモの境界線
オトナとコドモの境界線をひくとしたら何処に一体ひくだろう。十五才?二十才?それとも三十才?あるいは、人によっては自分より下がコドモで自分より上がオトナなんて線をひいてしまうだろうか?そもそもコドモって何だろう。きっと、それは単に「オトナになってない状態」のことだろう。だとしたら、オトナって一体何なのだろうか?
じゃぁ、というわけでまたもや新明解のページを眺めてみることにした。
自覚・自活能力も持ち、社会の裏表も少しずつ判りかけてきた人なるほど、「社会の裏表も少しずつ判りかけてきた人」がオトナなのである。しみじみと深い言葉なのである。何より先に「社会には裏表がある」という言い切ってしまうところがまさに新明解なのだ。新明解はきっと苦労を知っているのである。
そして、ここでいう「裏」とは、きっとネットランナーに掲載されるような「裏ツール」などで使われる薄っぺらい「裏」という言葉とは次元の違うものに違いない、と思うのである。コドモが思う「裏」とオトナの思う「裏」とは世界がきっと違って、きっと「映画のセットの裏」と「現実の街角の裏」くらい違うものじゃないだろか、と思うのである。
それにしても、オトナとコドモの境界線って一体どこにあるんだろう。
2003-09-26[n年前へ]
■「夢」についての三国会談
一昨日、ビールと海産物を前にカナダ人・アメリカ人・日本人の三人で飲んでいた。その中で、「何で日本人や韓国人は人に将来の夢が何か聞いたり、自分の夢を語ったりすることができんねん?夢っちゅうのはもっとちゃんと具体的に考えるもんちゃうか?」と聞かれた。「夢」とか「希望」と"dream"や"hope"ってどのくらい違うのだろう?、と思って"dream"や"hope"ってどういうものか聞いてみたけれど、私の語学力(と理解力)ではなんだか上手く判らなかった。
とりあえず「夢」と「希望」って何だっけなと思って新明解をひくと、「夢=実現するかどうか判らないが、やりたいと思っていた事柄」、「希望=よりよい状態を期待し、その実現を願うこと」となっていた。「実現させるか、期待するか」の違いなんだろか?
2004-01-18[n年前へ]
■今日見た景色
今日の夜、CASIOのA5403CAを買った。いつものデジカメが電池切れで、充電器も見つからないし、これからはこのメガピクセルのカメラ付き携帯電話で「今日見た景色」を撮ることが多くなるのかもしれない。
そういえば、新明解国語辞典で「景色」という言葉をひくと、「観賞に堪える、自然物のながめ。〔直接にはかかわりのない、余裕の有る傍観者の立場からする言葉〕」と書いてある。確かに、「景色」という言葉には第三者的、傍観者的な立場が写っているような気はする。
とはいえ、余裕があってもなくても、頼みもしないのに景色は目に入ってきてしまうようにも思えるけれど。とにもかくにも、カメラのシャッターボタンを押してみることにしましょうか。というわけで、手元の「ぼくんち」をA5403CAで撮ってみる。画質は、…これならなかなかに使えるかな。