2010-03-07[n年前へ]
■不況下に必要とされる「目の前の小さな幸せを大切にする能力」
酒井順子の「女も、不況? 」あとがきから。
不況が続いていけば、目の前の小さな幸せを大切にする能力は、ますます求められるものと思われます。二十年後に今の時代を振り返った時、「あの時代って、考えてみると意外に楽しかった」と思うことができるように、したいものですねぇ…。
2010-06-14[n年前へ]
■秋葉原に見る色々な景色
久しぶりに秋葉原の街をゆっくり歩いた。歩きながら、色々な時代の街並みを思い出し、変わる景色をしみじみ感じた。
コンピュータのソフトウェアがカセットテープに記録されていた頃、ロケットの近くのビルの2Fにあるロビン電子にはApple][の互換機があって、小さな小さな"5インチ"のフロッピーディスクが高速読み書きを実現していて、NEC Bit-inがあったラジオ会館の中には、色んなコンピュータ・ハードウェア屋があった。そのラジオ会館の横には一体何があっただろう?少なくとも、今はその場所には何もない。
秋葉原の駅近くを歩きながら、昔、国際ラジオがあったことを思い出す。国際ラジオがその後に移転した場所が確かここだと思いながらその場所に行くと、Laoxの跡地になっている(さらに近い場所でもう一度移転した気もするし、移転の順番は逆だったかもしれない)。Laoxが華々しく開店する頃には、その近くにはオウム真理教が商売を営むマハーポーシャがあって、(まるで魚くんのように)像の帽子をかぶった人たちが大声を張り上げチラシを配っていたような気がする。時代が移り変わることにも驚くけれど、そんな景色が、それほど昔のものではないことも不思議な感覚だ。
その後、秋葉原の駅の前に行くと、さらにずっと昔の写真が飾ってある。大正時代の写真、万世橋の近くの川面にいくつもの船が浮かんでいる風景、秋葉原の色々な時代の景色を眺めてみる。他の人たちは、どんな秋葉原の景色を眺めているのだろうか。
2010-08-22[n年前へ]
■「講談社文庫 刊行の辞」と「ぼくらの時代」と「未知の時代」
講談社文庫を寝転がって読んでいると、巻末にある「刊行の辞」にいつも感銘を受けます。思わず、起き上がって背筋を伸ばさなければ、という気持ちになります。いつの時代でも通用する褪せないことを、高らかに宣言する野間省一の言葉には、いつも心動かされるのです。それは、こんな浪漫溢れる一節です。
二十一世紀の到来を目睫(もくしょう=目と睫毛(まつ毛)。転じて、きわめて近いところ)に望みながら,われわれはいま,人類史上かつて例を見ない巨大な転換期を迎えようとしている。「われわれはいま,人類史上かつて例を見ない巨大な転換期を迎えようとしている」「世界も,日本も,激動の予兆に対する期待とおののきを内に蔵して,未知の時代に歩み入ろうとしている」「激動の転換期はまた断絶の時代である」といった言葉は、おそらくどの時代・どの時を生きる”わたしたち”にもあてはまることだろう、と思います。私たちは、いつも転換期を迎え、いつも激動の予兆を感じ、そして、いつでも未知の時代に足を踏み入れようとしているような気がします。だから、「講談社文庫 刊行の辞」を読むと、いつのときもその言葉に酔いしれるのです。
世界も,日本も,激動の予兆に対する期待とおののきを内に蔵して,未知の時代に歩み入ろうとしている。(中略)われわれはここに古今の文芸作品はいうまでもなく,ひろく人文・社会・自然の諸科学から東西の名著を網羅する,新しい綜合文庫の発刊を決意した。
激動の転換期はまた断絶の時代である。われわれは戦後二十五年間の出版文化のありかたへの深い反省を込めて,この断絶の時代にあえて人間的な持続を求めようとする。いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求めることなく,長期にわたって良書に生命をあたえようとつとめるところにしか,今後の出版文化の真の繁栄はあり得ないと信じるからである。
同時にわれわれはこの綜合文庫の刊行を通じて,人文・社会・自然の諸科学が,結局人間の学にほかならないことを立証しようと願っている。かつて知識とは「汝自身を知る」ことにつきていた。現代社会の瑣末な情報の氾濫のなかから,力強い知識の源泉を掘り起し,技術文明のただなかに,生きた人間の姿を復活させること。それこそわれわれの切なる希求である。
われわれは権力に盲従せず,俗流に媚びることなく,渾然一体となって日本の「草の根」をかたちづくる若く新しい世代の人々に,心をこめてこの新しい綜合文庫をおくり届けたい。それは知識の源泉であるとともに感受性のふるさとであり,もっとも有機的に組織され,社会に開かれた万人のための大学をめざしている。
野間省一 1971年7月
2011-04-10[n年前へ]
■「他人」はそれぞれ異なる「言葉や論理や価値観」を持つ
自分と違う「他」の人を他人と呼びます。他人は自分と異なる人なのですから、それぞれが使う言葉(語句)の「意味するところ」も異なるし、考え方(ロジック)も、あるいは、それらを支える根本たる感じ方(価値観)も異なるわけです。
目の前に考え方や感覚や言葉使いが未知の人がいたとして、「必ず相手を理解することができる」とも思えませんが、会話をするためには一体どうすれば良いものなのでしょう?
