2003-11-13[n年前へ]
2003-11-23[n年前へ]
■ツルゲーネフ「ハムレットとドンキホーテ」
「ハムレットは多分日記をつけております」とツルゲーネフは言う。「驚くべきことにハムレットとドンキホーテは同じ年に生まれました」「そして、人はハムレットのようなタイプかドンキホーテのようなタイプのどちらかに属しています」「現代ではハムレットのようなタイプの人々が遙かに多くなってきました」「とはいえ、ドンキホーテのような人々も決して死に絶えてしまったわけではありません」
「WEB日記」を書く私たちはやはりハムレットタイプになってしまうのだろうか…?「ドンキホーテはものを知らなくても、しっかりとした考えを持っています」「ハムレットはそんな考えをもつ必要も感じていないのです」 この薄いけれど素晴らしく豊かな本を買うきっかけを与えてくれた、おれカネゴンさんに感謝。
2003-11-30[n年前へ]
2003-12-27[n年前へ]
■「日記で印刷」
hardでloxseな日々の「著作権的なモノがいくつか差し替えられているのがちょっと悲しかったり」という一文。そう、著作権的な問題で芸能人の写真は別のモデルの方の写真に差し変わっています。
そう、不思議なことに、金正日の写真は(彼自身に関しては)ノープロブレム?なのですが、芸能人の写真の使用はとてもキビシイわけです。もちろん、金正日はノープロブレム?と言っても、使用権のある写真に差し替えているわけですから、結局膨大な数の画像を作り直しています。権利関係で作り直したものだけでなく、印刷解像度の関係で作り直した画像なども多数あります。
で、実はその作業をしていた一月ほど前にふとこんなことを考えていました。
「色んなWEB日記があるけれど、それを本にするサービスは絶対に作るべきだろう」 「あなたのn年日記」や「あなたの2003年のダイアリー」なんて本を作るサービスを富士ゼロックスや大日本印刷やセブンイレブンと組んで、絶対にやるべきだー…。
となると、その時に少し気になるのが、WEB日記やBlogサービスに使われている「画像」です。WEBベースの写真だと、どうしても印刷の解像度には足りない写真が多いし、権利関係もどうにもアヤシイ写真が多いわけです。だから、将来のことを見越して、アップロードする画像は高解像度のものにして(保存して)おいた方が良いかもとか、著作権的にグレイな写真はちょっとアレしておいた方が良いかもとか、そんなことをちょうど一月ちょい前の秋の京都でふと考えてみたりしたのです。
で、もちろん本の宣伝も兼ねて…こんな表紙の画像をまた貼っておきます。紙のメディアの方が読むのは楽ですし、実は文章結構書き直してますし…。
2004-01-16[n年前へ]
■日記の本を開いてみたり、閉じてみたり。
本屋に行けば、色んな種類の「白紙のマイダイアリー」がたくさん平積みになっている。自分史を出したいという人も多いらしい。だから、自分の日記が一冊の本になるという「はてなダイアリーブック」のようなものはとても自然に違いない。日記のおまけならそれはあってもいい、に違いない
ところで、自分の日記を本にして、いつかその本を開く時には一体どんな気持ちで開くものだろうか。懐かしい気持ちで眺めるのだろうか、それとももっと違う気持ちで眺めるのだろうか。あるいは、その日記を閉じる時はどんな気持ちだろうか。そのかつての一年を閉じるような気持ちだろうか。そしてまた、日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、どちらが一体多いのだろうか?
と、車を運転しながらふと考えた。だけど、次の瞬間に気づく。考えてみれば「日記の本を開く回数」と「日記の本を閉じる回数」はほとんど同じだ。その本を開く回数と閉じる回数は、せいぜい一回しか違わない。その本を三回開いたならば、その本を二回か三回閉じることになる。七回転べば、六回か七回は立ち上がっているのと同じだ。日記を開くことと閉じること、いつかの日を振り返る気持ちになることと閉じるような気持ちになること、はたかだか一回の違いしかない。それはほとんど同じニアリー・イコールだ。