2009-01-16[n年前へ]
■贅沢の反対は合理なのではないか
『高級ブランド戦争』という本の感想文には、「本の最初のところに、シャネルの<贅沢の反対は貧困ではない。贅沢の反対は低俗である>というコトバが書かれているが、私は贅沢の反対は合理なのではないか、と思った」という一文が(近田春夫 「僕の読書感想文」中に)あるのだが、私は断然、シャネル説より近田説に賛成ですねぇ。
酒井順子 「私の読書日記」
2009-02-04[n年前へ]
■ピッチャー体質とキャッチャー体質
酒井順子「入れたり出したり (角川文庫) 」より。
ピッチャー体質というのは、「聞く」よりは「話す」方が得意な、自己主張タイプ。相手に自分の投球を受け止めてもらうのが当然と思っているので、他人の球を受けるのは得意ではない。
対してキャッチャー体質の人は、どんなクセ球もワイルドピッチも受け止めようとします。クセ球をうまく身体でとめることができた時は、職人としての幸福感すら覚える。基本的にはどんな人とも合わせることができる、キャッチャー体質の人間。
誰のことも受け入れてくれる娼婦は、時に聖女にたとえられます。が、彼女は別に自費の気持ちから男性を受け入れているわけでもなかろう。能力としてできてしまうから、そしてそうするしか道がないから、来るものをただ受け止めてあげる、そのひたすら受容的な態度が、見ようによっては聖女に見えるのだと思う。
雑誌には「聞き上手は、生き方上手」なdと書いてありますけれど、聞き上手の方が、本当はよっぽどタチが悪いということも、あるのです。・・・キャッチャーはピッチャーの女房役といっても、両者の関係は実は、一妻多夫。相当したたかでないと、多夫など操れぬはずです。だとしても・・・否、だからこそ、私はキャッチャーというポジションにつく人を、これほどまでに好むわけですけれど。
2009-02-05[n年前へ]
■「男子の小」と「女子の小」
酒井順子「入れたり出したり (角川文庫) 」を読み、目から鱗が落ちるように感じた数節。
液体だけの、男子の小。液体+紙の、女子の小。その両者を、同じ「小」レバーの水で流してしまっていいのか。・・・男子の小を流すことが基準になっているとしたら、果たして女子の小を流し切ることができるのか。
そんな不安を抱きつつ、思わず小の時も大の方へレバーを回してしまう女子が多いのではないかと思うのですが、いかがでしょう。女子の小を安心して流すために、「中」という選択肢があってもいいのになぁ、と私などは思うわけです。
2009-02-06[n年前へ]
■「旅/旅行」と「性/性交」
酒井順子「入れたり出したり (角川文庫) 」を読み、目から鱗が落ちるように感じた数節の続き。
「旅」と「旅行」。この二つの単語の関係は、「性」と「性交」の関係と似ているような気がします。
私たちが持つ「旅」に対する思いも「性」に対する思いも、人間本来の根源的欲求というか、消し得ない魂というか、その手のものでありましょう。・・・その精神には何ら濁りがないからこそ、「旅」も「性」も、単体で見ると崇高な感じすら漂わせる文字なのです。
しかしそれに「行」なり「交」なりといった文字をつけて、具体的な行動を示す単語になると、印象は変わります。「旅」と「性」に比べると「旅行」も「性交」も・・・精神がいくら崇高でも、実際の行動はえてして精神通りにはならないのですよ、ということを「行」や「交」の文字は示すのです。
一人でする旅行為は「一人旅」と言い、「一人旅行」とは言いません。対して複数人数で旅行為は、「団体旅」とか「修学旅」とか「新婚旅」とは言わないように、「旅」ではなくて「旅行」になる。同じように、性交は一人で行うものではなく、二人もしくはそれ以上が関わる行為に対して使用される言葉なのです。
2010-03-07[n年前へ]
■不況下に必要とされる「目の前の小さな幸せを大切にする能力」
酒井順子の「女も、不況? 」あとがきから。
不況が続いていけば、目の前の小さな幸せを大切にする能力は、ますます求められるものと思われます。二十年後に今の時代を振り返った時、「あの時代って、考えてみると意外に楽しかった」と思うことができるように、したいものですねぇ…。
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