自分でない他の人と言葉を交わそうとする時には、その3つの違がどのような風であるかを考え・推測する、という作業が重要であるように思います。
まず、「その人の使う言葉を、自分が使う言葉とは別のものと考えて、その人が話す言葉の論理の中での矛盾を最小限にするよう、その人が持つ言葉の定義を見つけ出す」(そのようにすることで)その人の言葉の定義が決められた後に、「その人が話した言葉を通して、価値観の矛盾がないかどうか考える」 ただひたすらに、この一連の作業を、矛盾がなくなるまで反復を繰り返し続けることで、「この人はこういう感じ方・考え方をして、こういう言葉の使い方をする人なのだろうか」という推測をすることができるわけです。
そして、いつでも何らかの違和感(矛盾)を感じたならば、その違和感の元を見つけるための確認作業を行ってみる、という具合になります。何かを問いかけて、その反応を確認してみたりするわけです。
もちろん、こんな風に「その人の感じ方や言葉の使い方や考え方」といったものに対して、矛盾が存在しなくなるまでアレやコレやと考える・・・というのは少し面倒な作業です。だから、ある程度は用意された「パターン」に当てはめ・そしてテンプレートからの誤差分を修正するようにすることで、推測作業を簡素化して考えることも多いように思います。
こうした「テンプレート・マッチング」による他人の言葉や感じ方や考え方を推測する方法の欠点は、 自分がこれまで見たことがない・想定したことがない「未体験・未想定の感じ方・考え方をする」人を目の前にした時、大雑把にも対応させられそうなテンプレートがなく、さてどうしようか?と対応に困ってしまう・・・ということです。そんな時は、時間をかけつつ、新しいテンプレートを自分の中に作り上げていくことになるのでしょうか。言葉や論理あるいは価値観といったものは、本当のところ、「理解」なんていうことが可能であるのか、よくわかりません。まして、理解の先に存在しているかもしれないという「納得」ともなればなおさら、です。
それぞれ異なる「言葉や論理や価値観」を持つ人たちで溢(あふ)れ・互いにすれ違うこの時代、どんな風に考え・動くのが良いのでしょうか?
2011-10-08[n年前へ]
■日本にジャコビニ流星群が訪れる夜
今日(10月8日)の深夜、明日の早朝には、「ジャコビニ流星群」改め「10月りゅう座流星群」が夜空を飾る、と言われています。りゅう座は北の夜空に浮かんでいるので、今夜は北の空を駆け抜ける流星たちを探してみたくなります。
ジャコビニ流星群は、10月8日から10月10日前後の、主として夕刻に見られる、突発的な流星群である。 国際天文学連合 (IAU) による公式名称は10月りゅう座流星群。母天体はジャコビニ・ツィナー彗星。
…と、そんなことをつぶやくと、「ジャコビニ流星打法といえば宇野球一」という声が聞こえます。宇野球一(宇野球児)と言うと、伝説の地獄死闘野球漫画「アストロ球団」の主人公です。なぜ、「伝説の」と書くかと言えば、それはもちろん「単行本にして全20巻(連載期間5年間)という長丁場でありながら、その展開ゆえに試合描写が長く、作中では僅か3試合しか行われていない」という”キャプテン翼も足下にひれ伏す”ストーリー展開であるからです。
様々な魔球や必殺技が乱れ飛び、スポーツ漫画でありながら試合の中でデスマッチを繰り広げ、死者や廃人が累出するなど、異様ともいえる展開であり…
あなたは「ジャコビニ流星群」をご存じでしょうか?「ジャコビニ流星群(10月りゅう座流星群)」はおおよそ「十数年おき(13年おき)」にしか現れませんから、高校生以下の若い人であれば「そんな流星群なんて聞いたことがない」というはずです。また、20〜30代の方であっても知っている人はほとんどいないだろう、と思います。そんな「十数年に一度しか訪れないジャコビニ流星群」が、なぜアストロ球団という人気漫画に登場していたのでしょうか?
それは、漫画が連載され始めた1972年の日本に、タイムマシンに乗って、戻ってみるとわかります。
1972年に(ジャコビニ流星群による)大流星雨が予想された際は、日本でも大きなブームとなり、その予想が外れたことは新聞、テレビのニュースでも取り上げられた。これをモチーフとした曲として、松任谷由実の「ジャコビニ彗星の日」(1979年、アルバム「悲しいほどお天気 」に収録)がある。また、1972年から1976年にかけて連載された少年漫画「アストロ球団」では、「ジャコビニ流星打法」という必殺技が登場する。1972年、山本リンダが「どうにもとまらない〜」と歌い、青い三角定規が「太陽がくれた季節」を歌った頃に、日本ではジャコビニ流星群を人々は心待ちにし、しかし、流星はほとんど見られず、アストロ球団宇野球一(宇野球児)のジャコビニ流星打法は「空振り」に終わったのです。
…ところで、流星が夜空に線を描いたとしても、離れた場所にいる人は、なかなか同じ”流れ星”を見るということはできません 。同じ流れ星を見ることができるのは、とても近くにいる人たちだけなのです。 …そんなことを思う時、「同じものを見るという「奇跡」と「幻」ということについて、私はいつも考え込んでしまいます。
仮に、同じ流星を遠く離れた恋人同士が見ることができたとしても、悲しいことに、たいていは違うところを見ているのである。
それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。
今年、2011年10月8日から9日の夜、日本にジャコビニ流星群は訪れるのでしょうか。私たちの真上には、たくさんの流れ星が降り注ぐのでしょうか。今年、私たちはたくさんの流星を・同じ流れ星を共(とも)に眺めることができるのでしょうか。
'72年10月9日、
あなたの電話が少ないことに慣れていく。
わたしは一人待った。
遠く横切る流星群。
寂しくなればまたくるかしら、光る尾を引く流星群。
「ジャコビニ彗星の日-The Story of Giacobini's Comet-」