2003-01-19[n年前へ]
■空気が映っている景色
休日に外を歩くと、水で洗われワックスがけされている車をよく見かける。洗車されてワックスがけされた後の車には色鮮やかな存在感がある。洗車される前の煤けた色の車とは全然違う。そして、そんな景色を見ると、その車の存在感だけではなくて、車の周りの空気の存在感も確かに感じることができるようになる。
江国香織は「都の子
」の中でそんな景色を「雨に濡れたものの色が、ああも冴えざえするのはどうしてだろう。… 雨は、すごくどきどきする。 … 冴えざえ、という言葉の持つしずけさを、視覚化したみたいな眺めだ」という風な言葉にする。
どんなものも表面に凹凸があって、その表面で周囲から来た全ての色んな光が反射して私たちの目に入ってしまう。だから、私たちが見ている「何か」の色は、その「何かの色」だけでなくて「周りの全ての色」が混じり合った濁った色になっている。だから、私たちが見ている「何か」の色はどうしても鮮やかな色にはならない。だから、雨やワックスがそんな表面に凹凸を埋めて、表面を覆ってしまえば、私たちはその「何か」の色だけを見ることができるようになる。緑の葉は鮮やかな緑だし、影の部分はしっとりとした黒になる。だから、雨に濡れたものの色はとても冴えざえするし、その「冴えざえ」は周りの空気の透明感も映し出すようになる。
そして、そんな光の反射だけでなくて、雨が上がった後の空には柔らかくも強い陽が差していることが多い。そして時には虹だって見える。雨が上がれば、そんな景色を眺めるために街へ駆け出すのだ。
2008-04-10[n年前へ]
■江國香織の「情緒」と「論理」
落語のことを江國滋が語る本を読みたい、と思っている。けれど、残念ながらまだ読むことができていない。けれど、いつか「落語手帖 」「落語美学 」「落語無学 」といった江國滋が落語について書いた本を読んでみたい、と思っている。
江國滋の長女である江國香織(今では、江國滋が「江國香織のお父さん」と言われることの方が多くなってしまったくらいだ)が書く言葉は本当に素敵だ。情緒と論理が過不足なく絶妙に混じり合い、不思議なほど心に小気味よく響くリズムで、江國香織は言葉を書く。
なるほど数学的思考をするひとだ、とすぐにわかった。言葉の一つ一つに、必ず論理的必然性というか、原因と結果が備わっている。双六風に正確に一歩づつ先にすすめていく話し方だ。それも、聞き手がとりのこされないように丁寧に、きちんきちんと手順を踏んで。一片の隙間もないほどに、緻密に言葉が積み上げられているのに、江國香織が書き上げる文章は、奇麗なリズムで音が叩かれ・刻まれていく。数学的で、論理的で、必然性と因果性に満ちていて、そして丁寧で優しくみえる。
たゆまぬひと - 公文 公さん「十五歳の残像 」
子供がそのまま大人になったような人、という言いまわしがありますが、あれは変だと以前から思っていました。誰だってみんな子供がそのまま大人になるわけで、それはもう単純に事実だと思うからです。
2009-04-12[n年前へ]
■読む人が真似をしたくなる江國香織の「作文術」
江國香織の文章は、本当に的確で、読んでいるととても気持ちが良くなる。文字をそのまま追っていくだけで、書いてあることが「すぅっと」頭の中に収まってくるし、それでいて何度読み直しても新鮮だ。
江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、それを文章にした「十五歳の残像 」を読むと、そんな感覚をどの頁・どの行からも感じることができる。たとえば、 「すとん、と伝えるひと――――安西水丸さん」ならこうだ。
理屈では説明できないこと、というのがある。とても簡単なことなのに――――とても簡単なことだから、と言うべきかもしれないが――――、説明はできない。
たとえば。
わかります、と、私は思わず声を大きくしてしまう。一体何がわかったのか、どうわかったのか、はよくわからないままに。
なんの理屈も説明もなく、ただすとんと胸におちてくる。江國香織の文章には、とてもわかりやすく納得させられてしまう。そして、不思議に心地よい。
江國香織の文章の恐ろしいところは、彼女の書いたものをよむと、その江国香織の「文の調子」「文体」を無意識のうちに真似しようとしてしまうことだと思う。もちろん、そんなことは誰にもできない、のだけれど。
■十五の頃、いちばん恥ずかしいと思っていたこと
江國香織 「十五歳の残像 」から。
十五の頃、いちばん恥ずかしいと思っていたことは何ですか、と訊いてみた。安西さんのこたえは「人をおしのけたり自己主張したりすること」
じゃあいまいちばん恥ずかしいことは、と訊くと…
「すとん、と伝えるひと――――安西水丸さん」
2009-04-13[n年前へ]
■「表現」と「矛盾」
江國香織 「十五歳の残像 」から。
そりゃあどんどん矛盾していくよね、と、甲斐さんは言った。…
でも、と言って、甲斐さんは私の顔を見た。「でも、表現するということはそういうことでしょう?イメージをある程度限りある形で強く打ち出していく、というのが表現ななんだから」
あまりにも正しかったので、私はちょっと黙ってしまう。
「アンビヴァレンスのひと――――甲斐よしひろさん」